3児の母・福田萌、シンガポールでの家事育児と「頼れる人がいない」現実…5年間悩んだ末の選択
数年前にシンガポールに移住し、12歳の女の子と9歳と2歳の男の子、夫の中田敦彦さんと暮らしている福田萌さん。
タレントとしての仕事をしながら、母親同士がつながるサロンを提案したり、防災士の資格をとったり……一人の母として、女性として、妻として、仕事人として、感じたことを福田さん自身の言葉で綴ってきたこの連載が書籍化され『「中田敦彦の妻」になってわかった、自分らしい生き方』として刊行。「妻に合わせる気が全くない“ジェット機型走者”」の夫・中田敦彦さんとの激動の人生、ジェットコースターのような毎日がまとめられている一冊だ。
頼れる人がいないシンガポールで、3人の子育てをする福田さん。家事、育児、仕事に追われる日々の中で、5年間悩み続けてきたことがある。試行錯誤の末にたどり着いた選択と、その先で見えてきた家族のかたち、そして「自分にできること」への気づきを綴る。
5年間、悩んでいたこと
散々これまで悩んできたことだ。
それは、シンガポール生活をする上で、住み込みヘルパーさんを雇うかどうかということ。これまでもFRaU webの記事で触れてきたが、シンガポールでは、住み込みで他国からのヘルパーを雇う家庭も多く、マンションにはヘルパールームが備え付けられている場合も少なくない。およそ6〜7世帯に1世帯がヘルパーを雇用していると言われている。※
私が住む今の家には、ヘルパールームとヘルパーさん用のバスルームがある。いつも空っぽのその部屋を見るたびに、いつかここに誰か来ることがあるのか、と思っていた。
とはいえ、私はフルタイムで働いているわけではないし、今のところ、夫と協力して家事も育児も回っている。それより、新しい人と一緒に住むことや、私たちの生活習慣を誰かと共有することの煩わしさの方が勝っていた。聞くところによると、トラブルも多々あるのだそうだ。
一番の私の心の突っかかりは、誰かの手を借りて家事や子育てすることは、私がこれまでふんばってふんばって取り組んできた日々を否定してしまったりはしないだろうか、そんな怖さだった。「ヘルパーさんと暮らしてみたい。でも……」この自問自答の5年間だった。
切羽詰まった私とヘルパーさんの出会い
結論、今、私は住み込みヘルパーさんと暮らしている。
彼女の名前はローズと言い、私と同じ40歳のフィリピン人で、シングルマザーだ。
2025年9月、夫が長期で日本に出張中、長女がインフルエンザにかかり、私の感染待ったなしの状況になった。もし私がインフルエンザになったら、誰が子ども達の看病をし、まだ1歳の次男や他の子ども達の面倒を見るのだろう。異国で頼れる人がいない心もとなさ、心細さが私を襲った。
そこからの私の行動は早かった! 月曜日にヘルパーエージェントに出向き、その週の金曜日にはローズと暮らしていた。そのときのことは目まぐるしくて、エージェントに着くや否や、そこに待機してたヘルパー10人と面談した。面談で見るべきポイントは、ヘルパー雇用経験のある友人からアドバイスをもらい事前に整理していた。
面談では、全員に「なぜ前の雇い先を辞めたのか」を重点的に尋ねた。事情はさまざまだったが、中には前のオーナーへの不満や愚痴のように聞こえる話もあった。その中でローズは、感情を上乗せすることなく、辞めた理由だけを淡々と語り、前の人のことを決して悪く言わなかった。その姿勢から彼女の仕事のスタンスや性格の良さを感じた。
そしてもうひとつ、今思えば小さなことだけど、その日ローズは可愛いカチューシャをつけていて、それが彼女によく似合っていていいなと思った。理屈と直感、その両方が重なって「この人だ」と思えたのだった。
でもそこで即決してしまうことに躊躇していた私は、エージェントの勧めでローズを次の日家に呼び、子ども達と対面してもらった。子ども達と愛犬チョビに挨拶している彼女を見て、やはりこの人だ! と運命を感じ、契約することにした。政府への届出、必要な家具調達などの手続きを済ませ、金曜日には一緒に暮らし始めていた。シンガポールで長く暮らす友人も「聞いたことのない速さ」と驚いていた。今振り返ると、当時はそれくらい、切羽詰まっていたのだと思う。遠隔だったが、夫とローズでビデオ通話による面談も行った。夫は「萌がそう決めたのならいいと思うよ」と一任してくれた。
ローズは朝一番に起きて、子ども達のお弁当と朝ごはんを作る。私はその音で目覚め、私が次男の着替えや朝の遊びに付き合っている間に、私にコーヒーを淹れてくれ、子ども達とローズの作った朝食を食べる……そんな具合に1日が始まってはや6ヵ月。
