【戸塚啓コラム】W杯回想録その4「だからW杯は最高なんだ」
ワールドカップにまつわる個人的な思いを、シリーズでお伝えしている。第4回は2010年の南アフリカW杯から。
それまで僕が出場したW杯は、フランス、日本及び韓国、それにドイツだった。長期滞在でもストレスを感じない国々だが、10年は南アフリカだった。臆病なタイプの僕は、悪い想像ばかりいた。
案の定と言うべきか、W杯が始まると物騒なニュースが聞こえてきた。主にヨハネスブルク方面で起きたトラブルで、日本代表の試合当日の会場付近でもカメラマンが襲われた。
この大会では、日本代表がキャンプを張るジョージに拠点を置いた。ジョージは治安の良い街だった。ひとりで出歩くようなことさえしなければ、リスクを感じる場面はなかった。
その代わりでないが、日本戦以外の試合はほぼ取材できなかった。代表の練習会場へ行き、選手の話を聞くのがルーティンだから、試合の取材機会が減るのは必然だった。
日本の敗退後は各地を移動して取材をしていったが、グループステージの取材が不足していたために、大会全体を把握することができなかった。
14年のブラジルW杯も、日本代表がキャンプを張るサンパウロ郊外のイトゥに拠点を置いた。数人で一軒家を借り、練習に通った。
日本の敗退後はサンパウロ市内へ移り、スーツケースとともに数都市を回った。ブラジル対ドイツの準決勝、ドイツ対アルゼンチンの決勝も取材できた。
南米のスタジアムには、ヨーロッパと違う雰囲気がある──フリーランスになった90年代後半から2000年前半にかけて、ブラジルやアルゼンチン、パラグアイなどを訪れた際にそう感じた。
ヨーロッパ各国が安全性を強く意識するようになり、子どもや女性でも快適に過ごせるようになったのとは異なり、南米は「古いまま」のスタジアムが多い。色々なものが剥き出しになっており、そこに集う観客もまた剥き出しの感情をぶつける。はるか極東からやってきた外国人からすると、少し身構えてしまう環境だ。
14年のブラジルW杯では、「剥き出しさ」が薄れていた。観光客が多かったからかもしれないし、ブラジルが変わったのかもしれない。
あるいは、ブラジルが悲しみに暮れたからかもしれない。ドイツにズタズタにされてしまったあの準決勝は、見てはいけないものを見てしまった気がした。僕が現地で観たW杯の試合で、もっとも悲しいものだった。
10年、14年と日本代表のキャンプ地に拠点を置いたことで、W杯を体感する場面が限られてしまった。そこで18年は、日本代表ではなく大会そのものを追いかけることにした。モスクワ市内に拠点を置いて、ほぼ毎日試合の取材に出かけた。
今回はノックアウトステージの1回戦を最後に、帰国することになっていた。はっきりとした理由があったわけではないが、W杯期間中の日本の雰囲気に、一度ぐらい触れてみるのもいいかなと思った。日韓W杯と違うものがあるのでは、と想像していた。
日本対ベルギー戦は、色々な意味で感情を揺さぶられた。
2対0でリードした瞬間には、色々なことを考えた。帰国便を変更して、アパートを引き払ったあとの滞在先を探して、準々決勝の都市への移動便と宿泊先を手配する。手間のかかる雑務が待っていて、もちろん、試合が終わったらすぐに原稿を書かなければいけない。
それでも、「面倒だな」という感情は一切ないのだ。当然だっただろう。歴史的な場面に立ち会っているのだ。すごいものを観ている、という興奮が沸き上がってきた。ベスト8入りを賭けた試合は3度目だが、先行したのはこれが初めてだった。
2対1にされて、少し嫌な空気を感じた。
同点に追いつかれて、試合の流れが変わったと感じた。
それまで僕が出場したW杯は、フランス、日本及び韓国、それにドイツだった。長期滞在でもストレスを感じない国々だが、10年は南アフリカだった。臆病なタイプの僕は、悪い想像ばかりいた。
案の定と言うべきか、W杯が始まると物騒なニュースが聞こえてきた。主にヨハネスブルク方面で起きたトラブルで、日本代表の試合当日の会場付近でもカメラマンが襲われた。
その代わりでないが、日本戦以外の試合はほぼ取材できなかった。代表の練習会場へ行き、選手の話を聞くのがルーティンだから、試合の取材機会が減るのは必然だった。
日本の敗退後は各地を移動して取材をしていったが、グループステージの取材が不足していたために、大会全体を把握することができなかった。
14年のブラジルW杯も、日本代表がキャンプを張るサンパウロ郊外のイトゥに拠点を置いた。数人で一軒家を借り、練習に通った。
日本の敗退後はサンパウロ市内へ移り、スーツケースとともに数都市を回った。ブラジル対ドイツの準決勝、ドイツ対アルゼンチンの決勝も取材できた。
南米のスタジアムには、ヨーロッパと違う雰囲気がある──フリーランスになった90年代後半から2000年前半にかけて、ブラジルやアルゼンチン、パラグアイなどを訪れた際にそう感じた。
ヨーロッパ各国が安全性を強く意識するようになり、子どもや女性でも快適に過ごせるようになったのとは異なり、南米は「古いまま」のスタジアムが多い。色々なものが剥き出しになっており、そこに集う観客もまた剥き出しの感情をぶつける。はるか極東からやってきた外国人からすると、少し身構えてしまう環境だ。
14年のブラジルW杯では、「剥き出しさ」が薄れていた。観光客が多かったからかもしれないし、ブラジルが変わったのかもしれない。
あるいは、ブラジルが悲しみに暮れたからかもしれない。ドイツにズタズタにされてしまったあの準決勝は、見てはいけないものを見てしまった気がした。僕が現地で観たW杯の試合で、もっとも悲しいものだった。
10年、14年と日本代表のキャンプ地に拠点を置いたことで、W杯を体感する場面が限られてしまった。そこで18年は、日本代表ではなく大会そのものを追いかけることにした。モスクワ市内に拠点を置いて、ほぼ毎日試合の取材に出かけた。
今回はノックアウトステージの1回戦を最後に、帰国することになっていた。はっきりとした理由があったわけではないが、W杯期間中の日本の雰囲気に、一度ぐらい触れてみるのもいいかなと思った。日韓W杯と違うものがあるのでは、と想像していた。
日本対ベルギー戦は、色々な意味で感情を揺さぶられた。
2対0でリードした瞬間には、色々なことを考えた。帰国便を変更して、アパートを引き払ったあとの滞在先を探して、準々決勝の都市への移動便と宿泊先を手配する。手間のかかる雑務が待っていて、もちろん、試合が終わったらすぐに原稿を書かなければいけない。
それでも、「面倒だな」という感情は一切ないのだ。当然だっただろう。歴史的な場面に立ち会っているのだ。すごいものを観ている、という興奮が沸き上がってきた。ベスト8入りを賭けた試合は3度目だが、先行したのはこれが初めてだった。
2対1にされて、少し嫌な空気を感じた。
同点に追いつかれて、試合の流れが変わったと感じた。