検察が検察でなくなる…黒川氏「辞任で幕引き」に全く安心できない理由 政権と検察の歴史を見れば明らか

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安倍政権の「人事」の特異性

政権の恣意的な人事が可能になれば、政治家の逮捕すら辞さない捜査機関たる検察庁がおかしくなってしまうのではないか――。

そんな懸念から、俳優やミュージシャンら著名人もこぞって反対した検察庁法改正法案。今国会での成立は見送られたものの、廃案になったわけではない。今後、成立する余地は十分にある。

また、法案に先立ち閣議決定で特例的に定年延長された黒川弘務東京高検検事長は、たまたま賭けマージャンをしていたことが発覚したことから辞表を提出せざるを得なくなったが、これで問題がなくなったわけではない。そもそもなぜ特例的な人事が行われたのか、納得のいく説明がなされていない。問題の本質が明かされぬままだ。

検察庁の独立性は依然、脅かされている。いまだ政府は虎視眈々と人事介入による捜査への影響力行使を狙っているとみられる。

これでは、猛反発した世論は収まるまい。今後、どうすべきなのか。あるいは、どうあるべきなのか。

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検察関係者は、安倍政権下で設置された内閣人事局――国家公務員の幹部人事を政権が一元管理する機関の弊害にまで立ち返って、こう語る。

「ほかの省庁についても言えることだが、内閣人事局ができる前の状態に戻して、(検察庁を擁する)法務省が独自で、衆目一致するような納得のいく人事を行えるようにすることだ。そもそも検察庁は法務省本省と違って、内閣人事局の管理対象にはなっていない。にもかかわらず、安倍内閣は法務省人事と絡めてあれこれやってきた。原則は徹底されるべきだ。この原則を無効にする今回の法案も廃案にしなければならない。

でなければ、これまで戦後、検察が死守してきた独立性が損なわれてしまう。公正中立を旨とし、捜査に聖域は設けないという健全な組織を維持するためには、それ以外にない」

言外ににじむのは、これまで検察がたどってきた道が平坦ならざるものだったことだ。

戦後すぐに始まった「死闘」

検察の歴史を振り返ると、政府との間で熾烈な戦いを繰り広げた激動の時期があったことがわかる。戦後、間もなくのことだ。

当時、検察は政府中枢がかかわる贈収賄事件の捜査に次々と着手し、摘発していった。対する政府は、これに猛反発し人事介入を図った。

幕開けは、「昭電疑獄(昭和電工事件)」である。1948年6月、東京地検は化学企業大手・昭和電工への融資をめぐる贈収賄事件の摘発に踏み切り、のちに初代自民党副総裁となる大野伴睦議員をはじめ、多数の国会議員や官僚らを逮捕した。芦田均内閣は総辞職に追い込まれた。

次いで、「炭鉱国管汚職」。1947年9月に国会に提出された「炭鉱国家管理法案(炭鉱を国家管理するための法案)」をめぐって、炭鉱経営者が多数の政治家に工作資金をばらまき、法案を修正させた。その事実をつかんだ東京地検は、1948年12月、厚生大臣の竹田義一議員ら複数の国会議員を逮捕した。

その中に、のちの首相・田中角栄議員が含まれていたことはその後、たびたび話題になったが、当時は田中氏が法務政務次官であったことの方が注目された。身内にさえ容赦はしないという検察の姿勢が鮮明に示されたからだ。

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再三の摘発を受けて、今度は政府が牙をむいた。芦田のあとを受けた吉田茂内閣で法務総裁(現法務相)に就任した大橋武夫議員が、その先兵となった。

1951年3月、大橋議員は贈収賄捜査の旗振り役であった最高検次長検事の木内曽益氏の左遷をもくろみ、その人事案を閣議にかけようとした。最終的には、閣議直前に木内氏が辞表を提出する形で検察は詰腹を切った。

指揮権発動

しかし、検察はその後も引こうとはしなかった。

1954年1月には、「造船疑獄」の捜査を開始した。53年1月に成立した「外航船舶建造融資利子補給及び国家補償法」をめぐって、海運業界から多額の工作資金が政官界に流れたことをつかんだ東京地検は、翌2月には国会議員複数を逮捕。4月に入ると、キーマンとされた自由党(自民党の前身政党)の佐藤栄作幹事長に迫り、逮捕へと踏み切ろうとしていた。

ところが――。

危機感を抱いた政府は、検察の動きを止めるべく指揮権を発動した。その結果、捜査は事実上不可能となり、多数の容疑者が釈放され、核心を欠いたままその幕を降ろすことになった。検察は政権の介入によって苦杯をなめさせられたわけである。

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もっとも、政権も無傷では済まなかった。指揮権を発動した犬養健法務相は閣僚辞任を余儀なくされ、また吉田首相も一連の騒動の影響を受け、退陣に追い込まれたのだった。

これに懲りた政府は、ようやく検察への介入を控えるようになった。かくして検察は独立性を確保したのである。これを機に検察官の人事案は検察庁側が作成し、内閣、法務相がそれを追認するという不文律が確立されていった。

赤レンガの伝統

そうしたなか、検察のトップ人事に関して「赤レンガの伝統」と呼ばれる慣習が育まれるようになったという。先の検察関係者が解説する。

「『赤レンガ』というと、レンガ造りの法務省旧本館のことと思うかもしれないが、検察関係者の間では法務省のエリート集団、すなわち法曹資格を持つ司法官僚のことを指している。それぞれ法務省の中枢に身を置くが、赤レンガの建物がその積み重ねから成っているように、集団内には明確な階層・序列がある。

