決勝で2ゴールを挙げたジダン。開催国のフランスが初めてW杯トロフィを手にした。(C)Getty Images

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 北中米ワールドカップが6月11日に開幕を迎える。4年に一度、これまでも世界中のサッカーファンを魅了してきた祭典は、常に時代を映す鏡だった。本稿では順位や記録の先にある物語に光を当て、その大会を彩ったスター、名勝負、そして時代背景などをひも解いていく。今回は1998年の第16回大会だ。

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●第16回大会(1998年)/フランス開催
優勝:フランス
準優勝:ブラジル
【得点王】ダボル・シューケル(クロアチア):6得点

 フランス・ワールドカップの2年前には、2002年の日韓共催が決まっていた。

 単独開催が叶わなかった日本だが、大陸予選では不名誉回避への重圧がかかった。ワールドカップ未経験の国が、開催国枠を利用して初出場を果たす例はなかったからだ。

 5か国が参加したアジア地区最終予選グループBで、日本の滑り出しは良好だった。東京・国立競技場にウズベキスタンを迎えた初戦では、エースの三浦知良が4ゴールの大爆発で6−3の勝利を引き寄せる。

 ところが天王山とも言える3戦目、ホームの韓国戦では山口素弘の冷静なループで先制しながら逆転負けを喫して暗転。続くアウェーのウズベキスタン戦でも終了間際に同点ゴールを決められると、JFAは加茂周監督を解任して岡田武史コーチの昇格を決断する。監督未経験の岡田に命運を託したのだから大きな賭けで、国立のUAE戦で引き分けると暴動も起こった。

 しかし、韓国がソウルでの直接対決の前に首位通過を決めてしまったことは追い風にもなり、岡田体制移行後はなんとか無敗で乗り切りグループ2位を確保。マレーシアのジョホールバルでイランとのプレーオフに臨む。中山雅史が先制し1度は逆転されるが、中田英寿のクロスを途中交代の城彰二が頭で合わせて同点。2−2のまま延長戦に突入し、再三チャンスを逃した岡野雅行がゴールデンゴールを決めて、ついに日本がワールドカップへの扉を開けた。
 
 初出場の日本は、本大会でも岡田が継続して指揮を執ることになり「1勝1敗1分でグループリーグ(GL)突破」を目標に掲げる。だがポット4の日本は、あまりに組み合わせが悪過ぎた。

 まず優勝候補のアルゼンチンには、入念に対策を練り0−1と食い下がった。続く酷暑のクロアチア戦も、終盤までは均衡を保っていた。しかし、77分に大会得点王になるダボル・シューケルにゴールを割られて、またも1点差に泣きGLでの敗退が決まる。

 3試合連続でスタメン出場した相馬直樹は、最後のジャマイカ戦で「抗い難い疲労を感じた」という。結局、日本はジャマイカにも1−2で敗れて3戦全敗で帰国し、無得点に終わった城が空港で水をかけられる事件もあった。

 フランスは、アメリカを除く歴代の開催国に比べれば、必ずしもサッカーに熱狂していたわけではなかった。開幕戦前日にはパリでパレードが行なわれたが、お祭り騒ぎをしていたのは外国人ばかり。エメ・ジャケ監督が指揮する代表チームの成績が上がり切らず、人格否定やスキャンダルも含めて解任キャンペーンを続けるマスコミとの関係が冷え切っていた影響もあったという。

 ジャケが不人気だったのは、プレミアリーグでファンにカンフーキックを浴びせたエリック・カントナや、前回大会予選でブルガリアに逆転弾を許すきっかけを作ったダビド・ジノーラなど、華麗なスター選手を起用せず、攻撃ではジネディーヌ・ジダンを軸に据え、全体に守備組織を優先してきたからだった。もともとFW以外の各ポジションには優秀な素材を抱え、2年前のEURO(欧州選手権)でも優勝が期待されていたが、大会直前に交通事故を起こし負傷したジダンの体調が戻らず決勝進出を逃していた。