桜はただ愛でるだけではもったいない。「戦争の象徴」にもなった波乱万丈な歴史とは…
道端に咲く花や、観賞用のサボテン…日常に溢れている「自然」の背景について考えたことはあるでしょうか。今回は、自然の美しさとおもしろさを伝えることを軸に、ネイチャーガイドや自然教育、ワークショップなど提供され活躍されているノダカズキさんの著書『自然はすごい いつもの道が美しく見える5つの視点』より一部を抜粋してお届けします。
【書影】何の変哲もなかった世界が豊かに見えてくるはずです。ノダカズキ『自然はすごい いつもの道が美しく見える5つの視点』
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あなたの花見はいつから?
お花見は春の風物詩。花を見ながらお酒を飲んで笑っている現代ですが、もともと花見は「作物の豊凶を占う行事」。古代の人々は、桜の開花を「田の神さまがその年の作柄を教えてくれている」と考えていたのです。
「桜」の語源にはいくつかの説がありますが、特に興味深い説では「サ」は春に山から里へ舞い降りる“田の神”を意味する「サ神」のこと。そのサ神が一時的に降り立つ場所を「クラ(座)」と呼びました。「さくら」は“神の座”というわけです。春になると、山からやってくる神が桜の木に宿るのです。桜の開花は田植えを始める目印であり、神の到来を知らせるサインでもありました。
つまりお花見は古代の人々にとって、祈りと暮らしが織り込まれた神事に近いものでした。桜が早く咲けば「今年は豊作だぞ」、逆に遅ければ「これはちょっと心配だな」といった具合に、花を見て収穫を予想していました。山形県の庄内地方では、桜が早く咲く年は豊作になるとされ、広島ではヤマザクラの開花が遅いと凶作の兆しとされたそうです。
桜はただ「きれいだな」と愛でるための木ではなく、「自然の声を聞くための装置」であり、信仰の対象でもありました。咲く、という一瞬の現象を通じて、天の意思を読み解こうとした。桜の花は、神の言葉であり、予言のサインでもあったのです。
桜の波乱万丈な物語
桜が日本の文献に初めて登場するのは、8世紀に編纂された『日本書紀』です。履中天皇が舟遊びをしていた際、盃に桜の花びらがひらりと舞い落ちた、という美しい情景が記録されています。桜はただの植物ではなく、風流の象徴として扱われていたのですね。
とはいえ、当時の主役はまだ桜ではありませんでした。奈良時代の和歌集『万葉集』に収録された歌の数を見ると、梅に関するものが118首に対して、桜はわずか40首ほど。桜はまだ“準主役”のポジションに甘んじていたようです。
ところが、平安時代に入ると、両者の立場が逆転します。『古今和歌集』では一気に桜の歌が増え、梅を上回る存在感を放つようになります。仁明天皇はとくに桜を愛したことで知られ、宮中では「桜の宴」がたびたび催されました。この時代から「花といえば桜」という感覚が人々の中に根づいていったのです。
その後の『源氏物語』でも、桜は美の象徴としてしばしば登場します。
平安貴族の時代を経て、武士の時代が幕を開けると、桜はその存在感を一層強めていきました。とくに鎌倉時代以降、桜は「散ること」の象徴として評価されるようになります。「花は桜木、人は武士」という有名な言葉が残されているように、潔く咲いて潔く散るその姿が、死を恐れず戦に臨む武士の美学と重ねられていったのです。
時代が江戸に入ると、桜は一転して「庶民の娯楽」の花になります。それまで桜を楽しんでいたのは、もっぱら貴族や武士階級でした。しかし江戸の町では、芝居見物、花火、そして花見が三大レジャーに数えられ、桜文化は一気に庶民レベルで広がっていきました。
この時代には品種改良も盛んに行われ、実に250種類以上の桜が存在したといいます。まさに桜の黄金期です。花を見て一杯やるというスタイルが、日本中に定着していきました。
社会の“空気”が命運を左右する
明治時代に入ると、桜の運命にも大きな転機が訪れます。西洋化の波が押し寄せ、「武士っぽいもの」は古くさく、時代遅れの象徴として切り捨てられていきました。江戸時代に愛された桜の品種の多くが「封建的だ」とされ、あろうことかバッサリと伐採されてしまったのです。かつて「武士の魂」とまで言われた桜が、薪にされてしまうなんて、皮肉にもほどがあります。
そんな逆風の中で、唯一生き残り、むしろ勢力を拡大していったのがソメイヨシノです。ソメイヨシノは江戸後期の1800年頃にはすでに存在していましたが、本格的に注目されるようになったのは明治以降のこと。特に軍国主義が高まる中で、「一斉に咲いて、一斉に散る」というその性質が評価され、日本陸軍の象徴として全国に植えられていきました。

(写真提供:Photo AC)
実際、陸軍のシンボルマークにも桜が用いられ、「大和男子と生まれなば、散兵線の花と散れ」という軍歌も残されています。桜の儚さが、命をかけることの美しさと重ね合わされていたのです。
そして戦争が終わると、かつて軍の象徴だったソメイヨシノもまた、時代の逆風にさらされることになります。戦後の混乱期には、まず食糧増産が最優先され、桜の木が次々と切り倒されていきました。加えて興味深いのは、流行歌の中からも桜が消えてしまったという点です。戦後にヒットした曲を調査したところ、桜をモチーフにした歌はほとんどなかったという話もあります。
桜は一時的に、「思い出したくない過去」を象徴するものとして、社会の中でそっと封印されていきました。
桜の歴史に思いを馳せて
それでも桜は、しぶとく生き延びてきました。高度経済成長期に入ると、復興とともにお花見文化が再び盛り上がりを見せはじめます。企業は「花見」と称して宴会を開き、ブルーシートを広げるスタイルが全国に拡がっていきました。
かつては戦争の象徴だった桜が、やがて春の風物詩として再び人々の心に根づいていったのです。
駆け足で簡潔に桜の歴史を振り返ってきましたが、今、あなたが見ている桜には、かつて「武士の魂」とされた時代も、「軍の花」と呼ばれた過去も宿っています。
でも、それを知ったうえで眺める桜は、きっと少しだけ深く、そして少しだけやさしく見えてくるはずです。
※本稿は、『自然はすごい いつもの道が美しく見える5つの視点』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)の一部を再編集したものです。
