大貫久男さん(新潮社撮影)

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【写真】大貫さんが銀座で1億円を拾った年、埼玉の民家には「ライオン」がいた…80年代の日本を驚愕させた“動物事件”の主役

2代目「大貫さん」にはなれず

「1億円の大貫さん」といえば、昭和55(1980)年4月25日に東京・銀座の路上で1億円入りの風呂敷包みを拾った大貫久男さん。拾得物として警察に届け出たが落とし主は現れず、同年11月11日、所有者となった大貫さんが引き取った。

 その約3年後の昭和58(1983)年1月18日、埼玉・大宮にある銀行の駐車場で30代の営業マンが黒いビニール製の手提げカバンを拾った。しかし一夜明けてみると、巷では「銀行の敷地内で発生した盗難事件」と報じられ、営業マンは“容疑者”になってしまう。

大貫久男さん(新潮社撮影)

 80年代に発生した2件の“現金拾得騒動”、警察の対応が分かれた理由とは。“現金拾得の先輩”にあたる大貫さんが、営業マンの一件に対して語った“厳しいコメント”とは。「週刊新潮」のバックナンバーで振り返ってみよう。

(以下、「週刊新潮」1983年2月3日号「『大貫さん』に叱られた千四百万円の『拾い主』」を再編集しました。文中の年齢、肩書き等は掲載当時のものです)

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初雪の日に5400万円を輸送

 事件が起きたのは、昭和58年1月18日午後1時半ごろのこと。初雪が降り、銀行の裏手にある駐車場に行くまでの5メートルほどでも傘が必要だった。「いつもと状況が違っていた」と、落とした側の新潟相互銀行大宮支店のA次長がいうように、この初雪が事件を引き起こす原因になった。

 この雪の中、埼玉銀行大宮北支店に現金5400万円を輸送することになったのは、運転手のBさん(45)と女子行員(22)の2人。週1回、支店内に残さないよう他行に預けておく現金で、普段なら2、3000万円をカバン1つに入れる。だがこの日は連休明けということもあって、いつもより多い5400万円をカバン2つに入れていた。

 女子行員は4000万円入りのカバン、B運転手は左手に傘、右手に1400万円入りのカバンを持っていたという。

「クルマのロックを開けるため、カバンを下に置きました。ロックを開けて、後ろの席にカバンをのせるつもりだったのに、傘を先に入れてしまった。それから助手席の側に女子行員が乗り込んで、膝の上にカバンをのせました。いつもカバンは1つだったので、それを見て安心感があったのかも知れません。それで自分の方のドアを閉めたんですが、下に置いたカバンは見えなかったんです」

警察の方が“これは盗難でしょ”と

 輸送先の埼玉銀行大宮北支店とは150メートルくらいしか離れておらず、到着まで2分もかからない。そしてカバンを降ろす際、B運転手はそのうち1つを置き忘れたことに気づき、走って駐車場に戻った。だがカバンはなく、行内にも見当たらない。

 そこで、A次長は警察に届けた。

「これはもう誰かが持って行ったのではないかということで、警察に届けたんです。警察からすぐに多数の方が現場検証のためにおいでになりました。その段階で、私どもには法律的な判断はまったくありませんでしたが、警察の方から“これは盗難でしょ”とご指導頂いたわけです」

 警察は、当初から“遺失物拾得事件”ではなく“置き引き事件”と見ていたのである。しかし警察の捜査を待つまでもなく、“拾い主”はすぐに判明した。「1400万円消える」と報じた翌19日の朝刊を見て驚いた本人が、自ら大宮署に届け出たのだ。

 その人物とは、同市内に住む営業マンのCさん(36)。ご本人は“拾い主”として名乗り出たつもりだが、窃盗事件として捜査していた警察にとっては有力な容疑者である。さっそく厳しい取り調べを受けて、彼は震え上がってしまった。

窃盗の容疑で書類送検

 結果、Cさんは新聞報道で完全に“犯人”扱いされた。〈「盗むつもりだった」〉〈一晩悩み警察へ 近く書類送検〉といった見出しの記事を書かれたのだ。

〈自供によると、Cは18日午後1時10分すぎ、近くの喫茶店に入るため、同支店の駐車場に無断で車を止めた。その時、地面に落ちていた黒いビニール製の手提げかばんを見つけ、金が入っていると直感、車の中に入れた。別の場所でかばんの中を調べたところ、1000円札がぎっしり詰まっていたので、これは大金だと思い、そのままネコババするつもりだった。18日は一晩中、思い悩んでいたが、19日朝、自宅で新聞をみたところ、事件が大きく報道されているのに改めて驚き、妻とも相談したところ説得されて、大宮署に駆けつけたという〉

