荒れ果てた教室をどう立て直したか? 私が直面した「学級崩壊の現実」 誰も持ちたがらない”崩壊学級”を、なぜ私が引き受けたのか

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熊本県公立小学校教諭として勤務。Google for Education AI∔Edu Fellowshipに選抜され、AI教育の実践を世界に広めている高森崇史氏。彼はいわゆる「崩壊学級」を幾度となく担当し、最後にはクラスを立て直し、全員を笑顔で卒業させてきました。

しかし、一度崩壊した学級を立て直すことは至難の技。

著書『学級が動き出す生徒指導 あきらめない先生へ贈るノンフィクション実践記』より、学級の実態や立て直しまでの方法、軌跡を解説します。

ベテラン校長が最も荒れていると評した最高学年

次年度の担任希望を提出した数日後、私は校長室に呼ばれていました。私の目の前に座るのは、校長でした。

30年以上の教職という荒波を乗り越えてきたベテラン管理職が、深いため息とともにこう漏らしました。

「来年度の6年生は、私の教員人生の中で最も荒れている……」

その言葉は、決して大げさな表現ではありませんでした。5年生までの積み重ね――いや、「積み残し」と言った方が正しいでしょう。彼らの荒れは、一朝一夕に始まったものではありません。低学年からの小さなほころびが、学年が上がるにつれて修復不可能な亀裂となり、最高学年を前にして完全に崩壊していました。

実態は凄惨なものでした。教師の話を聞かないなどというのは、序の口です。気に入らない

ことがあれば教師に対して平気で暴言を吐きます。「死ね」「うざい」「消えろ」。そんな言葉が教室を飛び交うのです。 授業中であるにもかかわらず、ふらりと教室を抜け出す子もいます。

誰も席につかない無法地帯―荒れてしまった理由と決意

彼らは廊下を徘徊するだけに留まらず、授業をしている他の学級に侵入し、茶々を入れます。

チャイムは鳴りますが、誰も席には着きません。授業と休み時間の境界線は消滅し、教室は常に「無法地帯」と化していました。

なぜ、ここまで荒れてしまったのでしょうか。それは、指導を積み残してきたからです。彼らの行動を毎年、「指導」するのではなく、「受け流す」ことを選んできた結果なのです。真正面からぶつかれば、教員の身が持たないからです。だから、見て見ぬふりをする。波風を立てず、なんとか1年間やり過ごす。そうして毎年、指導すべきことが積み残されていくのです。教師が自分の身を守るためには、それも1つの生存戦略だったのかもしれません。しかし、そのツケは確実に次年度へと回されます。「大人は自分たちを止められない」と学習した子どもたちは、より一層、タガが外れたように暴走を始めるのです。

正直に言えば、私にはその学級の担任を引き受けたくない理由がありました。

前年度に担任していた学級とは、1年間かけて良好な関係を築き、子どもたちは順調に育っていました。手塩にかけて育てた学級を、さらに高めていく1年間にしたい。

しかし、学校という組織の事情は、個人の想いだけでは動きません。崩壊した学級を誰が立て直すのか。誰も手を挙げない。誰も持ちたがらない。「あなた以外に誰が持つのか」。

そう問われ、私は返答できませんでした。最初から選択肢などなかったのかもしれません。

私は、腹を括るしかありませんでした。目の前には、愛着のある学級ではなく、「最も荒れた6年生」が待っています。それが、私がこれから足を踏み入れる戦場でした。

机や棚には「死ね」という文字、家では「担任の悪口」

「〇〇死ね」「クソ〇〇」。さあ、〇〇には何が入るでしょうか。

……そうです。私の名前です。

荒れた学級では、担任への不満が物理的に爆発します。机、椅子の背、学級図書。あらゆる場所に、担任への悪口が刻まれます。子どもたちにとって、担任の悪口は「共通の話題」であり、クラスが最も盛り上がるエンターテインメントになってしまうのです。

ひどい場合は、それが学校内だけにとどまらず、家庭にまで飛び火します。家の中で、親子揃って担任の悪口で盛り上がるのです。ある保護者から、面と向かってこう言われたことがあります。

