「朝鮮名探偵2」オ・ダルス“3億人を動員しても寂しいのが役者の人生”
オ・ダルスは映画の撮影現場がとても寂しいと語った。しかし、その孤独の時間が俳優には必ず必要な演技の材料であり、俳優を俳優らしくする通過儀礼でもあるという。
「どの俳優でもそうだと思いますよ。僕が知っているほとんどの俳優たちは、十中八九一人でいることを楽しむ人です。僕もそうです。俳優同士でお酒を飲むのは、実は本当に居心地がよくないというか。それぞれ演技の計算や作品を見抜く観点を持っている人同士が、演技がこうだの、作品がどうだの…それは要らない言葉なんです。結局俳優は一人で戦わないと」
「俳優はとりあえず観客一つだけを見ていきます。撮影の前日に徹夜で研究をするのも、ミョンミンと向かい合って演技をするのも、結局は観客に見てほしいからやっているんです。俳優の裏を覗くと、すごく切なくて寂しいです。3億人を動員したとしても多分寂しくて虚しいでしょう。俳優は死ぬまで観客のために生きるんです。役者というのはそんなものです。『チュ・ソンウン研究』という本を読むと、『俺は前世にどれだけ多くの罪を犯して今こんなこと(演技)をしているのだろうか』という文があります。僕が一生の話頭として掲げている言葉です」
キム・ミョンミンがキャラクターを自身に積極的に体化させるメソッド的演技をするとしたら、オ・ダルスはキャラクターを客観化させるタイプだ。オ・ダルスは「その人物に思う存分開いて会うのではなく、若干距離を置く。僕が(そのキャラクターに)届くことができないと思ったら諦めるし、できると思えたら僕に連れてくる」と語った。
「ミョンミンは練習をものすごくするんです。映画でアドリブのようなシーンも、実は全部ものすごい練習を通じて誕生したものなんです。徹底した計算のもとでです。それが本当に不思議です。実はですね、アドリブは簡単にできるものではありません。即興的だなんてありえないですよ。約束をしておかないと。演技はお互いへの約束なのに、相手は準備ができていないのにアドリブをしてどうするんですか。それは自分の才能を自慢することにすぎません」
オ・ダルスは俳優の存在価値は“香り”で漂うことになると強調した。どのキャラクター、どの衣装、どのジャンルでもその俳優だけの香りが漂うことになるという。
「一般的には俳優の色と言っているようですが、僕は色ではなく香りだと言っています。オ・ダルスだけの香りがあるんですね。この香りがそのまま俳優としての存在の意味、価値だと思います。例えば映画『レイジング・ブル』(1980、監督:マーティン・スコセッシ)のロバート・デ・ニーロも映画のオープニングとエンディングで極端を行き来する演技を披露していますが、彼だけの香りは消えていません。果たして僕がオ・ダルスだけの香りを消すことができるのでしょうか。神様になれない限り、それは難しいと思います」
