9日、中日戦で交代を告げる阿部慎之助監督

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今後も目が離せないヤクルト

 巨人がGW中の広島、阪神、ヤクルトの9連戦、そして8日からの中日3連戦を4勝8敗、4カード連続で負け越した。36試合を消化して18勝18敗の五分、首位・ヤクルトに4.5ゲーム差だ。

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 言うまでもなく巨人は低迷、ヤクルトは大躍進だ。ともに岡本和真、村上宗隆の主砲が抜けたチームだけど、ヤクルトは若手が躍動している。

 攻撃野球を徹底し、先発・救援陣を整備した。そして外野を中心としたレギュラー争いがチームを活性化している。ヤクルトから今後も目が離せない。

 2位の阪神は近本光司がケガで離脱、中野拓夢も負傷で一時スタメンを外れたが佐藤輝明を中心に主力がしっかりしている。脇を固める選手たちも働いている。

9日、中日戦で交代を告げる阿部慎之助監督

巨人は「その場しのぎ打線」継続

 さて、巨人だ。私は巨人OBで、もちろん巨人ファンだ。阿部慎之助監督は後輩だ。頑張ってほしいと願っている。

 だが、いまの巨人を見ているとビジョンとか目標が見えないし、さらに言えば本当に優勝したいのか。伝わってこない。

 36試合を消化して日替わりのいわば、「その場しのぎ打線」が続いている。同じ打順で臨んだのは2〜3試合ではないか。昨日打ったから今日も打つだろう。昨日本塁打を打ったからきょうも打ってくれるのではないか。こんな選手起用をする傾向がある。

 10日の中日戦(バンテリン)で丸佳浩を今季初めて3番で起用した。前日、杉浦稔大から1号2ランを放っている。わかりやすい。でも、3番に起用したからといってそう打てるものではない。

 佐々木俊輔がちょっと打てなくなると平山功太を使う。その逆もありだ。そうかと思えば中山礼都が3番に座る。岸田行倫も最近は出番がない。

阿部監督のコメントに疑問

 10日の中日戦では泉口友汰に代わって浦田俊輔が遊撃に入った。泉口は直近2試合で無安打だった。試合はその浦田の活躍もあって中日戦3タテを免れた。

 でも試合後の阿部監督のコメントが気になった。

「併用はしない。泉口は調子を戻さない限りは出しません」

 これはない。確かに時には代役の活躍で勝つ試合展開がある。でも泉口は昨年3割を打ち、今年も開幕から3番を張ってきた。阿部監督が全幅の信頼を置いていた選手ではなかったか。

 泉口は4月21日の練習中に打球が顔面を直撃して離脱、5月4日に復帰したばかりだった。コメントするなら

「アクシデントで精神的なものがあるのかもしれない。少しリフレッシュすればいい。また使うよ」

 話し方1つで選手の受け取り方は違ってくるものだ。阿部監督のコメントはその場限りの思い付きだ。浦田が3、4試合無安打だったらどうするのか。

キャベッジの打率を上げるには

 選手起用は1シーズンを通して考える必要がある。1人1人の打力や特性を見極めて見合ったポジションを与える。

 巨人のように毎試合コロコロ打順が替わっては選手も戸惑う。それも起用する基準が直近の試合の出来だ。選手起用に一貫性がない。

 その選手たちに目を向けると心配なのがトレイ・キャベッジだ。外に逃げるいわゆる、クソボールを追いかけるクセがある。打率が上がらない。

 これは増田陸や佐々木にも言えるが、ゾーンを狭めてベルト周辺に1ストライク2ストライクのボールが来たら、思い切って振ることだ。
 先発陣を見渡すと一番勝てそうなのが井上温大、続くのがフォレスト・ウィットリーか。四球増が気になるが。

 田中将大、則本昂大もよくやってはいるが彼らは点を取られる。味方打線が点を取ってやらなきゃいけない。

阿部監督も苦しいのだろうが

 ガッカリしたのが戸郷翔征だ。なんのためにファームに行ったのか。4日のヤクルト戦は復帰戦となったが、フォークは思うように落ちないし、球がベルト周辺に集まっていた。

 もともと手投げのタイプで下半身をあまり使わない。ここが赤星優志や山崎伊織と違うところだ。スピードやフォークの落ち具合は関係ない。もっと下半身を使ってアウトコース低めの球を磨く。

 肩やヒジを故障していない。精神的なものではないか。3年連続で12勝した投手だ。聞く耳を持たず、1人で悩んでいるのかもしれない。だが投球の基本は外角低めの制球力だ。これがあってフォークが生きる。早く本来の姿が見たい。

 山崎の復帰もどうなるか未定だ。大勢、ライデル・マルティネスの調子もよくない。

 勝てると思った試合は貪欲に勝ちにいくべきだ。阿部監督も苦しいのだろうが、いまは「その場しのぎ野球」と映ってしまう。

 先が見える。光が見える。そんな野球を期待している。

(記録などは11日現在)

柴田 勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会理事を務める。

デイリー新潮編集部