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猛烈に働き、勉強して評価されたアシスタント時代の実績

――マーケティングの仕事をするようになったきっかけから教えてください。

教師になるつもりで大学では教育学部に籍を置いていたのですが、旅行先のニューヨーク・マンハッタンで見た巨大な看板やデジタルサイネージなどの屋外広告が、多様な人種の心を捉え、購買を動かしている様子に感動して、マーケティングに興味を持ちました。結局、卒業後も公務員の道には進まず、日本企業でキャリアをスタートしました。

その後、FMCG(日用消費財、Fast Moving Consumer Goods)の会社に転職してアシスタントになりました。マーケティングの知識が身に付いていなかったので、アシスタントの仕事の傍ら、『ハーバード・ビジネス・レビュー』やMBAに関する本をひたすら読んで座学を進めるうちに、3年くらいでブランドマネージャーに昇進できました。

――アシスタントから約3年でブランドマネージャー。会社によりけりと思いますが、早い昇進ですよね。よくあるケースですか。

それほどよくあるケースではありませんが、マーケティングの経験を積めるのが楽しくて、いろんな先輩方の仕事に首を突っ込んだり、週末の販促イベントにも志願したりしていましたので、熱心に見えたのだと思います。

そんなときに、手を挙げて参加した新規プロジェクトが会社全体の5%の売り上げを作って企業業績にアドオンした実績を評価されました。FMCGで売り上げを5%上げるだけでなく、利益を残すのは大変です。さらに、そのプロジェクトで手掛けた製品が1年後にグローバル製品に採用されたことも影響したと思います。サプライチェーンも含めて海外とのパイプを構築できたので、当時駆け出しの私としては胸を張れる実績です。

もちろん、良いことばかりではなく、誤発注して焦がしてしまったことなど失敗もいろいろと経験しています。ただ、それでも今と違うと感じるのは、冗長性というか遊び心を排除しないカルチャーが当時は残っていたことです。

――当時勤めていた会社が、ですか。

20年近く前の話ですが、会社だけでなく、時代がそうだった気がします。当時は冒険したくなって突拍子もないアイデアを提案しても、会社が頭ごなしにノーとは言わず、基本的には耳を傾けてくれました。「投資はいくらで、ROIはどれくらい?」「やれるのならやってみたら?」で動けてしまうカルチャーが時代の中に存在しました。その時代にマーケターとして育ててもらえたのは、幸せだったと思います。今のように「もっと生産性を上げられないか」「もっと効率化できないか」と追われる時代だったら、成長も昇進ももっと時間がかかったかもしれません。

ロジカルなコミュニケーションが重視される外資の働き方

――その後、FMCGから一度LGエレクトロニクス・ジャパンに転職し、一旦デロンギに移って、またLGエレクトロニクス・ジャパンに戻った、と。外資での働き方で、意識したり注意したりしていることはありますか。

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記事執筆者

早川巧

株式会社CINC社員編集者。新聞記者→雑誌編集者→Marketing Editor & Writer。物を書いて30年。
Twitter:@hayakawaMN
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