羽柴秀吉が山崎の合戦前に書いたとみられる書状(中京大文学部所蔵)明智光秀が敗れた「山崎の合戦」に、羽柴(豊臣)秀吉は遅参していた―。関連の書状を入手、分析した中京大の馬部隆弘教授(日本中近世史)が提唱する説に注目が集まっている。馬部氏は「秀吉は、本能寺の変で光秀に討たれた主君・織田信長の弔い合戦に間に合わなかった事実を伏せたかった。うそが通説として広まった」と強調する。合戦は、現在の京都府大山