「出会った頃は腰が低い方だった」 “豹変”したPR会社社長 親族は「いつか痛い目に遭うと思っていた」【斎藤知事の公選法違反疑惑】
「いつか痛い目に遭うと思っていた」
【前後編の前編/後編を読む】「父親も自慢話ばかりで、偏った育て方」 斎藤知事の右腕・女性社長の親族が証言 「キラキラに見えてドロドロ」
勝って兜の緒を締めよ――。その言葉の重みを今、最も痛感しているのは、兵庫県知事の斎藤元彦氏(47)と、一部の熱狂的な支援者たちだろう。選挙違反疑惑を招いた兵庫県西宮市のPR会社社長・折田楓(かえで)氏(33)の衝撃の告白。彼女の華麗なる人生をたどると、大炎上に至ったわけが自ずと見えてくる。
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【写真を見る】ナイトプールではしゃぐ様子も! キラキラ女子・折田楓氏(33)の「承認欲求強め」なSNS
「いつか痛い目に遭って、そのキラキラした世界は崩れると思っていたけど……。こんなにも大きな花火を打ち上げて、大炎上するとは思わなかった」
と語るのは、折田氏の親族だ。
「全国的にも注目されて、すごい迷惑をかけているじゃないですか。兵庫県知事選もやり直しかもってね。彼女は県の仕事に関わって、自分の顔や名前をSNSでさらしてきた。自信も大きい分、ものすごくコンプレックスがあると思いますよ。今回の騒動を見て、器からはみ出るようなことをしたら、えらいことになるなって……」
大炎上の経緯
折田氏は、奇跡の逆転劇ともてはやされた兵庫県知事選を巡る騒動において、渦中の人となっている。
11月20日、折田氏はネット上に〈兵庫県知事選挙における戦略的広報〉と題する記事を投稿し、〈前代未聞の歴史的な選挙が無事に終わった今、「SNS」という言葉が一人歩きしてしまっているので、今回広報全般を任せていただいていた立場として、まとめを残しておきたいと思います〉として、この度の選挙戦における斎藤陣営のネット戦略をつづった。
この記事で折田氏は、PR会社「merchu(メルチュ)」の社長として、再選を果たした斎藤知事の広報戦略における“選挙参謀”だったことを告白。SNS戦略の〈監修者〉として、〈アカウントの立ち上げ、プロフィール作成、コンテンツ企画、文章フォーマット設計(中略)などを責任を持って行い、信頼できる少数精鋭のチームで協力しながら運用していました〉と胸を張る。
さらに彼女は、選挙期間中に〈私自身も現場に出て撮影やライブ配信を行うこともありました〉などと語って、斎藤陣営における選挙運動のノウハウを、斎藤知事との打ち合わせ写真などを交えながら、惜しげもなく披露した。
こうした内容が公開された途端、SNS上では公職選挙法に違反するのではとの指摘が相次ぎ、大炎上となってしまったのである。
「失職となれば出馬できない」
社会部デスクの解説によれば、
「公選法では、金銭的に余裕のある候補者が有利にならないようさまざまな制約を設けています。ネット上で有権者に向けてPRなど選挙運動を行う場合、業者に依頼したら報酬の支払いは買収になる恐れがあります。折田氏の投稿を読む限り、彼女はPR会社社長としてスタッフと一緒に斎藤陣営の一員となって選挙活動をしている。仮に斎藤知事側が折田氏のPR会社に選挙運動の対価を支払っていれば、公選法違反で失職。再選挙となりますが、斎藤知事は公民権停止となるため出馬できません」
11月25日に都内で行われた全国知事会の終了後、報道陣に囲まれて質問攻めにあった斎藤知事は、火消しに躍起となった。
“出入り業者”のようなもの
斎藤知事は「公選法に抵触する行為はしていない」と主張した上で、折田氏のPR会社には「ポスター作製などの費用70万円のみを支払った」と釈明。その一方で「折田氏はボランティアとして個人で選挙運動に参加された」と口を滑らせてしまう。
