江川卓 六大学リーグの通算最多勝記録にあと1勝も同級生に「胴上げ投手」譲る 3年秋は打撃で「三冠王」寸前だった
プロ野球に偉大な足跡を残した選手たちの功績・伝説を徳光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や知られざる裏話、ライバル関係など、「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”のレジェンドたちに迫る!
1973年センバツ、甲子園で「怪物・江川」がついにそのベールを脱いだ。
高校最後の夏を目前に控えたころの話から引き続き伺う。
そして、初めて「空白の一日」について江川が語った。
(前編からの続き)
【東大生に打たれた人生で初めてのホームラン伝説】
遠藤玲子(フジテレビアナウンサー):
法政に入られて、1年生の春ですけれども、この時、東大との試合で2イニングに登板されたと。
江川卓:
受験で運動をほとんどやめまして、14kg太りまして、それで春、ほとんど投げられる状態じゃなかったですよ。
フォームも崩しちゃって。それで走り込みだけで12kg減りました、春。
徳光和夫:
1年生で投げたんですか?春。
江川:
1年生の春、ちょっとリリーフかなんかで投げてるんですよね。
でも実質投げたのは秋からですね。
[ 1974年 東京六大学野球春季リーグ
入学したばかりの江川は東大戦に2イニングだけ登板 ]
徳光:
その時に、東大戦で初黒星なんですか?
江川:
最初の負けが東大です。
本当にまだ、やっぱり調子が上がってなくて、それで東大に負けたんですよね。ホームランを打たれて負けました。
[ 1974年 東京六大学野球春季リーグ 対東大1回戦
2 - 3で敗れ「大学発黒星」 ]
徳光:
ホームランって、高校時代打たれたことあるんですか?
江川:
練習試合ではあるようですけど、公式戦は1回もないです。
徳光:
ないですか?
江川:
1本もないです。
徳光:
じゃあ本当あれだ。初めてのホームランだ、野球人生の中で。
[ 1974年 秋季リーグ対東大戦 3番・キャッチャー渋沢稔(3年)に、江川にとって「人生初」のホームランを打たれる ]
江川:
キャッチャーの渋沢稔さん(3年)っていう方じゃなかったかな。打たれました、見事に。
徳光:
そうなんですね。もうやっぱり東大は研究してたんじゃないの?
1球目はこうだ、2球目はこうだと分析みたいな。
江川:
そうらしいです。すごいそのころ、東大がそういうことを全部やって、どういうボールが何球目に来るってやってたみたいですよ。
徳光:
江川さんが六大学に入ったころあたりからね、東大ちょっと強くなるんですよね。
江川:
強かったですね。
徳光:
法政のOBで、後に「近鉄パールス」っていう球団のその初代監督の藤田省三さんという方が、江川さんにとっては、非常にやっぱり出発点になるような方だったと。
江川:
これもあんまりお話したことないですけど、14kg太った時にフォームがまったく分からなくなりまして、それでどう投げたらいいか分からなくなっちゃったんですけど、OBである藤田省三さんからいろいろ教えていただきまして、フォームの直し方っていう。キャッチャーだった方なんですけど。
徳光:
藤田さん、そうですね。
江川:
自分でバッティングの本とピッチングの本を出そうとしていたらしいんですよ。だけど「お前にこれ全部教えて、ピッチングの基本を全部教えるから、あとお前が勉強してアレンジして、将来本を書くんだったら、それを利用して書いてもいい」ということで、フォームも全部直していただきまして、元のフォームに戻って、六大学である程度やるようにできるようになったわけですね。
徳光:
そうなんですか。
江川:
だからもう大恩人で。
徳光:
人生不思議ですね。
江川:
全部本当に教えていただいたんです、基本から。
それで今、それで自分の中でいろいろアレンジして、解説をさせていただいているので。
徳光:
