危険な「幹細胞ビジネス」には厳しい視線を
だが、日本国内でヒト幹指針にもとづいて行われている臨床研究はまだ二十数例にとどまっているし、臨床研究は科学的根拠や安全性の確保、患者保護の観点からある程度の設備や人員が必要であり、どこでもできるといった代物ではない。つまり、こうしたクリニックが行う「幹細胞治療」と称するものが正規の手続きを踏んでいるとは考えにくく、細胞の移植法や安全性などについて開示情報がきわめて不十分で、正当な医療行為といえるのかどうか、グレーといわざるをえない。
こうした行為はすでに数年前から報道されており、2005年にはアメリカのニュースサイト・ワイアードビジョンはロシアにおける野放しの幹細胞治療を紹介しており、脂肪由来の体性幹細胞はおろか、ES細胞と称するものを注入されるような施術も行われているという(「Stem-Cell Craze Spreads in Russia」2005年3月14日『WIRED』http://www.wired.com/medtech/health/news/2005/03/66904)。
●◇「臍帯血から得た幹細胞バンクが勧める医療機関は詐欺まがい」◇
2010年2月、米科学振興協会(American Association for the Advancement of Science、AAAS)の年次大会で、幹細胞研究の第一人者として知られる米カリフォルニア州スタンフォード大学アービン・ワイスマン教授が、「臍帯血から得た幹細胞バンクが勧める医療機関は詐欺まがい」という主旨の発言を行っている。ワイスマン教授は、前掲のようにタイやロシアなど規制が緩い国では効果が実証されていない、そして安全性への配慮の乏しい幹細胞移植が横行していることを踏まえ、適切なルールのもとでの再生医療研究の進展を訴えたものだ。
たしかに、臍帯血から得られた幹細胞は白血病治療のための移植ソースとはなりうるが、臍帯血由来の造血幹細胞が脳や心臓、血液や骨格筋をつくれるわけではない。また、韓国のベンチャーが行っているように脂肪由来の幹細胞をそのまま点滴するという行為が、現在の糖尿病治療を上回る治療効果があるのか、その根拠となる科学的知見は多いとはいえない。
もちろん、さまざまな団体は現状に手をこまねいているわけではない。幹細胞研究に係る国際組織である国際幹細胞学会(ISSCR)では、幹細胞を用いる臨床研究に携わる研究者向けに「幹細胞の臨床応用に関するガイドライン」を定め、幹細胞研究者が科学的根拠や安全性の乏しい「幹細胞治療」を安易に行わないようガイドラインを設定している。
さらに、幹細胞治療に関心をもつ患者に対しては「幹細胞治療について患者ハンドブック」*1を作成し、自分が受けようとしている治療法が公的機関から承認されているものなのか、もしくは臨床研究や治験の承認等を受けているのか、そして科学的な根拠をもつのか、といったことを確認するよう推奨している。
*1:「幹細胞治療について患者ハンドブック」2008年12月3日『日本再生医療学会』
http://www.jsrm.jp/member/isscr.html
●◇高度で先進的な医療を受けるための機会が失われる◇
筆者は決して先進的な医療行為に否定的なのではなく、むしろ幹細胞を用いたさまざまな医療が一般の患者に大きな利益をもたらすことを期待しているし、現在の日本では再生医療研究へ厳しい規制が課せられていることには憂慮している。
たとえば、日本のバイオベンチャー企業であるセルシード社は、「角膜再生上皮シート」を用いた治験を日本ではなくフランスで行ったという。また、再生医療関連製品として日本ではじめて保険適用をうけた「ジェイス」(重篤なやけどなどに対して移植される自己細胞由来の培養皮膚)は、実際の患者を治療する場合には保険適用分だけでは十分な量が移植できず、混合診療(保健診療と自由診療の併用)を禁ずる日本の制度下では、企業の厚意によって無料で製品が提供されているという現状もある。再生医療を取り巻く日本の環境の厳しさを物語っていよう。