とりわけ検察トップ・検事総長への道を歩む者は特別だ。入省時から特別扱いで、司法修習時代の成績などをもとに選抜された2〜3人は、あまり地方には出されずに温室培養される。そして、要職を重ねていくのだが、王道は官房長や刑事局長を経て次官、東京高検検事長を務めて検事総長になるというもの。東京高検検事長は必須ではなく、むしろ次官が最後の関門とされている。

こうした『赤レンガ』独特の人事が行われるようになったのは、もうずいぶん昔のことだ。歴代検事総長の経歴を見るとわかるように、検察が政治の介入を排除した頃あたりから徐々に育まれてきた。いまでは伝統のように語られている」

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さて、この伝統に照らし合わせると、黒川氏の件はどうだったのか。

黒川氏の優秀さはつとに有名で、入省時から検事総長候補と目され、その登竜門とされるポストを歴任した。だが、同期には、「法務・検察のプリンス」と呼ばれる林真琴氏がいた。やはり検事総長候補に挙げられ、同じようなコースを歩んでいた。ふたりは双璧とみられていた。

だが、やがて勝負がついた。2016年9月、検察首脳は当時刑事局長であった林氏を次官に昇格させ、官房長の黒川氏は地方の高検検事長に転出させる人事案を作成した。検事総長への道は林氏に開かれたわけである。

ところが、安倍内閣はこの人事案を却下。逆に黒川氏を次官に昇任させた。何十年と続いてきた慣習を覆す異例の裁断だった。

一大事である。だが、介入は、これで終わりではなかった。

翌年、内閣は黒川氏をさらに留任させた。また、2018年1月には法務相が林氏の次官就任を拒み、名古屋高検検事長に転出させた。

一方、黒川氏については2019年1月、東京高検検事長に昇進させたうえ、さらに定年が近づいた2020年1月には、検察庁法の規定に反し、任期を延長させる閣議決定を内閣は行った。

さらに、だ。閣議決定が違法だとの指摘を受けると「解釈の変更」だと強弁した末、3月にはそれを正当化するかのように、「政府が認めれば定年を最長3年延長できる」という規定を盛り込んだ検察庁法改正法案を国会に提出する暴挙に出た。

この改正を要望したのは法務省だと政府は言うが、これが成立すれば、未来永劫、検察は政府から多大な影響を被ることになる。公正な刑事司法も成り立たなくなる可能性が高い。これだけ反対の声が上がったのもうなずけよう。

検察が検察でなくなる

もちろん、戦後の動乱期の後にも、検察の独立性が脅かされる事態がなかったわけではない。

たとえば、指揮権発動未遂。1999年、小渕政権下の中村正三郎法務相が、自身がオーナーを務める企業と訴訟中の企業に対して捜査を行うよう検察側に要請したが、その後、撤回した。また、2012年には小川敏夫法務相が、小沢一郎議員の資金管理団体・陸山会をめぐる政治資金規正法違反事件で虚偽の捜査報告書が作成されたとし、野田佳彦首相に指揮権発動を提案したが、拒否された。

実質的な発動もあった。2010年、尖閣諸島付近で操業中の中国漁船が、取り締まりに当たっていた海上保安庁の巡視船から逃れようと衝突し破損させた事件で、那覇地検は公務執行妨害の容疑で身柄を拘束していた船長を処分保留で釈放したが、これに先立ち、仙谷由人官房長官が法務省次官に船長を釈放するよう要請していたことがのちに明らかにされている。

さらには別の形での人事介入の試みもあった。実現はしなかったものの、前述の陸山会をめぐる事件で捜査対象となっていた小沢議員が、検事総長に民間人を登用しようとしたのである。

こうした過去を踏まえ、検察関係者が語る。

「尖閣の件は確かに問題だった。ただ、政府中枢にかかわる贈収賄のような事件ではなかった。また、そのほかの件はいずれも未遂で、どこかの段階でセーブが効いていた。それと比べると、安倍政権の異常さが鮮明になる。やはりこの件は断念してもらう以外にない。幸い黒川氏は自ら身を引かざるを得なくなったが、こんなことが続けられていくとしたら、検察はもう検察でなくなってしまう」

切に法案の廃止を訴えたのである。

廃案だけで「万事よし」ではない

もちろん、この法案は廃案にすべきである。ただし、今回の騒動で浮かび上がったさまざまな問題をつぶさに見てみると、それだけで万事よしとすべきではないことに気づく。

検察自身にも大きな問題がある。今回の記事で触れた虚偽の捜査報告書以外にも、検察の暴走は過去に何度も見られた。逆に、政府への忖度が疑われることもままあった。世論の強い反対により法案が廃案になるとすれば、むしろ検察にはこれまで以上の公正さが求められよう。対する政府の側も、ここで言及した事例から明らかなように、一度は矛を収めたとしても、また隙あらば検察への介入を試みるだろう。

秋霜烈日――。検察官がよく口にする言葉だ。「秋の凍てつく霜、夏の灼熱の日差しのように峻厳たれ」とのモットーとされる。旭日に菊があしらわれた検察官の記章は「秋霜烈日章」とも呼ばれている。検察にいま求められているのは、容易に失われうる独立性を保つべく、そして同時に検察権力の暴走を防ぐべく、不断の努力をもって自らを律することであろう。