野村氏の薫陶を受けた池山氏 ©産経新聞

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プロ野球が開幕して1ヵ月が経つが、誰もが予想できなかったのがヤクルトの快進撃である。シーズン開幕前のセ・リーグの順位予想では、ほぼ全員の野球評論家がヤクルトを最下位にしていただけに、4月30日時点で28試合を消化して17勝11敗の2位という成績は特筆すべきことだ。
注目したいのは、今年から監督に就任した池山隆寛氏のベンチでの振る舞いである。ピンチの場面を脱したとき、チャンスの場面で得点したときには、ベンチ内で拳を高々と突き上げて喜びを表す。監督のこうした振る舞いに勇気づけられる若い選手もいるはずだ。

◆池山監督には恩義を感じる2人の指導者が

今から7年前の2019年、当時現場から離れ、野球評論家として活動していた池山氏。筆者はある雑誌のインタビューでお会いした。

このときは、

「またユニフォームを着て、古巣のヤクルトで若い選手たちと一緒に汗を流して強いチームを作っていきたい」

と話していたのと同時に、現役時代のことも振り返ってもらっていた。

1983年ドラフト2位で入団した池山氏は、引退するまでの19年間、ヤクルト一筋の現役生活を送っていたが、池山氏を一流のプレーヤーとして作り上げていくなかで、2人の指導者の存在が大きかったと話していた。

1人が関根潤三氏、もう1人が野村克也氏である。

池山が入団した当時のヤクルトは、1週間に一度くらいしか勝てないほど弱かったこともあり、1年目からチャンスをもらえていたものの、3年目まではシーズンを通して成績を残せずにいた。

◆ホームランと比例するように三振も…

最大の転機は入団4年目の87年。この年、関根が監督に就任した。

ユマキャンプの期間中、夜間練習のときに関根は池山の立ち位置と構えだけをチェックすると、「力いっぱい振れ」とだけ言って、素振りを始めさせた。このときスイングの音を聞いては、「今のはよし」「今のはダメ」と言う以外、細かいことは一切指摘しない。

これを毎日、1時間半続けさせると、スイングの力がうまくバットに伝わったときには、「ブッ」とキレのいい音が出るようになり、やがてその音の出る確率が高くなっていった。池山の「ブンブン丸」というバッティングスタイルは、こうして誕生したのだ。

87年シーズンは「7番・ショート」でレギュラーに定着。88年はホームラン31本、89年はキャリアハイとなる34本をマークしたのと同時に三振数も多かった。87年から3年間で112、120、141と増える一方だった。

「関根さんは選手の長所を伸ばす方針だったので、僕も結果を恐れず伸び伸びプレーすることができた。たしかに三振数は多かったけど、力いっぱい振り切ることができれば次への自信につながった。僕が選手として成長できたのは、間違いなく関根さんのおかげです」

と池山は語っている。

だが、ヤクルトは勝てなかった。関根監督時代の3年間のヤクルトの順位は、4位、5位、4位と、優勝争いはおろか、一度もAクラスに入ることができなかった。

◆「タレントはいらん」の一言に困惑

そうして89年秋に関根監督が退陣すると、新たに監督に就任したのが野村だった。

池山は野村が偉大な野球人であることは知っていたものの、性格まではよくわからなかった。「いったいどんな野球をやるんだろう?」と思っていたら、野村が監督就任会見を行った翌日のスポーツ紙の見出しを見て、わが目を疑った。

「タレントはいらん」

その横に池山の顔写真が載っている。記事にはこう書かれていた。

「野球選手は野球が本分だ。それを忘れ、浮かれているような選手は、これからのヤクルトにはいらない」

「えっ、オレのこと?」と驚いたのと同時に、「会って話もしていないのに、なんちゅうこと言う監督や」と本気で困惑していたという。