娘を「おとり」に元妻を誘い出し刺殺、トラックには“埋設キット”も…韓国で18年逃亡を続ける凶悪殺人犯ファン・ジュヨンの足跡
2008年6月17日の夜8時30分ごろ、ソウル瑞草区盤浦洞(ソチョグ・パンポドン)の高速バスターミナル湖南(ホナム)線(現セントラルシティ)前は、いつものように旅行客や通行人で賑わっていた。
湿った初夏の空気が漂う中、不自然な長い髪のカツラを被り、眼鏡で顔を隠したがっしりした体格の男が雑踏に紛れ込んでいた。彼はしばらく周囲を見渡すと、やがて一点に視線を止めた。ターミナルの右側の入り口、花壇の横で誰かを落ち着かない様子で待っていた30代の男女を見つけたのだ。
男はズボンのポケットに手を入れ、何かを取り出した。バタフライナイフだった。手首の反動を利用して瞬時に鋭い刃を露わにすると、刹那の迷いもなく駆け寄った。
2人のうち、まずは男性に近づいた。その体にぶつかるようにして掴みかかると、ナイフを振り回し始めた。胸から腹など、全身を容赦なく刺した。
防御する間もなかった男性は、血を流して地面に倒れ込んだ。突然の事態に驚いた女性は危険を察知して逃げようとしたが、男の荒々しい手が彼女の首筋を掴んでねじり伏せ、ナイフを振りかざした。通行人の悲鳴が入り混じり、瞬く間に一帯は修羅場と化した。
全身が返り血で染まった犯人は、血のついたナイフを現場に投げ捨て、ターミナル前の片道4車線の幹線道路を横断して闇の中へと悠々と姿を消した。
8車線道路の向こうへ消えた長髪の影しばらくして通報を受けて出動した119番の救急隊員たちが、血を流して呻いていた被害者たちを近くの江南(カンナム)聖母病院へ搬送した。当直中だった瑞草警察署の強力6チームにも非常事態が告げられた。
チョン・ヒョンギル・チーム長(警部)はチーム員とともに現場へと急行した。被害者たちが倒れていた場所には血生臭い匂いが立ち込め、彼らが苦痛に悶えた跡がまざまざと残っていた。
警察はポリスラインを張り、現場の規制に乗り出した。何よりも犯人の身元を特定することが急務だった。身元確認が遅れれば、それだけ逃走する時間を与えてしまうことになるからだ。
チョン・チーム長は刑事1人を現場に残し、被害者たちが搬送された病院へと向かった。医療陣は患者の状態が危篤であるとして接触を阻んだが、それを振り切って中に入った。
被害者の女性はしゃっくりのように激しく喘いでおり、言葉も発せないほど容態が深刻だった。すぐ隣にいた男性は苦痛に顔を歪めながら、医療陣に「助けてください」と何度も繰り返していた。警察が「犯人が誰だかわかるか」と尋ねると、「被害女性の元夫だ」と指し示した。
首や肺、心臓、肝臓など計17箇所を刺された女性は、病院搬送からわずか18分後に息を引き取った。男性は肺や大腸、小腸など14箇所を刺されたものの、幸いにも急所を外れて奇跡的に一命を取り留めた。
警察は被害男性の証言をもとに、加害者と被害者の身元を確認した。加害者は、被害女性の元夫であるファン・ジュヨン(当時34歳)だった。
彼はなぜ、元妻であるキム氏(34)とその隣にいた男性A氏にナイフを向けたのか。そこには、複雑な事情があった。

同い年のファン・ジュヨンとキム氏は、22歳だった1996年11月8日に結婚した。
結婚生活は平穏ではなかった。ファン・ジュヨンは外では誠実でユーモラスな人物だったが、家の中では180度違った。彼は激しい疑妻症(嫉妬妄想)による家庭内暴力を常習的に行っていた。妻の服をすべて脱がせてベッドに縛り付け、暴行を加えるほど加虐的な傾向を見せた。キム氏にとっては、毎日恐怖が襲いかかる地獄のような生活の連続だった。
ファン・ジュヨンにとって妻は、いつでも自分の思い通りにできる所有物に過ぎなかった。耐えかねたキム氏は離婚を要求し、結婚から約6年後の2003年1月に別れる。この時、娘は6歳だった。
しばらくしてファン・ジュヨンは、幼い娘を連れて涙ながらに謝罪して復縁を求めた。子どものことが気がかりだったキム氏は心を入れ替え、1年経たずに復縁を決めた。
