松本典子

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24日に大阪でライブ

 歌手・タレントの松本典子(58)は1年前、同期の芳本美代子、網浜直子と結成したユニット「ID85」で、約30年ぶりにステージに立った。その後も活動を続け、今月24日には大阪での単独ライブを控えている。1992年に、当時ヤクルトスワローズの現役選手だった笘篠賢治氏と電撃結婚。その後、芸能活動を休止し、3人の息子を育て上げた。再びマイクを握るまでの30年余りの軌跡とは。(全3回の第3回)【福嶋剛/ライター】

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 実力も人気も兼ね備えた現役プロ野球選手と人気アイドルの結婚は、当時、大きな話題を呼んだ。

松本典子

「もともと野球が好きで、野球に関連したお仕事をいただいていました。それでシーズンが始まる前の3月にヤクルトスワローズの激励会にゲストとしてお招きいただいたんです。その時、初めて夫と会って舞台裏で一緒に写真を撮ったりしました。

 その縁で当時、夫がいた球団の寮に『先日はありがとうございました』というお礼のお手紙を、事務所を通じて送りました。しばらく間があって、その年のオフシーズンに、夫から事務所宛に『応援していただき、ありがとうございました』というお手紙が届いて、夫の自宅の住所と電話番号が書いてあったんです。

 それで友達に『これはどうしたらいいのかな』と聞くと『お手紙が届きましたという電話をちゃんとした方がいいよ』ってアドバイスをもらい、電話したらグループでお食事に行くことになり、今に至るという感じです。携帯とかSNSなんて全く無い時代ですから、若い世代の人たちにはなかなか信じられない出会いかもしれませんね(笑)」

 芸能界は引退ではなく休止にして3人の息子たちを育てた。

「今は芸能活動と両立できる時代になりましたけど、当時はスポーツ選手の奥さんは家庭に入って夫を支えるみたいな世間のイメージもありました。事務所の社長からも『家のことを中心にやりなさい』と言ってもらえたので休止とさせていただきました。結婚して2年目に夫が肩と肘の手術をしてリハビリ期間に入り、その後、1998年に夫が広島カープに移籍して単身赴任となり、私は都内で子育てをしていた頃が大変でしたね」

 3人の息子は父親の影響で野球に親しんだ。

「親としてあいさつとか社会のマナーみたいなことについてはとても厳しかったと思うんですけど、夫は息子たちに優しかったんじゃないかな。野球も無理にさせないで息子がやりたいとなったときにキャッチボールをしてあげるとか、そんな感じだったと思います。

 どんどん体も大きくなって食べる量も桁違いでしたね。でも本人たちは言わないですけど、やっぱり野球選手の息子というプレッシャーはあったかもしれませんね。今はそれぞれ好きな仕事をやっていますがスポーツをやっていて良かったと思います」

子育て支援員

 だが、母親がアイドルだったことに関しては「全く興味を示しませんでした」と苦笑いした。

「YouTubeにもたくさん昔の映像が流れてくるのに全く見ませんから。ごく普通のお母さんだと思っているみたいです」

 ようやく子育ても一段落したタイミングで今度は子育て支援員の認定を受け、保育園の先生の補助を始めた。

「“子育てロス”じゃないですけど、息子たちが巣立っていってちょっと寂しさもありました。それで、何か自分でできることはないかなと考えて、資格を取りました。保育士さんの補助として、赤ちゃんのおむつ替えやお着替え、食事を運んだり、一緒にお話をしたりといった園児たちを見守るお仕事になります。今年で8年目を迎えました。とっても可愛いですけど、園児の方が私よりYouTubeとかTikTokのことを知っていてちょっとびっくりしますよ」

 芸能活動も少しずつだが再開している。

「年に一度くらい、テレビとか雑誌のお話をいただくようになりました。最近はみなさんYouTubeをやっていて、芳本美代子ちゃんのYouTubeチャンネルに出演させていただいたことがきっかけで昨年秋に活動休止以来、何十年ぶりにステージに立ってお客さんの前で歌いました」

