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攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」や「東のエデン」といった作品を手がけてきた神山健治監督の初オリジナル劇場アニメ「ひるね姫」がいよいよ2017年3月18日(土)に公開となります。

GIGAZINEでは神山監督へのインタビューを実施してなぜ2020年を舞台に選んだのか、デジタル化での作品作りはどうだったかなどの話を聞いていますが、また改めて、その作劇術などについても話を伺ってきました。

GIGAZINE(以下、G):

「ひるね姫」は一歩間違えると荒唐無稽なSFファンタジーになりそうなところをギリギリ限界ラインまで踏み込んで攻めていて、一方では現実の延長線上にあって地に足のついている感じがして「上手に作ってあるな」と感じたのですが、このギリギリのラインをどのように考えていくかという基準のようなものはあるのでしょうか。構成については、公式サイトのインタビューによれば「もともとあったアイデアを夢という形に落とし込むまでにかなりの時間がかかりました」とのことですが。

神山健治監督(以下、神山):

紆余曲折ありまして。最初は「SFファンタジーをやろう」という感じで企画書を出したのですが、そこから1年位は具体的な脚本開発には入れないでいました。忙しかったというのもあるのですが、なかなか「ひるね姫」の企画を具体的に進めることができなくて、そこには自分の気分的なものもあったと思います。

G:

気分というと?

神山:

震災をまたぎながら作った「009 RE:CYBORG」という作品で、一番最初に石ノ森章太郎先生の故郷である石巻で上映をさせていただく機会があったときに、今までに自分が作ってきた作品はどこかそれ以降の日本の現状とフィットしない部分があると思っていたんです。僕が「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」以降に自分で見つけた作劇法というか、いわゆるドラマツルギーをそのままやっていてはダメな気がするというか。あと、今まで書いてきた「世界を救うヒロイン」などの物語に対して、「現実の中では世界は救われないじゃないか」という思いが沸いてきて、自分の中での創作の動機とズレが生じたんだと思います。



G:

ふむふむ。

神山:

作り手はそんなにたくさんのテーマを同時期に持っているわけではなくて、せいぜい1つか2つなんです。僕は10代のときにJ・D・サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」という作品に出会い、「スター・ウォーズ」「機動戦士ガンダム」を経てアニメ作りを志すようになりました。そしてあるとき、「もっと『ライ麦畑』みたいに、ものすごく個人的な思いの独白のみのアニメを作れないだろうか」と思うようになり、20代はずっとそのことを模索していた時期でした。ただ、その頃はそんなものがアニメになる要素は一切なくて、「何を考えているんだ、こいつは」と思われるぐらいでした。SF要素もない、ファンタジー要素もない、奇想天外な「アニメに求められる要素」の何もないものを僕は作りたい、20代はそういうことを言っては企画を出し、そして敗れ去っていました。

G:

なんと。

神山:

それがたまたま「攻殻機動隊SAC」にああいう形で忍び込ませることで、一つの形になっていく中で、「僕自身を形成する作劇法」というのを一つ見つけ出すことができました。ドラマツルギーというのはなかなか自前のものを見つけられない人も多いなか、かなり頼っていた部分もありますが、まさに「STAND ALONE COMPLEX」という言葉に象徴されるように「全体と個人」ということをテーマかつ作品を作る上の取っかかりとして、社会で起きている一番大きな問題にコミットしながら個人を描いていくというのが僕のスタイルとなっていった気がします。



G:

そういった今までの作品を見てきたので、PVを最初に見たときには「えっ?こういう内容なんだ?」と驚きました。



神山:

今までは設定から描いていって個人にたどり着いていたのですが、今回はアプローチを正反対にして、個人から描こうと思いました。本当に、個人だけでも良いと思いました。「ライ麦畑でつかまえて」のような、僕なりのライ麦畑を描こうと思ったんです。そうはいっても、この時代でもそれだけでは企画が成り立たない(笑) その中で、今回は「東のエデン」から続く「世代の問題を描きたい」という意識と、やはりファンタジー要素が欲しいということに対しての1つの答えが、アーサー・C・クラークが定義したクラークの三法則の「高度に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」という言葉をヒントにした「いつも描いているテクノロジーを魔法に置き換えてみよう」という発想でした。それは企画段階で受けが良かったんですが、一番良いと思うアイデアが作品を作る上で一番邪魔になることもあるんです。

G:

一番邪魔になる!?