そうですか、早稲田・慶応に行っていれば、藤田さんとの出会いはなかったかもしれない。
江川:
そうですね。
徳光:
そう思うと不思議だよね、人生ってね。
江川:
はい思います。
【六大学で打棒もさく裂? あと一歩で三冠王伝説】
徳光:
この秋に法政は優勝いたしまして、江川さんが6勝1敗。
防御率がすごいんだよね、1.14。
徳光:
史上最年少でベストナインに選ばれるということになるわけでございますけども。
当時の法政は、それこそ高校時代に思い出深い金光さんであるとか、佃さんであるとか。
[ 1974年 東京六大学野球秋季リーグ 法政大が優勝
1年生の江川は6勝1敗、防御率1.14 史上最年少(当時)のベストナインに ]
江川:
広島商から来られた方がいっぱいいました。
徳光:
来た人がいますもんね。
金光は社会人に行きますけど、植松は阪神に行きましたし、袴田はロッテに行って。
江川:
島本もプロ入りましたね。
徳光:
そうですね、ジャイアンツへ。
遠藤:
そして2年生の時は、春と秋ともに明治が優勝して、法政は2位だったわけなんですけれども、その時とにかく明治は打倒江川さんということで対抗意識がすごかったということを鹿取義隆さんが証言されています。
[ 1975年(江川2年生) 東京六大学野球春季・秋季リーグ
島岡吉郎監督率いる明治大が優勝(法政大はいずれも2位) ]
徳光:
鹿取1級下ですね。
2025年4月8日放送
鹿取義隆:
(島岡吉郎監督は)僕が3年生まで法政に負けると怒っていました。法政に負けると。江川さんがいたので勝てなかったんです。今までずっと「打倒早稲田」とかって書いてたんですけど、「打倒江川」に変わるんです。
徳光:
やっぱり江川投手は、大学時代もそんなにすごかったんですか?
鹿取:
すごかったです。ストレートに関しては急に今までのホップ率が急に上がるみたいな感じですかね。それを感じましたね。
徳光:
なんか(当時の明治大監督の)島岡さんの話ですと、江川さんに負けた時は「高校生に負けるな!」みたいなことを言ったっていう話が。
江川:
そうですか。ちょうど1年の秋に優勝できて、2年生の時は明治に負けるんですけど、その時、これは言い訳になるんですけど、右肩剥離骨折してまして、剥離骨折して春と秋投げてたんですよ。
だからあんまりちょっとボールは、明治に申し訳ないんですけど、剥離骨折してたので、オゾン注射というのを打ちながら投げてたんですね。それがようやく治って3年生の時に完治するんですけども。
遠藤:
高校はトーナメント式で勝ち進んでいくじゃないですか。大学はリーグ戦じゃないですか。ちょっと心境というか、投げるモチベーションというのは違うんですか?
江川:
野球くわしい。
徳光:
ものすごくくわしいからね。
江川:
くわしいですね。
徳光:
ものすごくくわしい。
江川:
大学野球ってそれが大事で、2勝しないと勝ちにならないので、勝ち点1ってつかないので、1試合目は先発するんですけど、2試合目は勝ってたらリリーフするので、1試合目に全力で投げちゃダメなんですよ。
1試合目全力で投げちゃうと、2試合目投げられないので。
[ 大学野球の「勝ち点方式」
同一カードで2勝したチームに勝ち点がつくルールで順位を決定
1勝1敗または引き分け試合がある場合は3戦目以降が行われる ]
江川:
1試合目はどうやって投げるかっていうと、セカンドとかサードに行くまではコントロールだけで投げて、力入れないんです。
セカンド行ったりサード行ったら全力で投げないと点数取られちゃうんで、そういう投げ方をしてたんですね。
徳光:
でもその大学時代のリーグ戦の投げ方が、あるいはバッターに対しての対峙(たいじ)の仕方が、プロ野球でギアの上げたり下げたりに結びついている。
江川:
それはあったと思います。
バッターを見ながら投げるとか、コントロールとかというのをそこでちょっと磨けたので。
徳光:
大学時代、3年・4年で連覇するわけで、法政は4連覇。