「我が家では、先生の悪口を言っていますよ。子どもも家では担任のことを呼び捨てにしています。そうさせているのは、あなたの指導が悪いからですよ」

これでも、本に書くためにかなりオブラートに包んだ表現です。実際に私が浴びせられた言葉は、もっと冷酷で、容赦のないものでした。

週1で校長にクレームが……電話越しに響く罵詈雑言

皆さんは、知っているでしょうか。電話越しにあまりにも大きな声で怒鳴られると、受話器のマイクが音圧を拾い切れず、ぷつりと音が途切れる瞬間があることを。 受話器の向こうから、機械の限界を超えるほどの罵声が飛んでくる。そんな経験をしたことがあるでしょうか。

荒れた学級を受け持つということは、こうした「異常」に遭遇するということです。土日にクレーム対応をしたことがあるでしょうか。金曜日の夕方に始まった電話が収束せず、土曜日の朝に持ち越される。あるいは休日のプライベートな時間に緊急連絡網が鳴る。心休まるはずの週末が、翌週の対応の会議の時間に変わります。

出張先から呼び戻されたことはあるでしょうか。保護者の剣幕があまりにもすごく、「担任を呼べ!」と理詰めされ、重要な研修や出張を切り上げて学校へ戻る。そんな理不尽もあるのです。さらには、授業中に呼び出され、教室を「自習」にしてクレーム対応をしたことはあるでしょうか。

教室に残した子どもたちのことが気がかりでなりません。学びを止めてまで、優先しなければならない「お詫び」とは何なのか。その時ばかりは、恐怖や申し訳なさよりも、教育活動を妨害されたことへのどうしようもない怒りが湧いてきます。

さあ、皆さんはどのくらいこのような経験があるでしょうか。

私は、両手の指ではとても足りないほどの修羅場をくぐってきました。

おかげで今では、このような場面でも冷静に対応し、淡々と事実を話せるようになりました。何事も慣れですね。クレームの嵐を浴び続ける唯一のメリット、それはメンタルが「鋼」になっていくことかもしれません

指導をすれば反発、保護者からは「あなたの指導が悪い」

荒れている学級において、理不尽な出来事は日常茶飯事です。まず、教員に対する「敬語」が存在しません。タメ口どころか、敵意を剥き出しにした言葉が投げつけられます。その言葉遣いを正そうと指摘すれば、子どもたちは睨みつけ、さらに激しい悪態をついてきます。そして、その態度そのものを指導しようとすれば、火に油を注ぐように反発を強めるのです。

しかし、教師を本当の意味で追い詰めるのは、目の前の子どもの反発そのものではなく、その背後にいる保護者の存在です。子どもの問題行動について状況を説明し、改善を求めて連絡を入れても、理解を得られないこともあります。むしろ、「子どもが荒れているのは、あなたの指導が悪いからだ」「前の先生の時はそんなことなかった」と、責任を教師に転嫁されることさえあります。

話し合いが通じない、という絶望感にも襲われます。

ある保護者は、給食指導についてこう言い放ちました。「私の子には『嫌いなものは食べなくていい』と家で言っています。学校で無理強いしないでください」 またある時は、事実確認をしようとした私に対して、こう詰め寄られました。

「他の誰が何と言おうと、私の子が『していない』と言えばしていないんですよ。わかりますか?」。そして、提出物が揃わず、困っていることを伝えると、電話越しにこう一蹴されたのです。

「つまらないことでいちいち電話をしてこないでくれますか。忙しいんですよ」

親としての愛情、あるいは防衛本能なのかもしれません。しかし、そこには教師への信頼も、教育的な配慮もありません。教師が子どもを指導すればするほど、保護者からのクレームが入る。そして、保護者が無条件に子どもの味方をすればするほど、教室の荒れは加速していきます。

もちろん、多くの保護者は協力的です。子どもたちもそうです。多くの子は真面目に取り組もうとしています。

しかし、一部に攻撃的な保護者がいるのも事実であり、その対応に教員は疲弊します。学級も同じです。一部の子の荒れが学級全体に伝播し、全体が荒れていくのです。

本来、教育は「教師と保護者」が連携して子どもを育てるものです。しかし、この状況下では「教師vs子ども・保護者」という、いびつな構図が出来上がってしまいます。

子どもは敏感です。「親は自分の味方だ」「先生より親の方が強い」と察知した瞬間、彼らは保護者の威光を背に、より強気な態度に出ます。「家で親に言いつけてやる」という言葉が、教師を黙らせる最強の武器になってしまうのです。

こうして、学級を保つための防波堤は決壊し、荒れは止めようのない速度で加速していくのです。

後半では、このような学級を立て直した具体的な方法を紹介します。

【後編を読む】崩壊学級はこう立て直す!孤立しないための「自己開示」と「戦略」

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