キングオブコント2019を制した「大きなイチモツ」 巨根ネタは時代の経済を映す鏡 - 松田健次
※この記事は2019年09月27日にBLOGOSで公開されたものです
「キングオブコント2019」で優勝したのは、シモネタなミュージカルで「♪おおっきな、イチモツを、く・だ・さ・いっ~」と連呼したどぶろっくだった。お笑い界屈指の賞レースを100%のシモネタが制するという結果に唸った。
シモネタのバカバカしさは大好きだ。だが、一般人の会話に含まれる無節操なシモネタとは違い、プロの、商業的エンターテインメントの、ビジネスとなる場でのシモネタは、とくに笑いのジャンルにおいて節操を有するものと考える。
シモネタは笑いのドーピング
基本的に日常から隠されているものを露わにすることで成り立つシモネタには、人前で口にすることの「はしたなさ」「背徳感」のようなものがあり、それを用いるという「反則性」が笑いを醸す装置になっている。ゆえに正道ではない邪道、それを暗黙にわきまえた上で成り立っているのが、プロの、商業的エンターテインメントの、ビジネスとなる場での、シモネタであると考える。
もう少し強引に括れば、老若男女の誰でも笑う(可能性が高い)カンフル剤であり、笑いのジャンルにおいてはドーピングをしているようなものだ。笑いへの距離が近い分、中毒性も高い。ゆえに、この反則性を自覚した上で、適度な節度をコントロールできることが、職業としてのシモネタにとって必須条件になる。
どぶろっくはそれらを踏まえて爆笑を起こし、キングオブコントの頂点に立った。のだけど、それにしても審査員が幾度か発していた「後半に爆発的な笑いがあれば」という理想を満たしたのが、反則性込みのシモネタで、シモネタであることがさほど評価の足枷とならず、その他のシモネタではないコントを蹴散らしてしまった結果に唸った。なるほど、そうなったか、と。
そうして唸りつつ、どぶろっくのネタに重なり見えたのが、若き日(1985年)のとんねるずが繰り出していたキャラクターコント「角田さん」だった。
「大きなイチモツ」で浮かんだとんねるずの記憶
「角田さん」は石橋貴明が演じる巨根の持ち主・角田さんが、木梨憲武が演じる様々な女性をこれといった理由もなく手籠めにして、巨根による妄想プレイを展開し、木梨が十八番のウラ声で「それそれ~」とあえぎ、スタジオにいるオールナイターズ(女子大生達)をキャーキャー言わせた、80年代深夜カルチャーの断片に記憶されるシモネタだ。
石橋は両手のマイムで巨根を表現。その巨根はあまりに大きく身長も身幅も凌駕し、石橋本人は自らの巨根の裏側に隠れていて見えない・・・という設定だ。石橋が木梨に声をかけると、木梨は「おかしいわ、声はするけど、誰もいない、誰なの?」とわざとらしく戸惑い、石橋が巨根をつかんで斜に傾げ、大樹の陰からひょいと姿を現し「俺だ!」と、(今から思えばひょっこりはん的に)登場するのがツカミだった。
どぶろっくの江口も両手を掲げる仕草で巨根のサイズ感を表現し、2本目のネタの中では巨根の影から姿を見せる仕草を見せていた。が、あれは、あの頃のとんねるずを知る世代にとっては紛うことなく角田さんそのものだ。
その記憶のせいで、若き日の(約35年前の)とんねるずがこのキングオブコント2019を制してしまったような感覚を抱いてしまった。
このアングルが妄想を連れてくる。審査員を見てみると、バナナマンもさまぁ~ずもとんねるずを見上げてきたリスペクト世代だ。ゆえに彼らがあの巨根ネタに最高評価を与えたことは腑に落ちる。そして松本人志――、松本もあの巨根ネタに最高点を与えた。つまり、ダウンタウンがとんねるずを優勝であると評価した、そんな妄想にかられた。
浜田雅功が「キングオブコント2019、優勝はどぶろっく!」と甲高くコールすると、映し出されるのは感涙のどぶろっくではなく、巨根を傾げ「俺だ!」と顔を出す石橋貴明。とんねるずとダウンタウンが時空を超えて巨根ネタで認め合う妄想的瞬間、それがもうひとつのキングオブコント2019だった。
2つの「巨根」ネタにみる世界観の違い
さて、どぶろっくととんねるず、それぞれの巨根は見た目こそ同じ、両手でつかんでそそり立つモンスタービジュアルだが、その実体はまったく違うものだ。
どぶろっくの巨根はメルヘンだった。ネタの世界観も手伝い牧歌的で絵画的、巨根はメルヘンに覆われていた。
一方でとんねるずの巨根はアクティブだ。石橋は巨根を使っていかに女性を攻めるかを動的なマイムで見せていた。立体的で暴君的。アクティブな石橋の巨根にはとんねるずの体育会系的ワルノリが詰まっていた。
そして、どぶろっくの巨根は物語の中で、江口が演じる男は小さいイチモツへのコンプレックスがあり、それゆえの「(貧しい農夫が不治の病にある母を救う薬よりも)大きなイチモツをください」という切実な願望につながる――、と文脈から読める。
チンコの大小に抱くコンプレックスの問題は、人類史でいつの時代からあったかは知らないが、「お笑い」という文脈の中で世に表面化したのはいつになるのか?
