【前編】「新書は臨床的メディアである」〈新書大賞2026〉受賞の東畑開人が語る、新書だから書けたこと
中央公論新社が主催する「新書大賞2026」で、東畑開人さんが臨床心理士としての20年間の集大成として書き上げた『カウンセリングとは何か』(講談社現代新書)が大賞を受賞しました。
2026年3月21日には、リニューアルオープンしたばかりの書店、三省堂書店神田神保町本店で贈賞式と記念講演が開催。「方法としての新書」と題されたその講演を、前後編にわたってお届けします。
この前編では、新書を読むとはどういうことか、そして東畑さん自身の新書との付き合い方について語ります。
構成・文/小沼理
賞について
改めて、このたびは新書大賞ありがとうございました。
先日、哲学者のハンナ・アーレントの『暗い時代の人々』(筑摩書房)を読んでいたら、最初にアーレントが賞をもらったときの講演が載っていました。
賞をもらったとき、哲学者は何を考えるのか。アーレントはこう書いています。「名誉というものは、我々に否応なく、謙譲ということを教えます」。なんだかえらそうな文章ですけど、でもすごく良いことを言っていると思いました。
本を書くことに限らずどんな仕事もそうですが、僕らは何か仕事をしたならば、何ができたかできなかったか、成功したか失敗したかを評価しなくてはいけません。そしてほとんどの場合、それは最終的に自分自身で判断しなくてはならないものです。だけどアーレントは、賞をもらったときだけは、その判定を世界に委ねることができると言っているわけです。自分で自分を評価するのではなく、人が評価してくれたものを素直に受けとる。それは判断を他者に委ねる行為です。自分ではなく、他者を信じる行為です。だからこそ、賞は人を謙譲にするのだというロジックです。
これは本当にそうだと思いました。自分で自分を判断するのは難しいことです。まして、「よくできました」と評価するのはなかなかできることじゃありません。ですから、こうして新書大賞という形で判断をしていただけたことは、本当にありがたくて、これであと10年は頑張って本を書いていけそうだと励まされました。応援いただいた方々に、そしてこの本をお読みいただいた方々に、深く感謝申し上げます。
ということで、せっかくの機会ですから、「方法としての新書」というタイトルで話をさせてもらうことにしました。それはすなわち、新書という形の本に何ができるのかという問題です。
実際、『カウンセリングとは何か』は特に「方法としての新書」を意識して書いたものです。新書だからこそ書ける本を目指したということです。新書という形にすることで、これまで書けなかったものを書けるのではないかと思ったわけです。ここに「新書とは何か」という問いが立ち上がってきます。
受賞記念の講演ですから、本当は本の内容について、つまりカウンセリングについて話した方がいいのかなとも思ったのですが、すでに本を読んでいる人もいらっしゃるでしょうし、ほかでも内容については結構話をしたので、方法について話してみようと思いました。僕にはそういう癖があって、昔、心理の学会で賞をいただいたときも、研究の中身じゃなくて、「研究の心理学」というテーマで講演をしました。研究とは一体どういう心理学的な営みなのかについて、つまり方法について話したのですが、これは見事に滑りました(笑)。ですので、今日はうまくいくといいなと祈っています。三省堂書店という再オープンしたばかりの書店が会場ですし、新書という存在について、一緒に考えられたらと思います。
小旅行としての新書
新書とは何か。これをまず「読む」という立場から考えてみようと思います。新書を読むとはいかなることなのか。
僕は新書がすごく好きで、時間が有り余っていた大学生や大学院生の頃は特にたくさん読んでいました。授業の空きコマになると図書館に行くんです。そこにはあらゆるレーベルの新書がずらーっと揃っていました。新書はずらっと並ぶ時に、真価を発揮します。世界のすべてが詰まっている本棚という感じがしたのをよく覚えています。
京都大学の図書館は、他の専門書のまわりは机と椅子なんだけど、新書のまわりにはソファがあるんですね。だから人々は新書を手に取ると、ソファーに深く沈みこんで、読みながら寝る。これが最高の午後の過ごし方で、僕にとって新書を読むことの原体験です。
新書を読むことは小さな旅行体験だと思います。たとえば、宮崎市定の『科挙』(中央公論新社)。これは中国の科挙について、昔の人がどうやって勉強していたのか、どんなプレッシャーがあったのかが書かれた名著です。僕の普段の専門分野とは直接関係がないテーマなのですが、だけど休み時間に読んでいると、日常と違う世界へ旅をしたような気持ちになるわけです。
普段知らない世界を小旅行するのが、「方法としての新書」の本質だと思います。後編で詳しく扱いますが、東浩紀さんが言う「観光」です。それは専門家になるための深い留学ではなく、ちょっとした好奇心で未知の専門分野を物見遊山する旅です。僕は心理学専攻でしたが、新書だったら、経済学でも、海洋学でも、考古学でも楽しめて、世界の豊かさにしばし驚くことができる。ですから、『カウンセリングとは何か』も旅行の案内書のような建付けで書きました。
「ちょっと見てまわる」って、楽しいですよね。異文化体験というか、知らない世界を覗き見るというか、それは小さな夢を見るようなものです。そこから、本格的に勉強してみようとなるのもいいし、そのまま昼寝に包まれていくのもよい。いずれにせよ、新書とは知的な小旅行である。早くて日帰り、長くて三泊四日の感じです。
