(※写真はイメージです/PIXTA)

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長年の我慢に終止符を打ち、ようやく手に入れた「ひとりの自由」。その決断のきっかけは、17年間ともに生きた愛犬の死でした。貯蓄に年金分割、実家の存在――「これだけあれば大丈夫」と信じた前提が、離婚から2年後、65歳で年金の通知が届いた日に一つひとつ崩れていきます。感情が後押しした選択の先、数字が突きつけた現実とは? FPの三原由紀氏が詳しく解説します。

「この人と一緒にいる意味って?」愛犬の死が突きつけた夫婦の現実

神奈川県に住む山田陽子さん(仮名・65歳)は、短大卒業後に就職し、その2年後に結婚。以降は専業主婦として家庭を支えてきました。

夫は2歳年上の67歳。夫が大卒、陽子さんは短大卒という違いはありましたが、同じ年に社会人となった“同期”のような関係でした。ただ、結婚後は夫が仕事中心の生活となり、家のことや子育ては次第に陽子さんが担うようになります。

夫は会社員としてキャリアを重ね、年収はピーク時で800万円に達していました。しかし、忙しい夫に遠慮するうち、夫婦の会話は少しずつ減っていきました。

子どもが独立した後は、夫婦2人の生活。しかし、その関係は長年にわたって冷え切っていました。夫は現役時代から家庭に無関心で、退職後もその姿勢は変わらず、会話はほとんどありません。

そんな中、陽子さんの心の支えだったのが、17歳になる愛犬でした。子どもが巣立った後は、まるで我が子のような存在。晩年は介護が必要となり、夜中の世話や通院も増えていきますが、そのほとんどを担っていたのは陽子さんでした。

夫は「大変だな」と言うだけで、手を貸すことはほとんどありません。 やがて、愛犬は静かに息を引き取りました。 その夜、家の中から“気配”が消えました。これまで当たり前にあったぬくもりがなくなったとき、陽子さんはふと気づきます。

「この人と、何のために一緒にいるのだろう」

夫は変わらずテレビを観ているだけ。その姿を見た瞬間、これまで押し込めていた違和感が一気にあふれ出しました。

――もう我慢しなくていい。

そうして、63歳のとき、陽子さんは離婚を決意します。判断を後押ししたのは、お金の見通しでした。退職金などを含めた貯蓄は約3,000万円。離婚すれば1,500万円を受け取れます。さらに年金分割で夫の厚生年金の一部も受け取れる。

「これなら一人でも生活できる」と考えました。加えて、地方にある実家もあり、「いざとなれば戻れる」という安心感もありました。

自ら決めたはずの夫との別れ。しかし、その見通しは少しずつ崩れていきました。

年金月9万円、戻れない実家、遺族年金の現実に「こんなはずでは」

現実を突きつけられたのは、65歳で年金を受け取り始めたときです。振込通知に記された金額を見て、陽子さんは思わず二度見しました。

年金は月9万円前後(税・保険料控除前)。手取りはさらに少なくなります。内訳は基礎年金が月7万円弱、残りが就職から2年間働いた分の厚生年金と、婚姻期間中の年金分割分を合わせた額です。

「年金分割がある。夫の年金の半分をもらえる」と漠然と思っていましたが、分割の対象は婚姻期間のすべてではありませんでした。この制度(3号分割)が対象とするのは、2008年4月以降の婚姻期間中に夫が加入していた厚生年金の報酬比例部分のみ。それ以前の期間や、夫が自営業だった時期は含まれません。陽子さんの場合、対象期間はおよそ18年分にとどまりました。

さらに、財産分与で得た1,500万円も、安心材料にはなりません。90歳まで生きるとすれば、27年間で取り崩すことになり、毎月使えるのは4万円台。年金の約9万円と合わせても、月の収入は13万円台にとどまります。一方で、郊外のワンルーム賃貸でも家賃は約5万5,000円。生活費を含めると月14〜15万円はかかり、毎月わずかずつ赤字が続く状態でした。

しかも、63歳での離婚から65歳で年金を受け取り始めるまでの2年間、陽子さんに収入はありませんでした。家賃や生活費として月14〜15万円を貯蓄から取り崩す状況が続き、当初想定していた取り崩しペースではとても追いつかず、1,500万円はすでに大きく目減りしていました。

「いざとなれば実家に戻ればいい」……それも誤算でした。

実家には母が一人で暮らしていますが、敷地内には長男である兄が別宅を構えています。昔から家の主導権を握る兄に、母は強く言えない関係でした。陽子さんが戻ることについても、母はどこか遠慮がちです。その空気を感じ取り、「ここには戻れない」と悟りました。

さらに後になって知ったのが、「遺族年金」の存在でした。もし離婚していなければ、夫に万が一のことがあった場合、陽子さんが受け取れる年金の姿は大きく変わっていました。

自分の基礎年金に加え、夫の老齢厚生年金を基準に計算された遺族厚生年金が受け取れるからです。細かい計算は省きますが、月に受け取れる額は14万円前後になる可能性がありました。離婚後の月9万円と比べると、毎月5万円近い差。年間にすれば60万円、10年で600万円の違いです。

「こんなはずではなかった」――そう感じたときには、もう元には戻れませんでした。

自由と生活は別問題…今からできる現実的な備え

陽子さんのケースは、「離婚が間違いだった」という単純な話ではありません。ただはっきりしているのは、勢いで決断すると、後から「制度とのズレ」に苦しめられることがあるということ。感情が先走る場面でこそ、冷静に数字を確認することが欠かせないのです。

では、どのような点がポイントになるのでしょうか。

まず、老後は、思っている以上に「固定費」の影響が大きくなります。特に住まいは、生活の安定を左右する大きな要素です。民間賃貸だけでなく、公営住宅などの選択肢を含めて検討することで、毎月の負担を抑えられる可能性があります。

また、大きな決断の前に確認しておきたいのが、年金分割で対象となる期間の範囲と、離婚した場合・しなかった場合それぞれの年金額の試算です。特に遺族年金については、当然ながら、離婚後は受け取れません。これらは年金事務所に相談することで、事前に把握することができます。

妻から離婚を切り出された夫にとっても、年金分割は無関係ではありません。離婚によって、自分の将来の年金額が変わりうることを、十分に意識している人は多くありません。

さらに、月数万円でも収入を得る手段があれば、家計は大きく変わります。経験を活かしたパート就労なども選択肢の一つです。

老後の選択に正解はありません。ただ、「なんとかなるはず」という前提が、本当に現実に合っているのかは、一度立ち止まって確かめる価値があります。

「自由になれるはずだった」――その選択は、生活と両立できるものでしょうか。

老後の生活は、制度と数字の上に成り立っています。妻にとっても、夫にとっても、離婚は年金という土台を揺るがす選択です。感情が動く前に、その選択がこれからの暮らしにどう影響するのか。一度、ご自身の状況を数字で確かめてみませんか。

三原 由紀
プレ定年専門FP®