神山:

「一番良いと思っているものが一番弱点の場合があるので、それを捨てる勇気を持て」というような格言がピクサーにもあったように記憶していますが、まさにこれにぶつかりました。「すごく良いじゃないか」という周りの声を核にして物語を作っていったら、周りが喜べば喜ぶほど、僕の中では「個人の物語と全体の物語」でまた今までと同じになってしまうのではないかということと、これは物語を走らせる上では邪魔になってしまうかもしれないという恐怖というか危機感みたいなものが同時にありました。



G:

その危機感はだんだんと大きくなっていったのですか、それとも突然目の前に現れたものですか?

神山:

わりと最初からです。脚本を書き始めてすぐそのことには気付いたのですが、やはり捨てがたい魅力もあった。「危険な香りもするけどこれは絶対に融合するはずなんだ」という一心で書き上げた……というのが、このせめぎ合いになっているのかなと思います。

G:

なるほど、「攻めた」感じに見えるのはその通りだったからなのですね。インタビューの中では「『アニメーションに何ができるのか』を自問する日々だった」ともありますが、作り終えてみて、アニメーションに何ができるのかという疑問の答えはある程度出ましたか?

神山:

SNSなどが普及したことで、今は個人が最も力を持てる時代になっているとも思います。そういう時代においては、「個人の独白」こそがある種のエンターテインメントで、今までは目を向けられることのなかったような、予期せぬ“思い”が万人に共感を得る独白となることだってけっこうあるのです。そういうところを拾い上げていく、見つけ出していくことを目指しました。ただ、先ほども言ったようにそれだけではどうしても作品にならないので、それを作品にしていくための技法を見つけていくことも、我々がやるべきことでもあると思うのです。

G:

作品にならないというのは、どういう部分で作品にならないのでしょうか。

神山:

いろいろなケースがありますが、題材単体だと光って見えるけれど、並び立てると光らないという題材もあります。料理でいうと、1個ずつ食べるとおいしい食材でも、混ぜると相性が悪いというようなことです。ただ「絶対に無理だ」と言われているものがおいしくなる場合だってあります。「カレーと納豆」だって、やってみれば悪くはない。

G:

なるほど、「プロの存在」とはそういう部分だと。

神山:

そうですね。そこを自分はやるべきだと思います。

G:

先日シネマトゥデイに「なぜ日常系が流行る?『攻殻機動隊S.A.C.』神山監督が感じたアニメファンの世代交代」というタイトルのインタビューが掲載されて、監督は「自分もそうだが、今はあまり重い作品、深刻なストーリーを観たくないという感覚がある」と答えていましたが、その感覚は「ひるね姫」を作るときにどういう影響を与えたのでしょうか?本編を拝見するとクライマックスへ至る中でどんどんとヘビーなお話になっていた印象があり、監督からするとこれはあまりヘビーではないと捉えておられるのだろうかと思ったのですが。

神山:

ヘビーではないと捉えているわけではなくて、結局、自分が書きたいものを書いていくしかないんです。入口としては、自分を含めて、ヘビーなモノは見たくないだろうなと考えた。ただ、僕が違うものをやろうと思っても、作り手はそんなに大きく違うテーマをいくつも持っていませんから。手つきやドラマツルギーは変えられたとしても、映画を作っていく上での根拠として、僕の中には「今、社会で起きている一番大きな問題と切り結ばない作品を作る意味があるのだろうか」ということがあるんです。



G:

ああ……監督の今までの作品を思い浮かべても、確かに腑に落ちます。

神山:

今回は個人からスタートしましたが、書いていくうちに今の問題と切り結ぶ部分を求めたくなってくる自分がいて……もちろん、「重たいものは見たくないはずだ」ということは自分でも持っていましたが、その先には、いくら目をつぶっても現実が存在するんだということを描かずにはいられない。……目をつぶってしまった方が、きっとハッピーなんでしょうけれど(笑)

G:

こうして改めて言葉にして伺うことで、「それでああいう展開になるのだな」と、すごく納得です。

神山:

結果的にほっこりはしますが、お父さんとお母さんに何があったのかとか、社会で何が起きているのか、東京で何が起きているのか、もしかするとココネは知らないでいた方がハッピーに暮らせるのかもしれません。



G:

今までの作品も「神山健治監督っぽさ、神山作品っぽさ」があったのですが、その「ぽさ」というのはSF方面のものなのか、あるいはストーリー面なのか、いろいろな複合的なものなのか、何なんだろうとずっと考えてきたのですが、「ひるね姫」を見た時に、これまでの作品とはかなりベクトルが違うはずなのに、一番強烈に「神山作品っぽさ」を感じたのは、このあたりの理由だったんですね。

神山:

そうかもしれませんね。

G:

作品を作るときにはリソースが有限で、どこに多く時間と手間を費やし、逆にどこを軽く仕上げるか、というような作業の優先順位を決める必要があると思うのですが、神山監督の場合はどのように決めているのでしょうか?

神山:

自分が歳を取ったからかもしれませんが、「作品が第一」なのは変わっていませんが、それが表層に表れる感じは歳を取ると共に変わってきています。

G:

表層というと?

神山:

可能な限り、「未来がある現場」を作らないといけないということを、以前にも増して考えるようになっています。その一つが、環境のデジタル化でしょうか。今は普通に使われていますが、モブキャラはCGで賄うとか、自動車のように「作画だと大変だけど形が変わらないことの方が求められるもの」もCGに置き換えていこうとか、正確さが求められるようなレイアウトもCGでやるとか、そういったことをかなり早い段階でやってきたつもりです。手描きのアニメーションを続けていく上でも、アニメーターのリソースをそういうことに割いている場合ではないというところからスタートしていますが、「アニメーターの未来」というのも作画の1つのリソースですから、彼らが描けなくなったり、新しく描きたいと思う人がいなくなってしまえばそもそもアニメ自体作れなくなってしまいます。そういうことまで同時に考えていなかればいけないのではないかというのが僕の考えです。

G:

CGの話が出たのでお伺いしたいのが、エンディングのクレジットに「瀬戸大橋CG」という役職が個別に設けられていました。これだけが単独だったというのは……

神山:

そのぐらい大変でで担い手の見つからない作業だったからです。瀬戸大橋といっても全部を再現したわけではなく一部ではあるのですが、その一部に関してはほぼ再現しています。「ネジの大きさ」とまでいうと大げさかもしれませんが、構造などはかなり再現してもらっていて、それは、ある種の特殊技能なんです。「CGだと何でもできる」と思われがちですが、使うときには情報量を減らさなければいけないとか、ある意味、面倒な手描き作業と変わらないんですよね。



G:

なるほど。

神山:

「CGはコンピューターがやってくれるんでしょう?」という作業に思えますが、手で描くのとはまた全然違いますから、とても根気のいる特殊な技能なんです。

G:

最後の質問です。作品を作っていると疲労困憊することもあると思います。そういうときはどのように休んでストレス解消やスイッチの切り替え、リフレッシュをしているのでしょうか。

神山:

今後どうなるかは分かりませんが、今はまだギリギリ体力があるので、作品を作っている間は休みはとりませんね。映画作りにおいて「絵を描く」「脚本を書く」「色彩感覚」「音楽」など、どれを取っても一流なものが自分にはないと思っていますが、もし僕が世界ランクに入れるものがあるとしたら「粘り強さ」だと思います。そこだけはもしかするとイチローレベルかもしれません(笑)



G:

休まず粘り続ける……それはすごい……。

神山:

なので、「ストレス解消・発散」というのもないんです。

G:

最後にとんでもない質問をしてしまいました……(笑) 今回はばらばらといろいろな質問にお答えいただき、ありがとうございました。

映画「ひるね姫」はいよいよ3月18日(土)公開。神山健治監督が新たなアプローチをしつつも、これまでのアニメ作りで培ってきた『らしさ』も織り込んだ、1つの集大成的な作品となっています。



・スタッフ&キャスト

原作・監督・脚本:神山健治

キャスト:高畑充希、満島真之介、古田新太、釘宮理恵、高木渉、前野朋哉、清水理沙、高橋英樹、江口洋介

音楽:下村陽子『キングダム ハーツ』

キャラクター原案:森川聡子『猫の恩返し』

作画監督:佐々木敦子『東のエデン』、黄瀬和哉『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』

演出:堀元宣、河野利幸

ハーツデザイン:コヤマシゲト『ベイマックス』

制作:シグナル・エムディ

配給:ワーナー・ブラザース映画

©2017 ひるね姫製作委員会