しかし、ファン・ジュヨンが変わることはなかった。彼には長年の秘密があった。キム氏との結婚生活を続けながら、密かに不倫相手と会っていたのだ。
復縁から3年後の2006年、ファンは「結婚したい女ができた」と言い出し、離婚を要求する。キム氏は、この時初めて不倫相手の存在を知った。再びファン・ジュヨンの本性を見せつけられたキム氏は、2度目の離婚届に判を押した。
歪んだ所有欲が生んだ悲劇の序幕離婚届を受け取ったファン・ジュヨンは、不倫相手のB氏のもとを訪ねた。彼は「実は既婚者だったが、妻と離婚した。これからは結婚しよう」と迫った。
これを聞いたB氏は大きなショックを受けた。彼女はファン・ジュヨンと4年間付き合いながら、彼が独身だとばかり信じ込んでいたのだ。ファン・ジュヨンに対して激しい裏切りを感じたB氏は、「もう会うのはやめよう」と別れを告げた。
ファン・ジュヨンはB氏のもとへ通い、復縁を懇願した。同情を買うため、病院の患者服を着た写真を送ることもあった。ストーカー行為をしながら脅迫まがいのメッセージを送ることもあったが、最後まで彼女の心を変えることはできず、その怒りを離婚したキム氏へと向けた。
全羅北道(チョルラブクト)の南原(ナムウォン)でファン・ジュヨンと暮らしていたキム氏は、2度目の離婚後、ソウルへ逃げるようにして引っ越した。ファン・ジュヨンに見つからないよう、自分の居場所は家族だけに教えた。
彼女は癌を患い闘病中であったが、ファン・ジュヨンに居場所が漏れることを恐れて1人で過ごし、適切な助けを受けられずにいた。キム氏はファン・ジュヨンが自分を捜していることを知ると、妹に「死ななければファン・ジュヨンから逃げられないかもしれない」と嘆くこともあった。
ファン・ジュヨンはキム氏を見つけ出すため、手段を選ばなかった。最初は幼い娘をトラックの助手席に乗せ、約20日間にわたってソウルや京畿道一帯を捜し回った。それでも見つからないと、興信所に多額の報酬を払ってIPアドレスの追跡を依頼した。
さらには119番に電話をかけ、「妻が“極端な選択”をしようとしている」と位置情報の追跡を求める虚偽の通報まで行った。消防当局が位置情報を教えないと分かると、娘を囮にした。
ファン・ジュヨンは小学生の娘のメールアドレスを悪用し、キム氏に「釜山で事業に失敗して谷城(コクソン、全南)に居着くことになった。子どもを高速バスに乗せてソウルへ送るから、迎えに来てくれ」とメールを送った。
翌日、キム氏は娘を迎えに行く準備をした。約2カ月半前に知り合ったA氏に、娘の荷物を持ってやるついでに一緒に行こうと誘った。こうして2人は高速バスターミナルへと向かった。
ファン・ジュヨンは、娘を高速バスに乗せる代わりに自分の貨物車の助手席に座らせた。最初から娘を1人で送るつもりなどなかった彼は、恐ろしい計画を立てていた。
ソウルに到着したファン・ジュヨンは、ターミナルの近くにトラックを停めた。娘には「お母さんを連れてくるからここで待っていなさい」と言い残し、1人で車を降りた。自分だと気づかれないよう、肩まで届くカツラを被り、眼鏡で顔を隠した。
ところが、ファン・ジュヨンにとって予期せぬ事態が起きる。1人で来ると思われたキム氏の隣に見知らぬ男がいたのだ。
ファン・ジュヨンは当初の計画を変更し、2人をその場で殺すと心に決めて襲いかかった。結局、キム氏はこの世を去ることでようやくファン・ジュヨンから逃れることができた。
警察はターミナル周辺を捜索し、ファン・ジュヨンが乗ってきた青い貨物車を発見した。車の中にいたはずの娘はどこかへ消えていた。警察は身に何か起きたのではないかと案じ、行方を捜し始めた。
後で判明したことだが、娘は車の中で父親を長時間待っていた。この時まで、父親が母親を傷つけに行ったとは夢にも思わなかった。どれだけ待っても父親が戻らないため、ソウルの叔母に電話し、叔母の家へ行ったことが確認された。
