苗字が6回変わった鈴木もぐら「外食は必ず質屋に寄った後」だった幼少期。車に戻ってくるなり母が放った<衝撃の一言>とは
お笑いコンビ「空気階段」で、水川かたまりさんとコンビを組む鈴木もぐらさん。2019年に『キングオブコント』(TBS)ではじめて決勝に進出すると、2021年に優勝。放送中のラジオ『空気階段の踊り場』(TBSラジオ)では自身の結婚や離婚をリアルタイムで伝え、反響を呼びました。その鈴木さんが、「食」を通して自身の人生を振り返る初のエッセイ『没頭飯』をこのたび刊行。初めての単著には何が記されているのか? そしてこの本で伝えたかったこととは――。(本記事は後編/撮影◎本社・奥西義和)
7歳のときに両親が離婚「曖昧な幼少期でもなぜか鮮明な<食卓の記憶>。ある日父親が『料理しろ!』と持ち帰ってきたのは…」
* * * * * * *
“食”が家族をつないでくれた
最初の苗字は「白鳥」でしたが、7歳のときに両親が離婚したので、母の姓の「鈴木」になりました。
それで再婚して「宇井」になった後、母親が離婚をしたのでまた「鈴木」。それから自分も結婚して婿入りした後、23年に離婚を。
なので、今は5年ぶり3度目の「鈴木」です。
そんな自分が子どもだったころを振り返ると、家族が一つになっていた時間って、そんなに多くなかった気がするんですよ。
覚えているのは、ボクシングの辰吉丈一郎と薬師寺保栄の試合(編集部注:1994年12月4日「プロボクシングWBC世界バンタム級王座統一戦」)。
「辰吉負けんじゃねえぞ! 薬師寺ぶっ倒せ!」って、両親二人の意見が一致したのを生まれてはじめて目にしました。(笑)
あとはテレ東の『浅草橋ヤング洋品店』で江頭2:50さんが息止めて、4分間以上水に潜ったときかな。「ヤバい! 江頭、死んじゃうよ!」って。
それくらい“特別な瞬間”でした。
そんななかで食事だけは違ってて。毎日、自然とみんなで食卓を囲んで同じものを食べていた。それって結構すごいことだよな、って思うんですよ。
普通に生活しているだけだとバラバラになりがちなうちの家族を、毎日ちゃんと同じ方向に向かせる力があった。そういう意味でも“食”ってやっぱり大きいなって。
この本を書きながらあらためて思いました。
外食は質屋に寄ってから
母親との”食”の思い出でまず浮かぶのは、外食ですね。
この本にも書いたんですが、母親は「私は美味いもんを食うために生まれてきたんだ!」と突拍子もなく叫ぶ人。「人間は美味い飯を食うために生きてるんだから、飯は贅沢しねえといけねえ」と、普段から言っていました。

『没頭飯』(著:鈴木もぐら/ポプラ社)
当時住んでいた千葉の八日市場――今でいう匝瑳市の役所近くにあった中華料理屋にはよく行きました。店名もうろ覚えなんですけど、母親はそこの“あんかけ焼きそば”が好きで。
ただ、その店に行く前に必ず寄る場所があって。
それが質屋なんですよ。
まず質屋に何かを預けて、借りたお金でご飯を食べに行く。子どもの頃はそれが当たり前だったんですけど、今思えばすごい話ですよね。
自分はそのとき6、7歳でしたが、その頃には質屋の仕組みを理解していました。“質流れ”とかも普通に知っていましたし。
母親との食事は「生きるための選択」
それであるとき「これ大事にしてたんだけどな…」って言いながら、いつものように飯を食べに行く前に車で質屋へ品物を預けにいって。
母親が車に戻ってきた瞬間、「クソッ! ニセモノだった!」って。(笑)
持っていったものがニセブランド品だったらしくて、「10年くらい大切にしてたのに!」って憤慨していました。

(写真:本社・奥西義和)
でも、そもそも「美味い飯を食いたい」っていう気持ちがなかったら、それがニセモノだったという事実すら知ることもなかったわけで。
そう考えると、なんか不思議だし、そういう経験も含めて、母親との食事っていうのは、ただ「ご飯を食べる」ってことだけじゃなく、「生きるための選択」みたいなものと近かった気がします。
あんたをダシにしてたんだよ
自分が7歳の時に離婚して、家を出て行った父親に関しては「食へのこだわり」みたいなものはあまり感じませんでしたね。何か特別好きなものがあった、っていう記憶もあまりなくて。

(写真:本社・奥西義和)
ただ一つだけ強烈に覚えているのが、ジョッキに生卵を3つ入れて飲むってやつ。たぶん映画『ロッキー』の影響だと思うんですけど、たまにゴクゴクやっていました。
自分も真似しようとしたら「お前にはまだ早い」って止められたのを覚えています。
あとは、食事に連れて行かれた“場所”の記憶が強いですかね。
4、5歳のときには、フィリピンパブへよく連れていかれました。毎回『踊るポンポコリン』を歌わされたんですが、恥ずかしくて本当に嫌でした。
数年たってから、母親に「お姉ちゃんと盛り上がるために、あんたをダシにしてたんだよ」って言われて。ああ、そういうことだったのか、と。(笑)
家を出て行った後も隣町に住んでいたので、交流はちょくちょくあって。
中学生一年生のときには、連れて行かれた居酒屋で「もしかしてお前、まだ童貞か? おれが中学生の時は、もうすごかったぞ」とマウント。今考えたら、めちゃくちゃ。
自分が父親になって初めて見えたもの
自分自身、親という立場になって思うのは、「子どもがご飯を食べている姿を見る時間」って、すごく特別なんじゃないか、ってこと。

(写真:本社・奥西義和)
父親にも、いろんな子どもとの関わり方があると思いますが、自分の中でもっとも「父親をやっている」のを実感するのは、子どもがご飯を食べている様子を見ているときなんですよ。
「大きくなれよ」「ちゃんと食えよ」っていう気持ちになるし、それってすごく直接的な感覚なんですよね。花に水をあげるのと近いというか、「今まさに育っている」という実感を覚える。
さっき話した自分の父親が、「いい父親だった」とは正直思わないですけど、その父親ですら、食事の時間だけは毎回食卓にいたんです。普段、好き勝手やっているのに、その瞬間だけはちゃんと食卓にいるようにしていた。
父親らしいことを全くしていないのに、ラクして「父親」を味わおうとしていたのはなんだかズルいんだけど。(笑)
あれも、彼なりの家族や子どもとの関わり方だったのかなって、今になって思いますね。
新刊の『没頭飯』について最後にお伝えしたいのは、本を読んだあとに食べた飯の一口目が「うまい」って感じてもらえたら、十分かなって。
それだけで、人生がちょっと変わる気がするんですよね。
