ウクライナ侵攻から4年、ガザ侵攻から2年半…どんな「大義」があったとしても戦争をしていい理由になんてならない
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が起きたのは2022年2月24日。それから4年以上が経ったいまでも、戦争は終結することなく、世界のあちこちで戦火は広がりつづけています。「拳は、暴力はいらない。善と暴力は両立しえない。どれほど善い思想であっても、武力を持てばたちどころに壊れる。」奈倉有里さんの新刊『背表紙の学校』より、「拳を掲げた善だなんて」(初出:『群像』2025年3月号)を特別にお届けします。
ロシアやウクライナの「日常」
また春がくる。雪が溶け草木の芽が息吹く喜ばしい季節に重苦しい影がさしてから丸3年もの歳月が過ぎ、4度目の春だ。クリミア併合から数えれば11年にもなる。世界も、私のまわりも、多くのものが変わっていくなかで、意識のどこかに必ず戦争があり続けている。アレクサンドル・ブロークの詩が思い浮かぶ──
僕は徐々に 正気を失っていった
切望する扉の その前で
春の日は 闇に変わり
ただ切望が 増すばかり
この数年間、折々に知りあった人から「いま、ロシアやウクライナの、ふつうの人はどうしているのですか」と尋ねられることがあった。素朴な疑問だ。でも、かつて「ふつうの人」だった友人たちの例をひとつひとつみていっても、いま「ふつう」の気持ちで日常を過ごしている人はいない。
現在の「ふつう」は、たとえばこんなふうだからだ──
ばらばらになった家族
ペテルブルグで長年文学研究を仕事としてきた50代の女性。元救急隊員の夫は数年前に脳卒中で倒れて以来自宅療養をしていた。息子は30代でペテルブルグ大学の修士課程を出て出版社で働いており、彼女は夫と息子と3人で暮らしていた。
夫は体の調子は思わしくなくとも気力は充分で、いつもロシアの現大統領に対する批判を熱く元気に語っていた。巨額の建設資金をかけたペテルブルグのガスプロム・アリーナの前を通るたびに、アリーナの上に突き出た奇妙な棘のような突起を指さして、「あれはプーチンを串刺しにするための棘なんだよ」といたずらな笑顔で冗談を飛ばしては、妻に「またそんな物騒なこと言って」とたしなめられる。博士論文を書いていたころ、私は彼らの家に何ヵ月もお世話になった。賢くて優しくて想像力に溢れた、笑いの絶えない家だった。
開戦の翌年、彼女の息子は徴兵から逃れるために中国に移住した。中国語はほんの少ししかわからず、半ば留学、半ば研修のような形で中国の大学に籍をおいている。予定の1年を過ぎても戦争は終わらず、いつ帰れるようになるのかもわからない。「あの子は体が弱くて冬場はよく風邪をひくから、向こうで大丈夫かしら」と、慣れない国での息子の生活を案じながら日々を送るうち、去年の夏には夫が亡くなった。息子はその葬儀にも戻ってこられなかった。
ただでさえつらい最も親しい人の喪失のときを、いま彼女はそんなふうに耐えている──ずっと批判し続けてきた自分の国の政府がついに侵略戦争を始め、なおも続けているという苦悩、自責の念、なにもできない無力感、息子もそばにいないという状況。すべてが畳みかけるように襲い、誰も助けにこない。どれほど心細いだろう、と考えるたびに「いますぐにかけつけなくては」と焦るのに、それもできずにいる。
こういうとき、「かける言葉がない」というのはいいわけにならない。ほんとうに不幸なことがあると、その人の周りに人がいなくなる。ひょっとしたら、それは誰も「かける言葉」をみつけられないからかもしれない。だけどそんなときこそ、誰かがそばにいなきゃいけない。言葉をみつけなきゃいけない。
自分の国を独裁者が何十年も支配し、公正な選挙を求めても弾圧され、その闇を暴こうとしたジャーナリストは数百人単位で暗殺され、挙句の果てに引き起こされた戦争になすすべもなく家族はばらばらになり、かつては盛んだった文学研究の国際会議もぱったりと途絶えている。そんな人に、どんな言葉をもって、どんなふうに接したらいいのか。こうした問題から逃げてはいけないと、いつも思う。語られづらい状況の人ほど、言葉を必要としている。
志のある人ほど仕事を失う現実
仕事を失った人も多い。新聞最大手のイズベスチヤに就職していた友人は、2022年の春に周囲のすべての人に現状への異議を訴え、辞職した。