ファン・ジュヨンのトラックを調べていた警察は、荷台に積まれていた不審な物に注目した。大人の身長ほどの物体があり、その上はシートで覆われていた。
それをめくるとタンスが現れ、その中からファン・ジュヨンの別の犯行計画を予見させる品々が次々と出てきた。キムジャン(キムチ作り)用の大きなビニール袋や大きな袋、手斧、シャベルなどだった。警察は、ファン・ジュヨンがキム氏をトラックに誘い込んだ後に殺害し、遺体を埋める計画を立てていた証拠だと判断した。
ファン・ジュヨンは犯行後、用意周到に動いた。事件当日は何一つ形跡を残さなかったが、翌日から動きが捉えられ始めた。
午前10時40分ごろ、ファン・ジュヨンは新道林(シンドリム)駅の構内にある公衆電話から義兄に電話をかけ、「昨日、事件を起こした。自分は命を絶ちに行くので、娘とトラックをよろしく頼む」と告げた。
知能的な逃走劇…途絶えてしまった足跡その後、永登浦区庁(ヨンドゥンポグチョン)駅、江南(カンナム)駅、舎堂(サダン)駅、三角地(サムガクチ)駅を経て、京畿道安養(キョンギド・アニャン)のポムゲ駅まで、ソウル全域を網羅するように複雑に移動した。警察の追跡手法を熟知しているファン・ジュヨンが、捜査を混乱させる意図があったと解釈された。
彼はまた、移動の過程で地下鉄の無賃乗車をしたり、交通カードのタッチを避けたりしたほか、犯行時の血のついたカツラや服を捨て、清潔な服に着替えた。最後に捉えられたポムゲ駅近くの百貨店前の防犯カメラを最後に、彼の足取りは完全に途絶えた。
事件発生から22日後の7月10日、ソウル方背洞(パンベドン)のネットカフェで、彼のIDで農機具の取引サイトに接続した形跡が見つかったが、防犯カメラのない場所であったため、身元の確認には失敗した。当時、彼は他人の身分を盗用して会員登録をしていたが、盗用された番号はソウルの性風俗店の女性従業員のものだった。
警察はこの女性と周囲の知人に対する捜査を行ったが、ファン・ジュヨンと結びつく手がかりは得られなかった。
専門家たちは、ファン・ジュヨンが自ら命を絶った可能性は極めて低いと見ている。
彼はブドウ栽培、農機具の仲介、タクシー運転、マルチ商法の営業など、非常に多様な職業経験を持っている。これは、身分を隠して小規模な工事現場や農漁村地域で現金を受け取りながら生活するのに最適な条件だ。
ファン・ジュヨンは話術に長け、人の心を取り入る術をよく知っているため、身分を偽ったまま新たな女性の協力者を見つけ、その名義に依存して暮らしている可能性も高い。
ファン・ジュヨンを特定できる最も確かな身体的特徴は、右耳が格闘技選手の耳のように軟骨が固まって変形した「餃子耳」の形態であるという点だ。また、身長180cmのがっしりとした体格で、笑う時に左の口角だけが上がる激しい顔面非対称を持っている。視力が悪く、眼鏡やレンズを着用している可能性が高い。今年の彼の年齢は52歳で、中高年の姿に変わっているはずだ。
ファン・ジュヨン事件は、単なる未解決事件ではない。国家の治安システムを嘲笑い、私たちの社会のどこかで「平凡な隣人」の仮面を被って生きている殺人魔との音のない戦争だ。
18年という月日の間に捜査手法は発展したが、犯人の知能的な隠遁と他人名義の盗用の前では、依然として市民からの情報提供が最も強力な検挙の鍵となる。
私たちはファン・ジュヨンという名前を忘れてはならない。彼が知人たちに「俺は捕まらない自信がある」と嘲笑った公権力と社会的正義を再び立て直すためにも、最後まで追跡して法の裁きの場に立たせなければならない。
周囲に背が高く、耳の形が特異で、すべての経済活動を他人名義でのみ処理している者がいれば、今一度注視すべき理由だ。
犯罪者が平穏に老いていく社会は正義ではない。
ファン・ジュヨンの逃走はまだ終わっておらず、私たちの追跡もまた止まってはならない。
(記事提供=時事ジャーナル)