「県警や地検などが捜査に動いた場合、この斎藤発言が問題視される可能性があります。PR会社の代表が、本来は業務として行うべき広報を無償で担ったとなれば、候補者への便宜供与、つまりは知事への贈賄とみなされる恐れがあります。しかも折田氏は選挙前から県の仕事を受注する“出入り業者”のようなものですから、見返りを期待してボランティアをした格好になるわけです」(社会部デスク)
ご丁寧にも折田氏は、斎藤知事の当確が出た直後に自らのSNSで、〈また兵庫県のために一緒にお仕事ができることを楽しみにしています〉と投稿している。
事実、折田氏がSNSなどネット上で公表していたプロフィールには、斎藤県政下で任命された「兵庫県地方創生戦略委員」や「兵庫県eスポーツ検討会委員」といった肩書が並ぶ。
エルメス「バーキン」を自慢
行政から信頼された有識者だとSNSで強調しているわけだが、図らずも注目されているのが、折田氏のキラキラ輝くセレブな日常だった。彼女のSNSを総ざらいしてみると、県の委員会に出席するといったお堅い写真より、派手な私生活の姿が目立つ。
例えば、定価でも最低170万円するような高級ブランド・エルメスのバッグ「バーキン」を、大阪の大丸百貨店心斎橋店で購入した際の写真や、同じく高級ブランド、ルイ・ヴィトンのバッグを手に持つ姿の写真を投稿。ハワイや沖縄といったリゾート地へ旅した様子や、高級ホテルでアフタヌーンティーを楽しむ姿なども、いくつもアップしているのだ。
また、動画サイト・ユーチューブの折田氏のチャンネルに投稿された、〈女社長〉が庶民的な焼鳥屋を訪れる動画のサムネイルでは、自らを〈回らない鮨屋好き〉〈高級鉄板焼き好き〉と称するキャプションを付してもいた。
とどまることを知らない“自分語り”
これでもか、これでもかと輝かしい日々の様子を投稿しているわけだが、ネット上の華やかな“自分語り”はとどまるところを知らない。
折田氏のPR会社が運営するホームぺージやSNS、そして読者モデルを務めてもいる女性誌「MORE」のインタビュー記事などを見ると、おおむね以下の経歴を列記しているのだ。
生まれは兵庫県西宮市で、高校はフランスのトゥレーヌ甲南学園。慶應義塾大学SFCに在学中、再び渡仏してESSEC大学へ留学。新卒でパリに本店を持つBNPパリバ銀行の東京支店に3年ほど勤務後、地元へUターン。母親が経営する婚活サロンで主にSNSなどの広報業務を担い、2017年、25歳の時に現在のPR会社を起業といったストーリーである。
華麗なる経歴の中でも目を引くのは、学生時代に2度の渡仏、就職先も世界規模で展開するフランスの投資銀行を選んだことだ。
「出会った頃は腰が低い方だった」
折田氏の高校時代の恩師に話を聞くと、
「あちらの高校は全寮制で、関西地方を中心に日本中から留学生が集まってきましたが、彼女は非常にマジメで頑張り屋さん。成績もかなり良い方だったと記憶しています。和太鼓部の副部長として、毎年開催するチャリティーコンサートの大変な練習にも人一倍励む。何事にも一生懸命な生徒でしたよ」
折田氏と地域再生のプロジェクトに携わったという人物は、こう指摘する。
「今は結婚して旦那さんも同じ会社で働いているようですが、私が出会った頃の折田さんは独身で20代だった。スタートアップで起こしたばかりの会社のお嬢さん、というような感じで今ほど手広くはやっていなかったと思います。フランス留学、慶應、外資の銀行という経歴を考えたらてんぐになってもおかしくないのに、偉そうな感じは全くなくて腰が低い方でしたよ。仕事のレスポンスも速く非常に優秀。最近のSNSの投稿とは随分と印象が違うといいますか、派手な感じの子ではなかったのですが……」
それまで優等生を地で行く印象を周囲に与えていた折田氏が、様変わりしてしまったというのである。
後編【「父親も自慢話ばかりで、偏った育て方」 斎藤知事の右腕・女性社長の親族が証言 「キラキラに見えてドロドロ」】では、折田氏の親族が明かした、彼女の“偏った”ルーツについて報じている。
「週刊新潮」2024年12月5日号 掲載