【ムー昭和オカルト回顧録】「不幸の手紙」…小学校を襲った「不安の連鎖」
映画『リング』(1998年)を初めて見たとき、松嶋菜々子が山荘のテレビで「呪いのビデオ」を再生してしまうシーンで、なにやら妙な感覚にとらわれたことを覚えている。

呆然とした表情でビデオを見てしまった松嶋菜々子は、映像が終了した途端にふと我に返って、後悔と不安とが入り混じったような、さらにはそういう気分を自ら「馬鹿馬鹿しい!」と否定するような、なんとも釈然しない顔で「ふぅ……」と大きなため息を吐く。
そこで「あれ? この感覚は僕も知ってるゾ」という感じがしたのだ。そして、なんだか妙に懐かしい気分になった。妙な言い方だが「懐かしい“嫌な感じ”」という不思議な感覚である。
映画を観終わったあとでよくよく考えてみると、その懐かしさの正体は、小学校の1年生か2年生のときにクラスで巻き起こった「不幸の手紙騒動」だと思いあたった。
ある日の放課後の学級会で、担任の先生が僕らにこんなことを言った。
「みんなの間では今、『不幸の手紙』という遊びが流行っているそうですね。でも、こんなものは遊びとは呼べばせん。卑怯ないたずらです。人を傷つける嫌がらせです。今後は二度とそんなことをしてはいけません。もしみなさんのなかに『不幸の手紙』をもらった人がいたら、必ず先生のところへ持ってきなさい。誰が出したのか、先生がよく調べて必ず突き止めますから」
詳細はよく覚えていないが、ほかのクラスの女子が誰かに「不幸の手紙」を送りつけられ、それを泣きながら職員室に持ってきた……といったような事件がきかっけだったと思う。ともかく学校全体が「緊急事態!」みたいな雰囲気になったのだ。
重々しく「不幸の手紙禁止令」を言い渡した担任の先生の深刻な顔を眺めながら、僕はただ「大げさだなぁ」と思っていた。
当時、正確に言えば1970年あたりから、確かに「不幸の手紙」は全国的にも社会問題になっていた。新聞、テレビ、週刊誌なども盛んに取りあげていたと思う。僕のクラスで学級会が開かれたのは1973年以降のはずなので、少なくとも数年間に渡って、「不幸の手紙」は子ども文化のなかに暗い影を落としていたのだろう。
しかし、僕らのクラスで流行っていたのは、あくまで「不幸の手紙ごっこ」だった。ホットなニュースになっている「不幸の手紙」を子どもなりにマネして、単なるギャグというかパロディとして、ノートの切れ端に書いた「不幸の手紙」っぽい文面(それぞれの子が独自にアレンジし、笑いを取るような内容になっているものが多かった)を休み時間に誰かの机にこっそり置いたり、授業中に手渡しでリレーしてまわしたりしていただけなのだ。
わざわざ自分の小遣いでハガキを買い、本格的な「不幸の手紙」の文面を書きつけて、それを郵送で送りつけるという作業は、小学生にとってはちょっと荷が重い。僕も周囲の友達も、いたずらとして手渡す「不幸の手紙」はさんざん送りあったが、「本式」に手を出すような子はいなかったはずだ。単なるいたずらに、そこまで手間暇をかける気にはならなかったのである。
しかし、先生の口ぶりでは、どうも「本式」の「不幸の手紙」を送付したヤツも校内に何人かはいたらしい。そうしたモノ好きな連中のせいで、僕らの教室で流行していたギャグとしての「不幸の手紙ごっこ」は、以降は完全に「禁じられた遊び」になってしまった。
遊びのなかにもあった一抹の「不安」
遊びとはいえ、僕らが楽しんでいた「不幸の手紙ごっこ」にも、ときおりは神経がささくれ立つようなザラザラとした感触を感じることはあった。ほとんどの手紙の内容は基本的には冗談で、冗談である以上は、最終的には「犯人」がわかる。「犯人」がわざわざ名乗り出ることも多かった。
「あっ、あの手紙、お前だったのか!」
「アハハハ! お前、本気でビビッただろう?」
「ビビッてねえぇよ!」
……みたいなやりとりがあって、初めていたずらにオチがつく。オチがないと、仕掛けた方にも満足感がない。しかし、たまに最後まで誰が発信元なのかわからない手紙が出まわることもあったのだ。
