『明日ちゃんのセーラー服』はなぜ “作画がいい” のか?
『明日(あけび)ちゃんのセーラー服』は、今年1月から放映スタートした新作の中でもそう表現されることが特に多い1本と言える。
主人公は、田舎の名門女子中学に入学することになった少女・明日小路(あけび・こみち)。
その学校の制服であるセーラー服を着ることに憧れていた小路は、母親のお手製のセーラー服に身を包んで入学式へと向かうが……周囲の同級生たちはみんなブレザー制服? 何と学校の制服は、かつてのセーラー服からブレザーへと変わっていたのだ!
そんな驚きからスタートした小路のキラキラを輝くような中学生ライフを、柔らかなタッチで描くこの作品。たくさんの ”初めて” を体験してく小路や周囲の友達の青春の日々を観ていると、思わず応援したい気持ちになる。
そんなこの作品にとって、「作画がいい」ということはとても重要かつ必要不可欠なポイントだ。
”作画がいい” とはどういうことか? --そうあらためて考えると、作品ごとに必要とされる表現はさまざまで、実は簡単には定義できない。
だが、少なくとも『明日ちゃんのセーラー服』の特徴として指摘されている ”作画のよさ” は、小路はじめとした登場人物の仕草のひとつひとつが些細なものから大きなものまで、とても丁寧に描写されているということだろう。
顔のデザインや表情芝居などはアニメーション的にデフォルメされており、それはそれで大いに魅力的だが、瞬間的な動作は非常にリアルだ。
象徴的なのは第1話冒頭、小路が田んぼのあぜ道でバック転からのアクロバットを披露するシーンで、助走から踏み切り、身体をひねって宙を舞うしなやかな姿が印象的に描写される(結果、用水路に着地してしまい濡れネズミ、という流れもチャーミング)。
その後も、長い髪を結わえたり、憧れのセーラー服をついに身に着けたり、といった動きが細かくリアルに描かれる。
派手でトリッキーなバトルアクション等は、アニメーションの ”華” として注目されることも多かった。
一方で日常的な動作は、地味だが身近なだけに不自然さが目立ちやすく、作画が難しいとされる。
近年はそうした ”日常芝居” にもファンが着目するようになり、制作側もその丁寧さに注力することも多く、『明日ちゃんのセーラー服』も、そうした傾向に位置づけられる作品であるのは間違いないだろう。
(C)博/集英社・「明日ちゃんのセーラー服」製作委員会
『明日ちゃんのセーラー服』で、そうした作画の魅力がなぜ重要なのか?
その理由のひとつは ”原作” だ。
『明日ちゃんのセーラー服』は、博(ひろ)がWEBサイト『となりのヤングジャンプ』で連載中のWEBコミックが原作。
この ”WEBコミック” であるという点が、とても重要だ。
先ほどあげたアクロバットのシーンは、原作の ”プロローグ” で何と1ページにつき1ポーズずつ、18ページにもわたって描かれている。セーラー服を着るシーンも、その動きに18コマを費やしている。
これは、ページ数が比較的自由なWEBコミックだからこそできる描写で、ページに限りがある雑誌連載では、不可能とは言わないまでも相当に困難だろう。
原作の連載開始は2016年で、京都アニメーションなどの功績により ”日常描写” の重要性や魅力がすでに注目を集めていた時期だ。
京都アニメーションの ”日常描写” 、そしてささいな仕草へのこだわりは、アニメーションのキャラクターに生命力や活力といった生々しい存在感を与え、記号を超えた肉感的魅力さえ醸し出して多くのファンに支持され、その後のアニメ作品に大きな影響を与えた。
博による原作の描写はそうした ”仕草” へのこだわり、しかも ”動き” で存在感を感じさせることへのこだわりという点で同様の方向性を感じる。
動きを感じさせることで、登場するキャラクターたちの存在感を生々しく伝える。
そして、セリフやストーリー以外の部分でもキャラクターたちに読者を惹きつけ、共感を呼び起こし、応援したいという気持ちにさせる。
原作はそうした ”動き=アニメーション” 的な魅力を内包していた。
そして、それを実際にアニメーションで表現してみせたのが、放送中のアニメ版なのだ。
そういう意味でも「『明日ちゃんのセーラー服』は ”作画がいい” 」のだ。
そして、”作画がいい” ということは『明日ちゃんのセーラー服』という作品の本質と、しっかりとつながっている。
(C)博/集英社・「明日ちゃんのセーラー服」製作委員会
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