43人の犠牲者を出した雲仙・普賢岳の大火砕流から6月3日で35年。

島原市では追悼行事が行われ、普賢岳のふもとでは、犠牲者に黙とうが捧げられました。

あの日から35年たった雲仙・普賢岳の山頂は、雲に覆われた姿。

ふもとでは、遺族や市民が鎮魂の祈りをささげました。

1991年6月3日午後4時8分に発生した「大火砕流」。

高温の火山灰などが猛スピードで普賢岳の斜面を流れ下り、地元の消防団員や警察官、報道関係者ら43人が犠牲となりました。

被災した人々が集団で移転した仁田団地には、朝から献花台が設けられ、島原市や県の職員など約50人が花を手向けました。

(古川 島原市長)

「雲仙普賢岳大火砕流災害から35年の時間が過ぎようとしている。

改めて自然災害の恐ろしさを、これからの子どもたちを含む伝承を、きちんとしていくことが肝要。

噴火災害と戦った先輩方が亡くなったのも事実。その先輩方が心配してくれたことを、これからもしっかりと未来へつなげていく必要がある」

当時、島原市長として災害の対応にあたり、去年亡くなった鐘ケ江 管一さんの妻、保子さんも献花に訪れました。

(鐘ケ江 保子さん(90))

「(夫に)来ましたよと言ってきた。島原の安全だけを祈らないといけない。せっかくきれいになって平和になったので」

献花台には、高校生の姿も…。

噴火災害を風化させず後世に伝えていこうと、30年前から島原中央高校の生徒たちが訪れています。

この日に向けて全校生徒で折った千羽鶴を捧げ、犠牲者を悼みました。

(島原中央高校 安永 圭伸生徒会長(3年))

「6月3日を忘れないということと、噴火に対して関わってくれたすべての方々への感謝を胸にお祈りした」

(インターアクトクラブ 酒井 悠晴部長(2年))

「自分たちが生まれていない時の災害だが、いつどうやって自分たちが被災するか分からないので、普段から対策しておきたい」