広島テレビ放送

写真拡大

“ミスタープロ野球”の死去に広島からも惜しむ声です。読売巨人軍の長嶋茂雄・終身名誉監督がけさ亡くなりました。交流のあった“ミスター赤ヘル”山本浩二さんが長嶋さんへの思いを語りました。

■山本浩二さん
「同じようにミスターと言われていても本当のミスターは長嶋さん」

3日午前、取材に応じた山本浩二さんは「ミスター」への尊敬の念を表しました。

■山本浩二さん
「いざ聞くと寂しい。本当に残念。目標の人というかすごくかわいがってもらった。現役時代もそうだが、現役終わって食事にいったり、ゴルフとか、ことあるごとにお会いして、かわいがってもらったのが思い出に残っている。現役中はもう憧れの人で、バッティングフォームが右打者の見本のような、あのフォームは目に焼き付いている。素晴らしいバッティングフォームだと思って見ていた。1番は現役時代の若い頃、あの人が名前を呼ぶのを、ちゃんづけで呼んでくれるの「こーちゃん こーちゃん」と。それがうれしくてね。回りを明るくする人で、いろんなエピソードがあるけどすごく頭の良い人だと 思う。一生懸命回りを心配させないように努力されていたのは、いたいほど分かったので、長い間ご苦労様でしたと言いたい」

長嶋さんが、監督として初めての優勝を決めたのは、広島市民球場でした。1976年10月、シーズン最終戦でカープを破り、喜びに浸ります。

■長嶋茂雄さん
「皆さん本当にあらためて感謝します。ありがとうございます」

■リーガロイヤルホテル広島 柏原弘明さん
「メロンを半分に切って、その真ん中に冷たいアイスクリームをのせてお召し上がりになるのも印象に残っています」

監督時代、広島遠征で利用していたホテルの部屋です。当時、部屋の案内や食事を届けるなどしていたスタッフが、こんなエピソードを教えてくれました。

■リーガロイヤルホテル広島 柏原弘明さん
「松井選手と館内で一緒に行動されるときは身振り手振りで非常に熱心に指導されていたのも思い出に残っています」

カープのレジェンドから惜しまれる声です。同じ内野手として2000本安打を記録した野村 謙二郎さんは・・・。

■野村謙二郎さん
「(僕が)小学校1年生だったと思うが、長嶋さんの引退試合をライブでテレビで見てて初めてうちの父親が、長嶋さんが引退する時に父親が涙を見たのが初めてで、長嶋ありがとうっていうことも、 今も思い出すし、それがきっかけで僕が野球を始めるような感じで、 野球人生をスタートした。自分がプロ野球選手になってジャイアンツの監督として初めて見た時は、すごく興奮したというか、強烈なインパクトを今でも思い出す」

池谷 公二郎さんはルーキーイヤーに長嶋さんと対戦しました。

■池谷 公二郎さん
「今でも覚えています。2打席対戦してショートに内野安打を打たれたことを覚えています。ファーストに長嶋さんがこうやって走ってセーフとなって、うれしい自分がいた。長嶋さんが打ってくれた。ずっとファンでしたから」

新井監督にとって、名選手であり名監督でもあった長嶋さんとは・・・。

■新井貴浩 監督
「ショックですしびっくりしています。私の中ではテレビの中のスーパースター。思い出は私が2年目の時日南キャンプに来ていただき、守備を教えていただいた。そのときすごく緊張したと覚えています。プロ野球の象徴のような方。すごく悲しいです」

【2025年6月3日放送】