「巨人に持ってかれるな」…「KKコンビ」スカウト争奪戦で、阪神が行っていた「えげつない」裏工作
プロ野球史上最大のミステリー「KKドラフト」から41年、いま初めて明らかになる物語――。あのとき、球界に渦巻く虚々実々に翻弄されたのは桑田真澄と清原和博だけではなかった。脚光を浴びた2人の周縁で、誰が動き、誰の運命が書き換えられたのか。本当の主役は誰だったのか。
連載『1985 英雄たちのドラフト』
第9回「桑田マター」(後編)
【前編を読む】学年で3位の成績…「早稲田進学が夢」だった桑田真澄の学力と「スポーツ選手の優先入学制度」で合格した「桑田のライバル」の存在
「阪神第一志望に覆してみせる」
1985年1月11日、阪神甲子園球場2階の大会議室で、この時期としては異例となる阪神タイガース第1回スカウト会議が開かれた。
例年なら春季キャンプの行われている2月中旬に第1回目のスカウト会議が開かれるが「今年は特別」と正月休み明けのこの日、総勢20名ほどのスカウト全員が甲子園に召集された。「今年は特別」の理由はただ一つ。PL学園の桑田真澄と清原和博を秋のドラフト会議で獲得することである。
会議の冒頭で編成部長の藤江清一は、居並ぶスカウトを前に次のことを伝えた。
「地元球団として甲子園のスターである桑田と清原はどうしても欲しい。最低でも1人は獲得したい。甲子園のスターを巨人に持っていかれるようなことがあってはならない。一部では2人とも進学希望という噂もあるが、我々の熱意で秋までにはプロ志望、それも阪神第一志望に覆してみせる」
そこで、編成部長の藤江清一、チーフスカウトの横溝桂、関西・四国地区担当スカウトの谷本稔、九州地区担当スカウトの渡辺省三、二軍資料担当からスカウトに復帰したばかりの久保征弘の5人で「PLプロジェクトチーム」が結成された。
プロジェクトの内容は、毎日必ず5人のうち1人が、富田林市内のPL学園野球部グラウンドまで出向き、桑田と清原本人はもちろん、監督の中村順司、部長の高木文三、主将の松山秀明、その他の部員や生徒にも積極的に挨拶を交わし、言葉を交わすことで阪神タイガースの存在をアピールし、そこから学園側、ゆくゆくは教団にも接触しながら信用を得るという、何とも気の遠くなる作戦である。「11月20日のドラフト会議当日まで行う」という方針も併せて通達された。
チーフスカウトの横溝桂は「他球団との競争に勝つには誠意しかない。地の利を生かして、いつ、どんなときも阪神のスカウトがPLの試合、練習を見ている形にしたい」と強調し、程なく散会となった。
阪神球団の意気込みが嫌でも伝わるが、阪神だけが桑田・清原対策に乗り出しているわけではまったくなかった。例えば横浜大洋ホエールズはPL学園野球部OBで、この時期、スカウトから一軍守備走塁コーチに異動したばかりの中塚政幸をPL学園との交渉に活用することを決めていたし、ロッテオリオンズもやはりPL学園OBでスカウトの得津高宏を「PL担当」に任命していた。
「桑田は野手のほうがいい」
日本ハムファイターズは2月6日にキャンプ地である鴨川市営球場の会議室に球団代表の小嶋武士、元監督で強化育成部長の大沢啓二ら球団幹部とスカウト全員、さらに新監督の高田繁も加わって、毎年恒例の第1回スカウト会議を開いた。
そこで決まったことは。これまで不在だった近畿地区専任スカウトとして、大阪出身の宮本好宣を新たに任命し、近畿、中京、三重の3つの地区を担当するように命じたことである。宮本はすぐさま川崎市内の自宅を引き払って、実家のある大阪に戻った。
新監督である高田繁の望む補強ポイントは「1内野手、2捕手、3投手」で、本命は清原かと思われたが実際は桑田だった。現場のスカウトは桑田真澄の高い守備力と非凡な打撃センスを高く買っており、野手として指名しようとしていたのだ。当時、日本ハムファイターズの編成課長だった三沢今朝治のコメントがある。
「12球団あるから投手としてほしいチームもあるだろう。だけど桑田君はプロでやっていくなら野手の方がいいと思う。うちのチーム事情もそうだが、打力と野球センスは高校生としてズバ抜けていますよ」(『日刊スポーツ』1985年2月7日付)
気になるのは巨人の動向である。実は水面下で着々と「PL包囲網」と言うべき布陣を敷きつつあったのだ。
【毎週水曜日更新】6月10日配信の第10回に続く
