60周年を迎えたランボルギーニ・ミウラ『公式』ヒストリー(2) 若き才能が生み出した革新的スーパースポーツ
ダラーラとスタンツァーニ率いる若きエンジニアチーム
創業から2年も経たない頃、ランボルギーニは依然としてニッチなメーカーであったにもかかわらず、350GTによってすでに技術的な野心を打ち出していました。
【画像】初期モデル『ランボルギーニ・ミウラP400』と、先に公開された『ベアシャシー』 全27枚
創業者フェルッチオ・ランボルギーニは初代GTカーを誇りに思っていましたが、さらにパワフルな車両を構想していました。ジャンパオロ・ダラーラとパオロ・スタンツァーニ率いる若きエンジニアチームが、その夢を現実化する任務を引き受けました。

ミウラの心臓部には、バンク角60度の3929ccV12エンジンを横置きに搭載。 アウトモビリ・ランボルギーニ
当時のミウラの心臓部には、バンク角60度の3929ccV12エンジンが横置きに搭載され、4本のカムシャフト、V字型のオーバーヘッドバルブ、7ベアリング構造のクランクシャフト、12個のスロットルバルブを備えた4つのウェーバー40IDL3Lキャブレター(後のIDL403C)を搭載していました。
また、このエンジンのクランクシャフトは通常とは異なり、反時計回りに回転しました。1964年以降は、ダラーラ、スタンツァーニ、ニュージーランドのテストドライバーであるボブ・ウォレスらが、モータースポーツから着想を得た新たなスーパースポーツカーのアイデアをベースに共同開発を進めました。
彼らはその作業の後に続けて、性能面を妥協することなく調整された、すぐに走行可能なプロトタイプシャシーを製作しました。フェルッチオ・ランボルギーニはプレゼンテーションを受けて即座にこのアイデアのポテンシャルを認め、プロジェクトL105として400TPの開発を進めることを承認しました。
トリノ・モーターショーでベアシャシー展示
1965年11月3日のトリノ・モーターショーにおいて、ランボルギーニは運転席の後方に横置きで搭載したエンジンと併せて、サテンブラックで仕上げたシャシーを展示しました。このモデルは、ランボルギーニ350GTおよび350GTSと並べて配置されました。
ベアシャシーがこれほど注目を集めたことは、それ以前にも以降にもありませんでした。厚さわずか0.8mm、多数の穴あけ加工が施されたこのスチール製の箱の重量はたった120kgで、4本の白いエキゾーストパイプは一瞬で来場者の視線を惹き付けました。

1965年11月3日のトリノ・モーターショーではベアシャシーのみを公開。 アウトモビリ・ランボルギーニ
これはサンタアガタ・ボロネーゼの若きスポーツカーブランドが自らの実力を表明した瞬間であるとともに、革新的な第一歩となり、複数のデザインスタジオがこのアイデアに基づいて、このシャシーを覆うエクステリアの製作を支援することを申し出ました。
しかし、ランボルギーニは申し出の受け入れを躊躇していました。伝承によると、ヌッチオ・ベルトーネがショーの終盤にランボルギーニ・ブースに現れ、彼が最後に立ち寄ったコーチビルダーだったとされています。
ベルトーネは展示されていたシャシーを仔細に観察した上で、フェルッチオ・ランボルギーニに「この素晴らしい足(シャシー)にぴったりの靴(ボディ)を仕立てよう」と語り、ベルトーネ自身のスタジオがデザインすると自信を持って告げたそうです。
実際にこのような対話があったかどうかは定かではありませんが、この逸話がふたりの起業家の間ですぐに生まれた相互理解と創造的な合意を印象的に表していることは、揺るぎのない事実です。
心が浮き立つようなボディワーク
マルチェロ・ガンディーニがデザイン責任者を務めていた当時のカロッツェリア・ベルトーネとの最初のコラボレーションでは、高さがあり幅広のサイドシルが特徴のスチール製シャシーに、心が浮き立つようなボディワークが施されました。
初回の打ち合わせからわずか数週間後、1966年1月初旬にベルトーネのデザインが確定し、30名のベルトーネ従業員の協力のもと、3月中にはプロトタイプが完成しました。このプロトタイプは快適性と信頼性を生み出すと同時に、驚異的な性能数値を達成しました。

ランボルギーニ・ミウラP400 アウトモビリ・ランボルギーニ
パワフルなV12エンジンが軽量ボディと組み合わされ、ホイールのデザインも刷新されました。1966年3月、ジュネーブ・モーターショーのベルトーネのブースにて、アウトモビリ・ランボルギーニは既成概念にとらわれないオレンジ色のモデルを発表しました。
そのミッドシップエンジンという概念はクルマの重量配分を根本的に変え、当時としては比類のないドライビング体験を実現しました。そこにベルトーネの卓越した、息をのむほど美しいエレガントなデザインが組み合わされることで、見事な調和が生まれました。
伝説に刻まれた名前『ミウラ』
ランボルギーニと闘牛のシンボルとのつながりは、ブランドの歴史に深く根ざしています。ランボルギーニが初めて有名なスペインの闘牛の品種名を意図的に採用したのが、『ミウラ』でした。
このモデルは、ドン・エドゥアルド・ミウラ・フェルナンデスが飼育したパワフルな闘牛種にちなんで名付けられました。このストーリーはランボルギーニの後続モデルの命名においてもそのまま引き継がれています。

ランボルギーニ・ミウラP400 アウトモビリ・ランボルギーニ
ミウラ、エスパーダ、イスレロ、その後のムルシエラゴなどの名前は、伝説的な闘牛とその特徴を意図して表現したものです。
ランボルギーニがカロッツェリア・ベルトーネとデザイン面でコラボレーションしたのは、初めてのことでした。定評ある同デザインスタジオは、新たな基準を打ち立てたボディを製作しました。
フラットかつワイド、エレガントでありながらアグレッシブなミウラは、まるで獲物に襲いかかる寸前の捕食者のようです。そのシルエットは低く、車両の全高はわずか105cm程度であり、まつ毛を思わせる印象的な形状のポップアップ式ヘッドライトとゆとりのあるエアインテークは、今日でも時代を超越した外観として位置付けられています。
*3月25日夕方公開予定の『60周年を迎えたランボルギーニ・ミウラ『公式』ヒストリー(3)』へ続きます。