 Cさんは逮捕されなかったものの、窃盗容疑で書類送検となった。銀座の路上で1億円を拾った大貫さんの時とは、またずいぶん落差のある措置である。大貫さんと違うところといえば、届けるまでの時間が大貫さんは約2時間で、Cさんは一晩。拾った場所は大貫さんが路上、Cさんが銀行の駐車場だった。

あとで届けりゃいいやと思って

 勤務先の常務によれば、

「本人は『警察の調べ方が一方的で、こっちが否定すると、“今晩は泊まりだぞ”といわれるので、向こうのいう通りの調書に署名してきちゃった』と、しょんぼりして警察から帰って来ました。しかし、盗むつもりもなかったのに、窃盗容疑扱いを受けるのはやはり心外だと、2、3日後に調書を取り直してほしいと警察へ行ったんですが、もう送検したからダメだと受け付けてくれなかったというんですね。彼は気の弱いお人よしですから、会社の方から勇気づけてやらねばと思っています。警察が犯人扱いしたから辞めさせたのでは、こっちまで認めたことになって、本人も浮かばれませんよ」

 ご本人の弁明によれば、当日は午前11時に勤務先を出て顧客の所に向かい、得意先回りをするために大宮に来た。その途中で、新潟相銀のすぐそばにある行きつけの喫茶店に行くことにした。新潟相銀との取引はないが、Cさんは時折、同行の駐車場を無断使用していたらしい。そこでで置き忘れたカバンを発見したのだ。

「最初はカタログか何か書類が入ったカバンだなという印象だったですね。お金が入っているとはまったく考えなかったです。ジュラルミンのカバンだったらすぐピンときたでしょうけど、あんなカバン(黒いビニール製)見ても、すぐお金には結びつきませんよ。あとで届けりゃいいやと思って、そのまま自分のクルマの助手席の床に置いちゃったんです」

 そのまま喫茶店に行くが、すぐにポケットベルで呼び出され、急ぎの仕事が入る。「クルマに乗った時には、もうカバンのことは頭に」なく、仕事を終えて帰宅しても中身を改めなかった。翌日に朝刊を見るまで、カバンのことは失念していたというのだ。

決め手は「銀行の敷地内」

「警察では“どこかでカバンの中身を確かめてるだろ”といわれました。“何か入ってると思って確かめてみるのがふつうだろ”といわれて、“そうですね”と答えたら、そのまま中身を調べたことになってしまったんです。“クルマはどこで止めたんだ”というので、“部品屋のところで”と答えたら、そこで中身を見たことにされちゃったんです」

 Cさんの弁明にもすんなり納得できない点はいくつかある。例えば、そのカバンを“拾得”しておきながら、翌朝に新聞を読むまで中身を調べなかったこと。しかし、みずから警察に届け出ただけでも、“窃盗容疑”を不問とする根拠になるのではないか。

 その点、大宮署はこう説明する。

「銀行の管理下にあるところでの紛失である以上、事件として扱わざるを得ないわけですよ。あのカバンは銀行の敷地内にあったものだから、遺失物じゃありません。大貫さんの場合のように、道路上で拾った場合なら7日以内に届け出れば罪にならない。銀行管理下の敷地内なら、10分後ならいいが20分後ならいけないかなど、時間だけで決められるもんじゃありません。窃盗の疑いがかかるかどうかは、場所、届け出るまでの状況など総合的に判断するんです。届け出た勇気はたいしたもので、だから警察としても逮捕していない」

 銀行の敷地内で起きたということが、“拾得”か“窃盗”かの決め手になったのだ。それに、大貫さんの場合とは違い、Cさんの届け出は警察が窃盗事件としての捜査体制を敷いた後だった。そのため、対応がそちらの方に引きずられたという一面もありそうだ。

“後輩”に厳しい1億円の大貫さん

 じつをいえば、大貫さんの1億円拾得についても「置き引きまがいの行為ではないか」という疑問が出なかったわけではない。しかし、1億円が一時的に置かれたものか、置き忘れたものかがハッキリせず、その問題は不問に付された。

 その大貫さんは、今度の事件にいたく興味を持っているものの、Cさんの行為には批判的である。

「その人にはいくつかの落ち度があって、うっかりがうっかりで済まない行動しちゃっているから、警察官から厳しく追及されても仕方ないですね」

 1億円取得前と同じ運転手の仕事に就いている大貫さんは、今でも落とし物はないかと探しているという。

「こないだ日本橋でキャッシュカード拾って連絡してあげた。銀行の人が落とし主に“拾ってくれたのは、あの大貫さん”といったら、ずいぶん喜んでたそうです」

 謝礼として、紅茶と砂糖のセットをもらったそうである。

デイリー新潮編集部