まさにその原動力になったわけですけども。
遠藤:
4連覇している時に打撃成績も…。
江川:
いいところつきましたね。
遠藤:
秋のリーグ優勝の時の打撃、打率が…。
[ 1976年秋季リーグ 江川は打撃でも活躍
2本塁打(リーグ1位)・10打点(リーグ1位)・打率.342(リーグ2位) ]
江川:
危なく3冠王だったんですよ。
徳光:
そうですよね。
江川:
一応、ホームランが2本かな。打点が10じゃなかったかな。
それで打率が3割4分か6分か分かんないですけど。
遠藤:
3割4分2厘。
江川:
2位なんですよ。そこで3冠王取っとけば話は変わったんですよ。
大谷翔平さんにもうちょっと言えるんですよ。
徳光:
ということは、この時の優勝は一番うれしいですか、3年生くらいの時の。
江川:
(うれしかった)優勝はやっぱり4回目ですね。
徳光:
4回目、学年で言うと。
江川:
4年生の最後が、また余計な話なんですけど、4年生ですからお酒飲んでいいんですけど、優勝杯っていうのがあるんですけど、そこに全員でビールを入れて飲むんですけど、僕お酒飲まないことになってたんです、みんなには。一緒に出かけないので、ほかの人と。
僕お酒飲めたので、最後についだやつを一気に全部飲んだんですよ。
江川:
これまた信じないんですよ。でっかいんですよ。
みんな途中で飲めなくなったのを僕全部飲んだんですよ。
そしたらみんなびっくりして、「お前酒飲めんの?」って言われたんです。
「もちろん飲めるよ。だけどみんなに飲むって言わなかったけど。飲めたんですよ」っていうのは思い出です。
徳光:
随所で驚かせますね。
江川:
そういうのが好きなので。
江川:
4年生の最後の試合っていうのは、秋の時に47勝目をして、48勝目が山中正竹先輩が、法政の山中先輩が持ってたんですよ。
[ 東京六大学野球リーグの通算最多勝記録は山中正竹(法政)の48勝
江川は4年秋の最後の試合を前に47勝を挙げていた ]
江川:
で、それは最後のシーズンになって新聞に書かれ始めたので、「そうなんだ」って僕知らなかったんですよ、それまでは。
「そうなの?」って、じゃあ追いつくんだなってなって、最終戦の前の日の第1試合目に勝ったんですね。
江川:
で、2試合目が鎗田英男っていう同級生が、熊谷商業から入った鎗田っていうのが先発が決まってまして。
鎗田が先発だったんですけど、その時に五明公男監督(当時)から呼ばれまして、「あした先発するか?」って聞かれたんですよ。
「あした勝つと山中さんの記録に並ぶけどな」って、「どうする?」って言われたんで、「いやいや鎗田が先発に決まってるんで、そのままお願いします」って監督に言ったら、「それでいいな」って言うから、「はい」って。
鎗田が投げて優勝したんですよ。その時が一番うれしかったんですよ。自分が投げてじゃなくて。
遠藤:
江川さんのイメージ変わります。
江川:
別に良くイメージ変えようとして、もうこの年ですから、今から変わってもしょうがないので。
遠藤:
なんか勝手にずっと私は、江川さんも自分が1人で投げて勝てばいいだろうっていう。
江川:
割とそういうタイプじゃないんですよね。
徳光:
そうだよね。
遠藤:
でも48勝並べたじゃないですか。そこはもう、そこの記録はどうでもいい?
[ 大学時代の通算成績
登板71・47勝(歴代2位)12敗・防御率1.16・完封17(歴代1位)・奪三振443(歴代2位 / 当時は1位) ]
江川:
だからそれが鎗田じゃなくて、その何でしょうね、もし3年生だったら投げたかもしれないですね。監督の言う通りね、鎗田も最後で優勝投手、胴上げ投手ですから。
徳光:
ちょっと、どんどんいいイメージになっているでしょ。
江川:
本当に今からイメージ良くしてもどうしようもないんだよ。
徳光:
そうなんだよ。遅すぎるよ。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 2025年4月21日放送より)