モスクワの文化施設で人気のキュレーターだった友人も2024年の5月に職を失い、いまは小規模なイベント出演などで小遣い稼ぎをしながら、年老いて寝たきりの母親の介護を生活の中心としている。以前はイベントや調査で世界を飛び回り、何度か来日もしていたが、いまのこんな状況で母を置いてはどこにもいけないと、一切モスクワから動けなくなっている。
彼は過去にも政治的理由で別の職場から退職を余儀なくされたことがあったが、そのときもそれ以降も、どんな状況でも後ろ向きな発言をまったくしないどころか、心配するこちらを逆に勇気づけてくれるような人だった。しかし今回の件にかんしては「いまは、僕のような人間はやはり上にとって『都合が悪い』んだろうね」と力なく語る。
志のあった人ほど仕事をなくしている。反戦の言動をみせれば多額の罰金をとられるのはこれまで通りだが、職のない状況での罰金は文字通りに生死の分かれ目に直結する。
あまりにも先が見えない。以前と同じようにひとりひとりの無事を確認していても、蝕まれ続けた気力が尽きていくかのように、誰もが黙りがちになっている。これまで、信じられないほどの逆風のなかでもめげずに社会の文化的な営みを守ろうとしていた人々が、徐々にすべての大切なものを失っていく。
僕は泣いた 激情に苛まれ
顔をしかめ 呻きを押し殺し
病み狂った 思考は
すでにゆらいで 分裂し
正気をなくした この心の
静寂に 流れ込み
僕の春を 音もなく
黒い波で 覆い尽くした
「善」と「暴力」は両立しない
他方、ロシアやウクライナを逃れ、欧米やカフカスなどに身を寄せた人々は新たな社会を築いてきている。ロシアとウクライナの出身者が生活情報を共有するポータルもあれば、ロシア政府に対し抗議をおこなうことで団結する動きもある。
ボリス・アクーニンらは「本当のロシア」と称して、国外脱出しロシア政府に抗し侵略に反対する作家らを集め活動していたが、「本当の」とはいったいなんだろう。アクーニンは侵略戦争には反対しているがもともと平和主義者ではなく、最近ではむしろ平和主義を批判するような言動も目立ち、悲しくなる。その点に賛同できなければ「本当」ではないのなら、「本当の」と名のつく団結などなくていい。
これに対し、ドミートリー・ブィコフは、世界に四散した人々のちいさな集まりを「散らばったロシア」と呼んだ。ひとつの大きなまとまりが暴力という結論に達するくらいなら、まとまらないほうがよいのだと。
ブィコフが開戦直後から言っていたこと──「私たちは超え難い壁に阻まれ、多くの人々が互いにさんざん口論しつくした、その果ての世界にいる。だから『戦争反対』というこの世界基準の呼びかけのもとでさえ、人々がひとつになれるのかどうか不安でもある」という危惧が現実のものになるかのように、ところどころで、人々のあいだにいくつもの亀裂が生じている。
散らばっていてもいい。ただ、つまらない諍いで心を疲弊させないほうがいい。戦争はいらないと言い続けられる人は、それだけで存在そのものが宝だ。ブィコフが書き、ラジオで朗読していたこんな詩がある──
拳を掲げた善だなんて
そんなのは撞着語法だ
善は いつも偶然に
慈悲のように
ひとすじの 光のように訪れる
そこにこそ 秘密がある
善は 勝ち誇りはしない
腰かけて 悲しげに
部屋の隅から じっと
差し向かいで 悪を見据える
拳は、暴力はいらない。善と暴力は両立しえない。どれほど善い思想であっても、武力を持てばたちどころに壊れる。
ひとつの大きなものを求めるからいけないのだ、ということは、ずっと以前にミハイル・シーシキンも語っていた。与党「統一ロシア」の「統一」とは中央集権の強化にほかならなかった。ごく一部の人間が利益を享受し、誰の目も及ばない、手の届かないところで勝手に重大な決断がなされていった。そうであってはいけない。すべての決定はそれぞれの地域の市民の目の前で、理解できる形でおこなわれなくてはいけないと。
「平和のともしび」
2024年の年末から2025年の新年にかけて、私はなんとなく思いたって、ソ連時代も崩壊後も年末年始の歌番組として人気だったロシア版の紅白歌合戦「水色のともしび」の歴代の録画を見ていた(ペレストロイカ期から一九九七年までは異なる番組名で類似の番組が放送されていた)。
なぜだかどの年を見ても泣いてしまう──1960年代の欧米のフォークソングへの憧れ、諸民族の友好と平和の誓い、ペレストロイカ期のジャズや電子音楽。ソ連崩壊直後の放送では、司会者が「私たちはいま、歴史上初めて、自由な人間として新年を迎えるのです!」と抑えきれない喜びの声をあげ、英語とロシア語の歌が入り混じる。
