壮絶な最期遂げた19世紀の北極探検隊、DNA鑑定で新たに隊員4人の身元判明

(CNN)悲劇的な結末を迎えた19世紀の北極探検で命を落とした英探検隊の隊員4人の遺骨の身元を、研究者らが特定した。生存している子孫とDNAを照合する過程で、かねて浮上していた人違いの謎も解明した。
この4人の隊員は、サー・ジョン・フランクリンが率いた1845年の北西航路探検隊の一員だった。北西航路とはカナダ本土の北側と北極圏を通る海路で、北極海を経由して大西洋と太平洋を結ぶ。英国海軍当局者や商人、極地探検家たちは、この航路の開拓を重要視していた。それが実現すれば、欧州とアジアを結ぶより短い貿易ルートが確保できるからだ。
しかし当該の探検に使用された2隻の英海軍艦「エレバス」と「テラー」は、129人の乗組員を乗せて航行中、北極の氷に閉じ込められ、2年近く身動きが取れない状況となる。1848年4月、生き残っていた乗組員105人は艦船を放棄。現在のカナダ・ヌナブト準州にあるキングウィリアム島の西海岸沿いを、物資を積んだ橇(そり)を引きながら陸路で移動したが、生きて帰った者は一人もいなかった。
探検隊が身元の分かる墓石を立てて埋葬したのは、最初の1年間に亡くなった3人のみだった。その後、救助隊や様々な研究者たちが、キングウィリアム島やアデレード半島一帯に散在する遺物や遺骨を発掘してきたが、遺骨の断片を個々の乗組員と結びつけるのは困難な作業だった。
それでもこの数年、子孫のDNAとの照合により、科学者たちはエレバスの技師ジョン・グレゴリーと、同船の船長ジェームズ・フィッツジェームズの身元を特定することに成功した。後者の遺骨からは人肉食の痕跡も確認されている。
現在、カナダ・オンタリオ州のウォータールー大学とレークヘッド大学を拠点とする同じ研究チームは、さらに3人のエレバス乗組員及びテラー乗組員1人の遺骨の身元をDNAを用いて特定した。テラーの乗組員の照合に成功したのは今回の研究が初めて。160年以上の間、当該の乗組員の遺骨と共に発見された文書は研究者たちを困惑させてきたが、遺伝学がその答えをもたらした。
隊員の子孫からのDNA提供が増える中で、研究者たちはこの悲劇を取り巻く謎の解明に少しずつ近づけると期待を寄せている。
「我々はこれまでになかった遺伝学的側面から、パズルのピースをさらに追加しようとしている」。本研究の論文の筆頭著者であり、ウォータールー大学人類学部の非常勤助教授を務めるダグラス・ステントン博士はそう述べた。
研究者たちはまず、遺骨を調査して年齢、性別、病状を判定。その中から一部の骨や歯を選び出し、オンタリオ州サンダーベイにあるレークヘッド大学の研究所でDNA分析を行う最適なサンプルとして特定した。ただ考古学的な遺伝子プロフィルが完成した時点でも、研究チームが手にしたのは全体像の半分に過ぎなかったとステントン氏は振り返った。
「我々は、フランクリン探検隊の隊員と直接血縁関係にあり、世代を超えて途切れることなくDNAを受け継いでいる人々を探し出さなければならなかった」(ステントン氏)
可能な限り最も近い一致を特定するため、遺骨から抽出された遺伝物質は、子孫から提供された頬の綿棒サンプルに含まれるY染色体DNAおよびミトコンドリアDNAと比較された。後者のDNAは母系を通じてのみ受け継がれる。
一致を確認5月6日付のジャーナル・オブ・アルケオロジカル・サイエンス・レポーツ誌に掲載された論文によると、DNAの一致を受けて研究チームはウィリアム・オレン、デービッド・ヤング、ジョン・ブリジェンズの身元を特定することに成功した。3人は全員、エレバスに乗船しており、過去の記録によれば、遺体はもともとエレバス湾の南岸で一緒に発見されていた。
ステントン氏とその同僚らが特定した4人目の乗組員は、テラーに乗船していたハリー・ペグラーだ。DNA鑑定の結果を記した研究報告は5月7日、学術誌ポーラー・レコードに掲載された。19世紀半ばに行われた捜索によって、ペグラーの遺体は他の船員たちの遺体から約130キロ離れた場所で単独で発見されていた。
ペグラーの真の身元を巡っては、これまで疑問の声が渦巻いてきた。1859年、捜索隊はペグラーの個人的な書類を携えた白骨遺体を発見したが、遺体が着ていた衣服は本人の階級に見合うものではなかった。当該の書類はこの遭難事故から回収された数少ない文書の一部だ。このため遺体はペグラー本人ではなく、ペグラーが単に書類を別の乗組員に預けていたのではないかとする推測も浮上した。
ペグラーはテラーの前方マストの操作を指揮する役割を担い、下士官だったとみられるにもかかわらず、遺体が身に着けていたのはそれより地位の低いスチュワードの制服だった。
ステントン氏とそのチームは徹底的な分析を行い、遺体のDNAを、当時テラーに乗務していたことが確認されているすべてのスチュワードの子孫のDNAと比較した。遺伝学的分析の結果、やはりその遺体は他ならぬペグラー本人のものであることが示された。
ではなぜペグラーはスチュワードの制服を着ていたのか? 論文著者らは今回の研究の中で、本人の物語のさらなる断片を組み立てている。
「彼(ペグラー)が乗船中に地位を下げられた可能性があることは、今や明らかだ。おそらく許しがたい行為が原因だったのだろう」と、ロンドンの国立海洋博物館を含むグリニッジ王立博物館群のシニア・コンテンツ・キュレーター、クレア・ウォリアー博士は述べた。国立海洋博物館にはフランクリン探検隊の遺物が多数収蔵されている。
「考古学的・物的証拠と公文書を照らし合わせることで、その説はさらに裏付けられる。ペグラーの過去の海軍勤務歴には、酩酊(めいてい)や『反乱的な行為』といった事例が含まれていた」(ウォリアー氏)
浮かび上がる乗組員たちの姿ウォリアー氏は上記のいずれの研究にも関与していないが、DNA分析を頼りにフランクリン探検隊の隊員たちの身元を明らかにする取り組みを高く評価している。前出のブリジェンスやオレンといった隊員は、読み書きができず書簡も残していない。
今回の研究は隊員らの肖像を描き出すことにもつながった。ブリジェンスについては瞳はヘーゼル色(ハシバミ色=くすんだ赤みの黄色)で髪は黒だったとされる。ブリジェンスはわずか11歳で船上の音楽家として航海生活を始めた。一方、ヤングは貧しい家庭に生まれ、17歳で極地探検隊に加わった。
「この研究が非常に重要な理由の一つは、当事者たちをこの悲劇の中心に再び据え直す点にある。綿密な系図調査と、DNA技術の進歩がそれを可能にする」。ウォリアー氏は電子メールでそう記した。
ステントン氏とそのチームは、引き続き現地で見つかった遺物を分析中だ。それらを通じ、探検が悲劇的な結末を迎えた要因にまつわるさらなる手がかりが明らかになるかもしれない。
研究者たちはまた、より多くの乗組員の身元を特定し、彼らを子孫と結びつけるプロジェクトも続けている。これこそがこの研究において最もやりがいを感じる側面の一つだと、ステントン氏は語っている。