 芳本美代子が中心となり、松本、そしてミス・セブンティーンのグランプリを分け合った同期の網浜直子の3人で、「ID85」というユニットを結成。昨年都内で開催したイベントは全公演がソールドアウトとなる盛況を博し、地上波の情報番組でもその様子が取り上げられた。

「最初は『お茶会でもやれたらいいね』っていうくらいでしたが、まさか本当に歌うとは思っていませんでした。『私のことなんて今でも覚えている人はいるのかな』って思ったら、ステージに上がるのが怖かったです。でも『春色のエアメール』を歌ったとき、前にいたお客さんも一緒に口ずさんでくれているのが見えてすごく嬉しかったですね」

 夫や現役時代をみせられなかった息子たちも会場に駆けつけ、松本のステージを楽しんだ。

「夫も私が楽しんでいる姿を喜んでいるみたいです。息子たちには私が過去にどんなことをやっていたのか、どんな歌を歌っていたのかという姿を見てもらえたことが嬉しかったですね」

妻を支える夫

 笘篠氏も野球解説のない日は、松本の付き添いとして妻を支えているという。この日もそばで楽しそうに取材を見ている姿が印象的だった。

「昔は仕事に家族を呼ぶなんて絶対ないと思っていましたけど、今日も前日、野球解説をしていたんですが、来てもらいました。お互いマイペースというか、ごく普通の夫婦なので気になるところはいくらでもありますけど(笑)。応援してくれることには感謝しています」

 ステージに立ってみて気がついたことがあるという。

「私は本当に趣味もないし、楽しみを見つけるのが下手なんです。でも、やっぱり歌うこととステージにあがることが自分の楽しみだと改めて実感しました。自分のことなんて後回しで最後だと思いながらやってきました。でも、自分のために何かをするということが私自身を大切にすることにつながるのかなって、最近やっとそう思える年齢になりました。この先、病気やけがとか急に歌えなくなることだってあると思うんです。でも元気なうちに楽しんで、ファンのみなさんの思い出にもなれたらいいなって思っています」

 芳本、網浜、松本の3人によるID85の活動は近いところでは、5月24日(日)に大阪・ABCホールで「大阪スペシャルライブ2026」を開催する。

「セットリストも衣装もステージも全て3人のアイデアが詰まっている手作りのイベントで、懐かしい歌やトークも楽しめると思います」

 松本にとってアイドルとはどんな時間だったのだろうか。

「私みたいな性格の子がよくアイドルをやっていたなって今振り返るとそう思いますね。でも、いろんな場所でいろんな方と出会えて……。アイドルじゃなかったらきっと出会えなかった方々との繋がりを持てたことが何より私の宝物です」

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 第1回【「ポスト松田聖子」松本典子はなぜ、アイドル戦線から消えたのか 中山美穂、南野陽子ら「1985年デビュー組」の苦悩】では、松本がデビュー当時の心境などを語っている。

松本典子(まつもと・のりこ)
1968年1月30日、群馬県出身。84年7月、「第5回ミス・セブンティーンコンテスト」で網浜直子とダブル優勝を果たし、芸能界入り。85年3月21日、1stシングル「春色のエアメール」で歌手デビュー。87年から92年まで「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)にレギュラー出演し、コメディエンヌとして人気を博した。92年、プロ野球選手の笘篠賢治氏と結婚し、3人の息子をもうける。結婚後、長らく芸能活動を休止していたが、2025年に芸能活動を再開。現在は同期の芳本美代子、網浜直子と3人でユニットID85を結成し、ライブ活動を行う傍ら、子育て支援員として保育園にも勤めている。

福嶋 剛
ライター。1971年生まれ。TV局映像編集、ロケーションコーディネーター、音楽サイトの編集長、ニュースサイトの記者などを経験。ベテランアーティストや元アイドルのインタビューをはじめ、イベントの進行役などエンタメを中心に活動中。

デイリー新潮編集部