「プレゼンテーション」という言葉が一般にまだ浸透していなかったらしく、ロシア語の「プレゼント」という意味の語をあてはめて「パダルキザーツィヤ」という、耳慣れないうえにちょっと意味がずれている感じのする造語を、新しい言葉として興奮気味に紹介している(その後、プレゼンテーションを含め多くの英語はロシア語に入ってきて定着した)。
しかし「未来は明るい」という希望は長くは続かず、その数年後にはアーラ・プガチョワが1990年代の物不足と混乱のさなかで困難な生活を送る人々にエールを送り、軍事力に頼るのではなく人々が平和にわかりあえる世のなかが訪れるようにと祈っている……。
そうしていま訪れた2024年から25年にかけての年末年始は、各国に移住した人々が動画配信で新たな新年の形を模索していた。もう平和への祈りではなくなってしまった「水色のともしび」の代わりに、国外移住者たちが「平和のともしび」という歌番組を作り、歌を披露する。
ドイツ移住者たちが集うトーク番組にはサーシャ・フィリペンコが出演し、『理不尽ゲーム』に登場した、第二次世界大戦終戦直後のベラルーシの子供向け新年会での火事のエピソード(これはフィリペンコがおばから聞いた実話で、火事の発生した室内に閉じ込められた人たちが、子供たちを救うために素手で壁を破る)を語り、どんなに困難な状況でもあきらめなければ素手で壁を壊すこともできるんだ、と、いま生き残っている人々に望みを託す。
移住した人々の多くが「これまで」と「これから」について語っている。
心の熱を失わずにいるために
衝撃と逃亡と移住の2022年、戦争の長期化が見えてきた2023年、その長い戦争が続いた2024年を経て、2025年はなにかしらの変化が起きるはずだ、と語る人々がいる。一般に予測されているよりずっと悪い終わりかたをするかもしれない。いずれにせよ社会の随所がほころび、このままの状態を続けるのは不可能になっている。
すべての戦争に勝者はいないが、現在のロシア政府はなおのこと「勝つ」可能性を持たない。たとえ仮に武力によってウクライナの一部を事実上制圧したとしても、それは誰にもなんの利益にもならない。
プーチンは2022年末の演説でピョートル大帝の南下政策に言及し、「ロシアは昔からずっと南の海を求めてきた」という、とんでもなく時代錯誤な見解を恥ずかしげもなく曝けだした。
領土に対する概念が17〜18世紀の専制国家の皇帝と同じだなんて呆れてものもいえないが、社会批評家のマクシム・カッツは、こうした発言からもみてとれるように現代の社会と経済システムに対する無知こそが、あの独裁者を戦争に踏み切らせてしまったのだと指摘する。
巨額の金銭が企業や国の信頼いかんによって自在に国境を越え続ける現代において、国の財産とは国の信頼そのものである。その基本的な理解が、プーチンには致命的に欠如しているのだと。
ブロークの詩の最後に戻ろう──
春の日は 闇に変わり
墓の上で 心は冷たくなった
僕は徐々に 正気を失いながら
冷たいまま 愛しい人を思った
心の熱を失わずにいるにはどうしたらいいのか、わからなくなるときがある。エカテリーナ・シュリマンは今年の新年の挨拶で、キーワードとして「スタミナ」を挙げていた。消耗に続く消耗のなかで、愛しいものや、遠くあたたかい思い出や、語り尽くせない感謝や、素手で壁を破るほどの意気をいまいちど思い起こしながら、消えてしまったふつうの日々を、それでもあきらめないでいられたら、生きている価値はある。
消耗しているのは、心が常に尽力しているからでもある。消極的な「耐える」という言葉ではなく、スタミナという言葉をシュリマンが選んだのは、あきらめてはいけないものがあり、考えるべきことがあり、間違えてはいけない選択があるからだ。
世界のどれほどの人が戦争の終わりを切に祈っただろう。それと同時に、どれほどの人が戦争を推し進める声に気圧され、反戦の思いを曇らせてしまっただろう。けれども私たちはどこに散らばっていても、この世から武器が消え去ることを願うのなら、その願いはいつまでもひとつだ。
【もっと読む】「爆弾に背を向けて、私たちは文化の巣穴を掘る。戦時下で交わされるロシア語圏の匿名の会話」では、奈倉さんの前作『文化の脱走兵』に収録されている「巣穴の会話」をお読みいただけます。