ローズは家事がとてもうまい。しかも、こちらが10言わずとも理解してくれる力があって、子ども達にも愛犬チョビにも優しい。シンガポールで15年間ヘルパーとしてやってきただけあって、出るところと引くところのバランスがプロフェッショナルだ。日本家庭で働くのは初めてだそうだが、日本食のレシピを喜んで習得してくれる。私が料理をしたいときは、下ごしらえをお願いしたりする。私がシェフなら、彼女はスーシェフ。家ではそんな具合で回っている。
助けてもらって見えた大切なこと
まるで二人三脚のようにローズに家事の大半を手伝ってもらえる一方で、家事や育児は果てしなくタスクがいっぱいあることがわかった。ローズもやるけど、私がやらなきゃいけないことは多い。特にイヤイヤ期に差し掛かった次男のケアなどは骨が折れる。それでも、これまで自分が頑張ってきた日々を悲観することはなく、いやあ、今までこれを一人でよくやってきたな、と自分で自分を労いたくなる気持ちだ。
ローズが家に来て、これまで朝起きたときに感じていた胸のつかえの正体がわかった。まるで胸の奥に氷を抱えているかのようなその冷たさは、起きた瞬間からタスクに追われるストレスとプレッシャーだったのだ。それが軽減されただけで、心にゆとりが生まれて、子ども達にも温かく優しくできるようになった。
育ってきた文化がそもそも違うため、ローズに何かをお願いするときははっきりと英語で示さないと伝わらない。言語化することで、自分の譲れないところや大切にしているものも見えてきた。誰かに家の中に入ってもらうことは、視点が一つ生まれるのだなと気づきを得た。
ローズは「You should date with sir. That’s good for family.(旦那さんとも積極的にデートして。それは家族にとっていいことですよ)」と促してくれて、週に一回夜に夫と出かけている。そんなこと、子ども達が成長した後の楽しみだと思っていたけれど、週に一回でも夜に夫婦で出かけることが、こんなにも自分を整えてくれると思わなかった。独身のときや子どもが生まれる前の夫婦関係に、久しぶりにこんにちはしてる気がして、円満を維持できている気がする。
自分には何ができるか、考えたい
15年前に子どもを残してシンガポールにやってきたローズ。その話を聞いたとき、私はうまく言葉を返せなかった。でもローズを知れば知るほどに、私はローズの人生を全力で肯定したいと思っている。
当時3歳と8ヵ月の2人の子どもをフィリピンの親族に託し、子ども達の教育のために収入をとシンガポールへ渡ったローズは15年前、どんな気持ちだったんだろう?
「あなたは何年シンガポールに住んでいるのだっけ?」とある日彼女に聞くと、「住むのではなく働いています。15年です」と答えた。
そう、彼女にとってシンガポールは働く場所で、年に一度の2週間の休暇以外は、誇りを持ってこの仕事を続けているのだ。
私には子どもを誰かに託して異国の地で職を探す勇気は、ない。一番上の子はもうすぐ高校を卒業するらしい。「時間はあっという間ね」と呟くローズの人生を思うと胸がぎゅっとなる。
以前FRaU webで住み込みヘルパーさんのことを書いたとき、読者の皆さんの間で少し議論が巻き起こった。経済の格差を利用した労働の搾取だ。人道的に問題がある、というお声をいただいた。私もその考えに立つ側面もあり、この5年間踏み切れずにいたし、正直今もうまく答えは出せていない。
でもはっきりと思うことはローズと出会えて良かった、ということだ。彼女の人生を知れたこと、そういう生活があるということ、自分がいかに満ちているか、その上で私は何ができるだろう、私の役割はなんだろうか。
子ども達への影響もいい方向に行っている。ヘルパーさんと暮らして「ウォーター」とつぶやいたら水が出てくるのが当たり前、そんな子どもになってしまったらどうしよう、と心配していたけど、今のところ子ども達はローズにそんな扱いをする兆しも見えず、ローズを叔母のように姉のように慕っている。その姿にホッとした。私たち親が「対価を払って仕事をしてもらう」ことは「上下関係ではない」という姿勢を見せること、ローズへの尊敬の態度を見せることが大切なのかもしれない。
私たちとローズとの暮らしはいつまで続くかはわからない。けれど、この出会いをきっかけにローズをサポートし続けたいと思うし、私にも、私の子ども達にも、ローズという人の人生が教えてくれるものはたくさんあるような気がしている。