お笑いに「チンコ」を確立させたドリフターズ
しばし、「お笑い」におけるチンコをざっくりと遡ってみる。語感から辿れば1950年代、由利徹の「チンチロリンのカックン」での「チン」が先鞭か。60年代後半には大阪の夫婦漫才(のちに離婚)で売った唄子・啓介の鳳啓介による「ポテチン!」が「チン」をかすっている。お笑いそのものではないが放送作家出身タレントとして名を馳せた野末陳平によるラジオ番組「陳平・花の予備校」(ニッポン放送 1968年~)のテーマ曲、ジャック・コリエオーケストラによる「チン・チン・ルンバ」も「♪チンチンチン」と連呼していた語感系統か。これらはすべて「チン」という響きまででとどまった、「チンコ」夜明け前だ。
チンが明確にチンコになったのは70年代前半、「8時だョ!全員集合」(TBS)の中でドリフターズの加藤茶が放ったギャグ「1、2、3、4、やったぜ加トちゃん! ぐるりと回ってウンコチンチン!」だとしていいだろう。「チンチン」は明らかに語意としてのチンコそのもので、その威力はすさまじく全国の子供達に「ウンコチンチン!」が流行った。
70年代半ばからは深夜ラジオにもチンコの潮流を伺える。74年スタートの「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)では、チンコは「股間」「あそこ」「男性自身」「イチモツ」などの伝承的な呼称の他に「亀」という愛称が頻用された。76年スタートの「タモリのオールナイトニッポン」では放送禁止用語に対するカウンターアイデアとして男性器を「ジョン君」女性器を「マロンちゃん」と言い換えて文章を投稿するコーナーがあった。
80年スタートの「吉田照美のてるてるワイド」(文化放送)は夜9時台のヤングタイムで「カミアサ言葉」を提唱、これも放送禁止用語に対するカウンターアイデアで、本来の言葉を一文字ずつズラして表現するというルールを呼びかけた。「カミアサ」とは「オマンコ」の言い換えだ。チンコは「ツアサ」になった。このルールを用いた(宇能鴻一郎的な)ポルノ小説のパロディが評判のコーナーになっていた。
そして1980年、漫才ブームで時代の寵児となったビートたけしは「コマネチ!」の派生としてチンコなギャグを放つ。両手の仕草で股間のモッコリを大きく描く「アンドリアノフ!」、小さく描く「ケンモツ」。どちらもオリンピック体操選手の名前で、体操のコスチュームで浮き上がる股間の具合をギャグにした。また、当時流れていた滋養強壮剤のCMにあった「男には男の武器がある」というフレーズに乗せてチンコを描くパターンもあったっけ。
アンドリアノフはソ連の選手。欧米人のイチモツは大きく日本人のそれは小さい、というチンコに関する劣等感をお笑いに持ち込んだ分水嶺はここ、ビートたけしだった、はずだ。加えれば芸人で初めて自分自身が仮性包茎であることをカミングアウトしたのもたけしだった、はずだ(そして「アンドリアノフ!」から5年後、1985年にとんねるずの巨根ネタ「角田さん」が登場する)。
ビートたけしが身を持って示した、芸人はコンプレックスを笑いに変えることが出来る職業である、という啓示的教えに帰依したのがたけし門下の浅草キッド(水道橋博士・玉袋筋太郎)だった。キッドは深夜ラジオ「浅草キッドのすっぽんぽん」(TBS 1990~)で自身の包茎手術の模様を流した。
ここで社会を俯瞰すると80年代にはアイドル雑誌「BOMB」(学研)にティーンエイジャーの性のお悩みエピソードを募る「パンツの穴」が生まれ、84年に菊池桃子の主演デビューで映画化されてヒットし、シリーズ化される。85年には中山美穂主演のドラマ「毎度お騒がせします」(TBS)が思春期男女の性への興味をコミカルに描き話題作に。このあたりは童貞と初体験をめぐる10代のチンコネタだ。
そして90年代、エロ本からアダルトビデオへとエロの主戦場が映像に推移していく中で、加藤鷹を筆頭に著名なAV男優が名を広め、世の男達から潜在的な羨望とリスペクトを集めるようになる。プロのAV男優がいかに女性を喜ばせる能力が高いか、という可視化されたリアルが世の男達に立ちはだかり、自身のチンコスペックにつまびらかなコンプレックスを見い出しがちな時代となり、それが今に至っている。
巨根ネタは時代の経済を映す鏡
そんなチンコ史の中に現れたふたつの巨根ネタ。1985年のとんねるず「角田さん」、2019年のどぶろっく「大きなイチモツをください」――。どちらも、短小なチンコに対するアンチテーゼがネタの根幹となっている。
その上で、とんねるずの「角田さん」は「巨根」で「無敵」というマッチョな変身を果たし、まさにバブルそのものを具現化しているようだった。そしてどぶろっくの「イチモツ」は貧しい民が「巨根」を「願う」というデフレからの脱却願望を暗喩しているようだった。
巨根ネタがその時代の経済を映す鏡だったとは・・・、書き終わるまで自分も知らなかった。