遊びで送る「不幸の手紙」には、「4時間目までに〇〇ちゃんの頭を3回たたかないとあなたは死にます」とか、「次の休み時間に校庭を10周走らないと交通事故にあいます」とか、馬鹿馬鹿しいうえに、「こういうアホな手紙をオレに送ってくるやつはアイツに違いない!」という目星が簡単につくものがほとんどだった。しかし、発信元のわからない手紙に限って、文面は「本式」の「不幸の手紙」に即した特徴のないものが多かった。
「3日以内にこの手紙を10人の人にまわしてください。そうしないと、あなたは1年以内に死にます」
こういう手紙が来ても、僕らはたいてい「ふざんけんな、バカ!」などと言ってクシャクシャに丸めてしまう。それから「お前だろ?」などと互いに詰問しあい、最初の発信元を突き止めようとする。しかし、誰もが「違う、違う」と首をふる。どの子もなかなかシッポを出さないし、どうもウソをついているようにも見えない。それに、いまさらこんな工夫のない基本的な「不幸の手紙」を、わざわざコイツらが送りつけてくるとも思えない。コイツラなら、なにかもっと凝ったアイデアのおもしろい手紙を送ってくるはずだ。だとしたら、誰だ? もしかして、女子の誰かか? 女の子に恨まれるようなこと、最近したっけ?
……なんて考えているうちに、結局、こういう一件はウヤムヤなまま終息するのだが、しかし、友人との間に微妙なシコリのようなものは残ってしまう。「どうでもいいよ、もう!」と問題を手放したあとも、ある種の疑心暗鬼が心の奥底でムズムズと蠢くのだ。
同時に、やはり若干の「不安」も芽生えてくる。「あなたは死にます」と断言する単純な文章は、あまりに単純であるからこそ、多かれ少なかれ確実に人を動揺させる力を持っている。「一応、手紙の指示通りにしておいたほうがいいのかなぁ?」なんてことが一瞬頭をかすめたりもするのだが、「そんなアホなことができるか、馬鹿馬鹿しい!」とすぐに否定し、自分のヘタレ具合が恥ずかしくなって自己嫌悪に陥ったりする……。
『リング』を観たときに思い出した「懐かしい“嫌な感じ”」は、まさしくこういうときのモヤモヤだ。
「不幸の手紙」というシステムの根底にあるのは、人の弱さというか、誰もが持っている利己的な保身の欲求を意識の奥底から強制的に引っぱりだし、それを利用・媒介しながら拡散していく「不安の連鎖」とでも呼べるメカニズムだと思う。最初の発信者が密かに抱いていた陰湿で卑劣な「匿名性の悪意」が、手紙の仲介者にも次々と「感染」していく。こうしたことに嫌悪感を抱く人も、保身のためにリレーした途端、自動的に「陰湿で卑劣」にならざるを得ないようなルールが設定されているのだ。多くの人の漠然とした不安で構成される方向を持たない「匿名性の悪意」のようなものが、無目的に独り歩きし、ただクモの巣状に広がっていく……。
あらためて考えてみればなんとも不気味なシステムだが、同時に「よくできてるなぁ」などと妙な感心もしてしまう。こうしたやっかいで巧妙なシステムは、いつ誰か考案したのだろう?
……といったことについては、次回以降で考察してみたい。今回は単なる思い出話のみに終始してしまったが、次回は1970年ごろに流行しはじめたとされる「不幸の手紙問題」の概要と、当時の子ども文化に与えた影響などを回顧してみる。

初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」
◆第20回 80年代釣りブームと「ツチノコ」
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◆第3回 70年代「こどもオカルト」の源流をめぐって
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関連リンク
初見健一「東京レトロスペクティブ」
文=初見健一
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