「2次元の氷」の可視化に初めて成功…結晶構造がまだ解明されていない水分子の「驚きの姿」
謎多き水の結晶構造を解き明かす「手がかり」を発見
水は、あらゆる生命の源である。人体の約60%は水でできており、細胞の働きも、血液の循環も、食べ物の消化も、水なしには成り立たない。地球の表面の70%を覆い、雨を降らせ、気候を安定させ、文明を育んできたのも水だ。これほど人間に身近な物質は、ほかにない。
ところが、水はじつに奇妙な物質でもある。一つ例を挙げよう。
ほとんどの物質は、冷やすほど分子の動きが鈍くなり、分子どうしが密に集まって体積が小さくなる。液体が固体になるとさらに収縮し、比重が重くなる--これが自然界の「普通」だ。
ところが水はこの通りにはならない。水は冷やしていくと4℃で密度が最大になり、そこからさらに冷やすと逆に体積が膨張し始める。0℃で氷になるときには体積が約9%も増える。だから氷は水より軽く、水面に浮く。もし氷が水に沈むなら、湖や海は底から凍りつき、水中の生き物は生きていられなかっただろう。私たちの命をつないでいるのは、水のこの「異常な」ふるまいでもある。
水分子は、酸素原子1つと水素原子2つがくっついた「H₂O」で表される、ごく単純な分子に思える。それなのに、古くから多くの研究者たちが水に頭を悩ませ、いまもその正体を追いかけ続けている。
そんななか、静岡大学理学部の野村肇宏講師らの研究グループが、水(氷)の構造に関してある発表を行った。
「私たちが発見したのは、いまだ謎多き氷の構造を解き明かす手がかりです。
雪の結晶が六角形をしているのはご存じだと思いますが、じつは氷の結晶構造は一種類ではありません。温度や圧力の条件次第で20種類以上の安定構造をとり、その全貌はまだ解明されていないのです。
私たちは3次元の氷を理解する足がかりとして、氷をほんの一層だけ取り出した『2次元の氷』を可視化することができました」(以下、「」内は野村氏のコメント)
水素結合が支配する「氷の結晶構造」
研究に関する詳しい話に入る前に、まずは水の性質について基本的な事項から押さえていこう。
水分子は水素(H)、酸素(O)、水素の順で並んで結合しており、その結合角は104.5度であることが知られている。ごくシンプルな構造に見えるが、水が他の物質と異なるのは、この結合の仕方にあるという。
「水分子の特殊性を説明する上で、大事な特徴が2つあります。
一つは電気的な偏りです。酸素と水素を比べると、酸素のほうが電子を引き寄せる力(電気陰性度)が強く、マイナスに帯電しやすい。逆に水素はプラスに帯電しやすいため、水分子は電気的に不釣り合いな状態をとります(極性分子と呼ばれる)。
もう一つは、水素原子が非常に軽いということです。通常の物質は絶対零度(0K)まで冷やすと分子の動きが止まりますが、水素は軽いため、原子の運動が完全には止まりません。これを『水素の量子効果』と呼び、水素を多く含む物質は量子的な揺らぎを持ち続けます。
この電気的な偏りと量子効果によって、水は『水素結合』という特殊な結合を形成します。水素原子が揺らぎながら、2つの水分子を強く結びつけるのです」
あらゆる分子はファンデルワールス力と呼ばれる力でも互いに引き合っているが、水素結合はそれよりも強く、しかも「指向性」(水分子の酸素側と水素側が近づいたときにだけ機能する)を持つ点で異なる。これにより、氷の結晶構造にはある特徴が生まれるという。
「水分子が最も安定する局所構造には、『アイスルール(Bernal-Fowler則)』と呼ばれる決まりがあります。
ざっくり言えば、一つの酸素原子に着目すると、周囲には4つの水素原子が近接すること。そしてその内訳は、自分の水分子を構成する2つの水素と隣の水分子から接近してくる2つの水素であるという決まりです。
酸素原子は、2つの水素と共有結合を、もう2つの水素と水素結合を形成する。これによって正四面体の形をした配置が、水分子にとって最も安定な構造となります。
この正四面体配置を守りながら水分子が3次元的に積み重なると、ピラミッドのような層状構造になり、上から見るとちょうど六角形のハニカム構造が現れます。雪の結晶が六角形をしているのは、この構造の表れです。
ちなみに、これはスカスカな構造なんです。窒素分子のような通常の物質の固体であれば、ファンデルワールス力による弱い引力が働き、分子どうしが最も密に詰まった『最密構造』をとります。氷の構造がそうならないのは、ファンデルワールス力と水素結合とでは、分子間の『最も安定になる距離』が異なるためです。
もちろん水にもファンデルワールス力は働いています。そのため水分子は、ファンデルワールス力が好む距離(1)と、水素結合が好む距離(2)という、二つの安定点を潜在的に持っていることになります。
このせいで、氷は温度や圧力を変えると分子の安定化する距離が変わり、複数の結晶構造を取り得るのです」
話をアイスルールに戻そう。
前述したように、一つの水分子が持つ2つの水素原子は、周囲に正四面体配置で並ぶ4つの水分子(の酸素原子)のうち、2つと水素結合を結ぶ。
ここで一つの問題が生じる。4つの隣接分子のうち、どの2つと水素結合を結ぶかは、どのように決まるのだろうか。
