東大卒独身男が20年続ける「豊かな無職生活」
「東大を出たのに何をやっているんだ」「せっかく一流企業に入ったのにこんなことで本当にいいのか」……。
20数年前。会社をやめてプータロー生活をはじめたぼくに対して、友人たちは口々に説教した。企業戦士としてバリバリ仕事をしている連中だったから、働き盛りの30代、40代を仕事をせずに過ごす生き方を受け入れられなかったのだろう。
ぼくの年収は、約100万円。日本新党の立ち上げに関わった一時期を除けば、会社をやめてから、親が遺してくれた古マンションの賃貸料でやりくりしてきた。
国民年金保険料や国民健康保険料、NHK受信料、住居費などを支払うと、1カ月間で使える食費、光熱費、通信費、交通費などの生活費は、3万円。1日3食の食費は、500円。当初、月の生活費は8万円ほどだったが、それではプータロー生活の継続が難しい。そこで、5万円、3万円と徐々に落とした。
だが、ムリをして切り詰めているわけではない。ストレスが溜まるほどの節制を自らに強いるなんてもってのほか。月3万円あれば、節制や我慢とは無縁な豊かで楽しい毎日を送ることができる。いま、そう実感している。
月5万円と3万円の違いとは何か。豚肉にたとえれば、100グラム120円と80円の差にすぎない。どちらも100グラム1000円の肉にはかなわないが、手間暇をかければ、40円の差なんていくらでもカバーできる。
バランスが大切なのだ。食事でいえば、値段とそれに見合うおいしさ。安いからといって、おいしくない物を食べ続けるのは、人生の損失だ。
わが家の食生活を支えてくれているのが、ホームベーカリー。長期的な採算性を考えると、何に初期投資をするかが重要になる。高価なのでずいぶん悩んだが、いくつもの商品を比較して「捏ね機」の機能があるものを選んだ。パンだけではなく、うどん、パスタ、ソバ、餃子の皮、ピッツァ生地……。様々な料理を調理できるようになった。
ピッツァは得意料理のひとつだ。自家製の生地(75円)に自家製トマトソース(120円)を塗り、家庭菜園で栽培したバジルの葉、モッツァレラチーズなど(調味料込みで303円)をのせてから、ガスコンロを使う家庭用ピッツァ窯(1万円)で焼けば、マルゲリータのできあがり。
総額498円でピッツァを2枚も焼けるのだから、やめられない。2000円を超える宅配ピッツァを頼むのがバカらしくなるほどだ。
その日食べたい料理を手間暇をかけておいしく作る。月に何度か、ぼくのマンションに友人たちが集まってホームパーティが開かれる。付き合っている女性もいる……。ぼくは、年収100万円の生活に不満もストレスもまったく感じていない。いまの暮らしが、本当に楽しくて仕方ない。
■会費は「割り勘」。同級生と自宅宴会
とはいえ、当初は働かない自分に罪悪感もあった。それは、会社員時代にいつの間にか染みこんだ価値判断があったから。どちらのほうが上か下か、儲かるか損か……。
大学卒業後、大手飲料メーカーに就職し、広報部に配属された。社内の人間関係もよかったし、やりがいもあった。
けれども──。これから何十年もこんな生活を続けていいのか。自分自身にウソをついているのでは。そんな疑問を抱く出来事があった。
入社5年目。社内の定期検診で、十二指腸潰瘍が治った痕があるといわれた。知らぬ間に病気にかかり、いつの間にか治っていた。体の変調に気付きもせずに働いていたのだ。トイレの鏡の前で同僚と談笑していたときの自分の顔が忘れられない。ぼくの顔は、不自然に引きつって、ゆがんでいた。心と体が悲鳴をあげていると思った。
当時はバブル景気で、ぼくはまだ30歳だった。小説家を目指すといって退社した。小説を書いてみてダメだったら、再就職すればいいや、と甘く見ていたのだ。
しかし30代後半になって書き上げた小説はモノにならなかった。「うちで働かないか」と誘ってくれる友人もいたが、ぼくは10年近く無職。バブルも弾けた。迷惑をかけてしまうのがわかっていた。
何より、ぼくは、節約生活に面白さを覚えていた。
会社を辞めてからも、高校や大学の同期会や仕事仲間の呑み会に誘われれば、極力参加していた。節約が生活の中心になって、お金を惜しんで家に引きこもり、友人との付き合いが疎遠になってしまうのがイヤだったからだ。とはいうものの、呑み歩くと1万円単位のお金が簡単に飛んでしまう。大出費である。
「うちに呑みにこない?」
6年ほど前、高校時代の同級生を誘ったのがホームパーティを開くきっかけだった。
会社勤めの友人たちも、昔のように交際費や接待費は出ない。社内での立場のせいか人間関係が複雑だから、同僚や後輩と呑むのも気を使う。子どもは手がかからない年頃になっている……。
そんな状況が重なったからか。手作りの料理を囲むホームパーティは、大好評だった。食材と酒代を入れて、ひとり2000円ほどで済んだのも大きかったようだ。
いつの間にか、ホームパーティは定例化した。奥さんや子どもを連れて遊びにくる友人もいるし、地方で暮らす仲間もやってくる。入れ代わり立ち代わり17人も参加した日もあった。中華、イタリアン、エスニック……。ぼくのレパートリーも増えている。
年収100万円といえども、友人たちに気を使わせたくはない。会費はきっちり割り勘にしている。筋を通して対等な関係でいたいからだ。
プータローになったぼくを批判していたヤツも、最近は年齢のせいか、こんな言葉を漏らすようになった。
「おまえみたいな生き方もいいよなあ」「月3万円でこんな生活ができるのか。老後に希望が持てるよ」……。
ぼく自身も、毎月3万円で楽しく過ごせると知ったら、働かない罪悪感も将来への不安も消えた。1日1日をいかに豊かに生きるかを第一に考えるようになった。
だからといって、明日どうなってもいいというわけではない。いまの暮らしを健康に続けるため、毎朝の散歩と筋トレ、体重の管理、そして瞑想。日々、心と体のマネジメントは欠かしていない。
ときにはパソコンの故障など、予想外の出費もある。それも踏まえて年間の予算を立てる。それがうまくいくのも、またうれしいのだ。
状況に合わせて、いかに面白さや幸せを見出すか。選択肢は無限にある。だから年収100万円でも、将来に不安がない。もしも、わが家の経済状況がさらに厳しくなれば、頭を切り替えればいいのだ。2万円で、どう豊かに暮らしていけるか、と。
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大阪府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、大手酒類メーカーに入社し広報マンとして活躍するが、30歳で退職。その後、定職に就くことなく20年以上たつ。神奈川県在住、独身。
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(山崎寿人 構成=山川 徹、撮影=永井 浩)