市民に働きかける
以上を踏まえて、次に新書を書くことについて話していこうと思います。新書とは小旅行である。このとき、旅をするのは一般市民です。新書はどこの本屋さんにも置かれていて、仕事帰りや休日に本を楽しみたい人たちが手に取るものです。ですから、新書を書くとは、市民向けに書くことに他なりません。
最初にそのことを意識して書いたのが、『聞く技術 聞いてもらう技術』(筑摩書房)という2022年に出た新書です。これは人の話を聞くことができないと困っている人のために、その理由は聞く技術が足りないのではなく、むしろその苦しさを聞いてもらうことが大事なのだと伝えようとする本でした。それはある意味で、広く市民に向けた微弱な臨床的な介入であったわけです。本という形で、市民に働きかけようと試みたわけです。
2020年頃から、僕の本の書き方は少しずつ変わっていて、この新書から自分では「責任感の時期」に位置付けています。臨床心理学の今のスタンダードを、きちんと社会に接続する仕事をしなければならないという責任感を強く感じるようになった時期です。
そのきっかけも賞をいただいたことでした。『居るのはつらいよ』(医学書院)で大佛次郎論壇賞をいただいたあとから、新聞などに書かせてもらうことが増えたんです。しかも当時はコロナ禍がはじまった時期でもありました。コロナはつながりで感染してしまうものだから、その頃はつながらないことが大事にされた。つながりが途切れていく時期だった。だからこそ、心理士としてつながることの重要性を語らねばならないという責任感が芽生えた。
新しいことや面白いことを書くだけじゃなくて、役に立つことを書かねばならないと思ったんですね。心理士であるわけだから、そういう役割が期待されていて、その責任を果たすべきであると感じるようになりました。それは言葉を換えれば、本を書くということを、心理士としての臨床的な仕事と位置付けたということです。
心についての情報を提供したり、心がどのようなものかを説明したりすることを、僕らの世界の専門用語では「心理教育」と言います。たとえば、鬱の人に対して、「鬱ってこういうものですよ」と説明したり、発達障害の子どもの保護者に「発達障害の子にはこういうふうに世界が見えているんです」と伝えたりするようなことですね。
ここにあるのは、「わかる」ことが心を支えるという認識です。感情が渦巻いているときには、知性は歯が立たないというのも事実なのですが、同時にそういう感情の渦巻きを知的に理解することで、渦巻きから身を引きはがし、冷静に自分を扱えるようになるときもあります。「わかる」ことは人を助ける。自分が今こういう状態にあると、見通しを持って把握できることは心を支える。
僕にとって、新書はそのための一つの方法です。保健室の先生が体や健康について教えてくれる「保健室だより」ってありますよね。スクールカウンセラーだったら、「スクールカウンセラーだより」。ここ数年、自分はそれの「本」バージョンを書くことも仕事だと思うようになりました。『聞く技術 聞いてもらう技術』はまさにその狙いでしたし、新書ではないですが『雨の日の心理学』(KADOKAWA)もそうです。心理士が市民向けに本を書くことには、そのような臨床的な意味があると思ったということです。
社会や市民と知を接続させる
『カウンセリングとは何か』もまた明確にその意識で書かれたものです。カウンセリングに関わる人が最初に読む本になってほしいと思い、2025年の時点でカウンセリングというものをメタで捉えたときに、標準的に「大体こういうものだろう」と語れることを示したつもりです。
帯には強気に「30年読み継がれる本に」と書いていて、実際本気でそう思っていました。この先30年、これからカウンセリングを受けようという人、周りにカウンセリングを勧めたい誰かがいる人、カウンセラーになりたい高校生や大学生、そういうあらゆるカウンセリングの関係者たちが最初の一冊として読んでくれて、カウンセリングの世界への入り口になる本になればと思っていたわけです。そこにはこの社会にカウンセリングという選択肢を根付かせようという意図がありましたし、市民の生活や人生の中で「心」というものがどのように働いているのかを伝えようという意図がありました。そのようにして、心を大事にすることが社会の一部になればという心理教育であったわけです。
こうして市民向けに書き、市民の生活や人生に役立てる本、あるいは市民の心に働きかける本でありうることが、新書の大きな強みだと思います。地方の小さな本屋さんにも、駅の中の本屋さんにも、つまりどこの本屋さんにも新書の棚がありますよね。それはありふれた日々の生活の中に新書が混じりこむ可能性があるということです。
このとき、知は介入の道具であり、働きかけそのものです。新書とは社会や市民と知を接続させる方法であり、社会や市民に働きかける方法でもある。読むことで行動や気分がちょっと変わること、苦しいときにはこういうふうに人に接したらいいんだって勇気がでること、そうやって家庭や職場の雰囲気が少し変わること。そういう臨床的な狙いを込めうるのが新書であり、その意味で新書は臨床的なメディアだと僕は思います。
後編〈「新書は専門知を町びらきする」〈新書大賞2026〉受賞の東畑開人が挑戦した、専門知を社会と結び直すこと〉では、「新書とは何か」についてさらに詳しくみていきます。