「4つから2つを選ぶ組み合わせは6通りありますが、じつはどのケースでもエネルギーはまったく同じなんです。つまり、アイスルールを満たす局所構造は決まっていても、それを満たす水素の並べ方は何通りもあり、一つの安定構造に絞り込めない。
物理では、これを『縮退』と呼びます。教科書などで目にする氷の模式図も、酸素の位置は正確でも、水素の位置はあくまで無数にある典型例の一つに過ぎないんです」
酸素の位置は秩序的だが、水素は秩序していない--氷はこの「部分的に無秩序な状態」をとるため、絶対零度まで冷やし続けても結晶構造にエントロピー(自由度)が残り続ける。これを「残余エントロピー」と呼ぶ。
3次元氷がわからないから、2次元氷で考える
では、氷の構造を解き明かすことはできないのか。野村氏が目をつけたのが、2次元的な氷の構造だった。
「氷の研究では、圧力をかけて新しい結晶構造を探すというアプローチが主流でした。同じ方向性では限界があると感じ、私は『圧力』以外の方法で水の新しい状態を研究しようと考えました。
そこで着目したのが、次元を一つ落として、2次元の平面上で水分子がどう振る舞うかを見るという研究方法です。3次元の氷は構造パターンが膨大で、研究するのが非常に難しい。2次元に絞れば、六角形のハニカム格子の頂点に並んだ酸素原子に対して、水素原子をどう配置するかという、よりシンプルな問題として捉えられるんです」
「圧力」以外のアプローチとして、代表的な先行研究が3つあるという。一つ目は「金属の表面に水を吸着させて、その構造を調べる」という方法。二つ目は、極小の穴が無数に開いた「金属有機構造体(MOF)」と呼ばれる材料を使い、狙った分子を吸着させる方法だ。MOFは、2025年のノーベル化学賞を受賞した北川進氏が開発したことでも知られる。
三つ目の方法が「カーボンナノチューブ」だ。ナノメートル程度の直径を持つチューブ状の構造の中に水を詰め込み、水分子がどのような秩序をとるかを研究するものである。
これら3つのアプローチに共通するのは、「次元を変える」という発想だ。金属表面に水を吸着させれば2次元の氷を、カーボンナノチューブを使えば1次元の水を研究できる。
しかし、野村氏が選んだのは、この3つのどれでもなかった。
「私が着目したのは、鉱物の中に閉じ込められた水分子です。
金属表面に水分子を並べる実験では、片側にだけ金属原子が存在する非対称な環境になるため、それを本当に『理想的な2次元の氷』と呼べるかどうか疑問が残ります。
その問題を解消できる実験の舞台として私が選んだのが、『マーティアイト』という鉱物です。
マーティアイトは亜鉛とバナジウムからなる物質で、化学組成式はZn₃(V₂O₇)(OH)₂・2H₂Oと表されます。亜鉛の層と層の間には柱状の構造(V₂O₇)が立っていて、その柱が作るすき間に水分子が『結晶水』として保持されています。
亜鉛のレイヤーを取り除いて水分子だけに着目すると、ハニカム格子の頂点に水分子が均等に並ぶ、理想に近い2次元の状態が得られるのです」
渦を巻いた水分子が六量体を形成
室温のマーティアイト中では、水分子はハニカム格子の各頂点でくるくると回転し、液体のように自由に動き回っている。野村氏はここから温度を下げていき、水分子がどのように整列するかを観察した。
「室温ではランダムに動いていた水分子が、ある温度を境に動きが鈍くなり始め、6個でペアを組んだ『六量体』の構造が見え始めます。さらに冷やすとどんどん固まっていき、最終的には六量体が一面に整然と並んだ状態になりました。
さらに注目すべきことがありました。この六量体の中で、各水分子が持つ電気的なベクトル--酸素側(マイナス)から水素側(プラス)へ向かう『電気双極子モーメント』--が、渦を巻くように並んでいたのです。
この渦によって結晶の垂直方向に電気的な物理量が生まれ、それが結晶全体で同じ向きに揃いました。この状態を『フェロアキシャル秩序』と呼びます。水分子でフェロアキシャル秩序が確認されたのは、世界で初めてのことです。
ここで重要なのは、フェロアキシャル秩序がいかに検出しにくいかという点です。例えば、水分子がジグザグ状に並ぶパターンと、今回のように渦状に並ぶパターンは、理論的にはどちらも安定で、見た目や測定できる性質もほとんど変わりません。
そのため、フェロアキシャル秩序は『理論的にはあり得るが、実験では捉えにくい』とされてきました。それを今回初めて実験的に検出できたことは、大きな意義があると思います」
氷の安定構造をめぐる研究は、これからも続いていく。最後に、野村氏は今後の展望を語った。
「水分子がどのような安定構造をとるのかという問いは、氷・水・界面現象を理解する上で、人類にとって避けては通れないテーマです。氷が水に浮くことや、凍結した路面が滑るといった身近な現象を正しく理解するためにも、欠かせない知見だと考えています。
一方で、3次元の氷の秩序構造は非常に複雑で、人類が完全に理解したとはとても言えない状況です。
今回明らかになった2次元氷の構造を一つの足がかりとして、水についての普遍的な理解が少しずつ深まっていくことを期待しています」
