日本人は勤勉と言われている。だが、それは本当なのか。同志社大学の太田肇教授は「仕事の分担や責任範囲が明確でない日本企業では、『やる気』が評価される組織風土が定着している。私はそれを『見せかけの勤勉』と呼んでいる」という――。

※本稿は、太田肇『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

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■「チャレンジして」「挑戦しよう」、そしてまた「チャレンジ」…

「失敗を恐れず、大いにチャレンジしてください」
「新たなことにチャレンジすることを恐れず……」
「自分の中で夢や成し遂げたい目標を常に持ち、それに向けて積極果敢にチャレンジしてください」

いずれも東証プライム企業の社長が、入社式の挨拶で新入社員に贈った言葉だ。年頭挨拶や創立記念日の社長式辞などでも、枕詞のように「チャレンジ」という言葉が使われる。また会社の玄関に掲げられた社是・社訓、会社案内のパンフレットやホームページからも必ずといってよいほど「チャレンジ」「挑戦」という大きな文字が目に飛び込んでくる。

社員のチャレンジを口にするのは人事担当者も同じだ。

「2022年ウェブ調査」では企業の人事担当者に対して、「社員(職員)には、失敗のリスクを恐れずチャレンジしてほしいと思いますか?」と質問した。その結果、「そう思う」「どちらかといえば、そう思う」という回答が合わせて85.2%に達し、否定的な回答は14.8%と少数だった(図表1)。

出典=『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』

企業の成長やイノベーションには挑戦が不可欠である。企業のトップ、人事担当者が社員に挑戦を求めるのは当然だろう。

■本音は「失敗のリスクを冒してまでやりたくない」

ところが一般社員の意識は、これとかなりのギャップがある。というより、むしろ対照的だ。「仕事で失敗のリスクを冒してまでチャレンジしないほうが得だと思いますか?」という質問に、「そう思う」「どちらかといえば、そう思う」と回答した人が65.5%と、ほぼ3分の2を占める(図表2)。

出典=『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』

会社側の期待と裏腹に、社員は冷静に損得を考え、挑戦するのを控えている様子がうかがえる。

研修やセミナーなどの場で経営者や管理職と一般社員の双方から話を聞いても、両者の意識に大きなギャップがあるのを感じる。一般社員の口から、「成長したい」とか「早く一人前になりたい」という言葉は聞かれても、「チャレンジしたい」「挑戦したい」という言葉はほとんど聞こえてこない。なお、付け加えるなら「成長したい」という声も多少建前論的なところがあり、「なぜ成長したいか?」「ほんとうに成長したいのか?」と聞き返すと、たいていが口ごもってしまう。

社員の挑戦意欲が低い理由は後で述べるとして、ここで問題にしたいのは会社側と一般社員の意識に大きなギャップが生じる理由である。

■表向きは「キャリアアップ」、本当の退職理由は…

なぜ会社側は、社員の挑戦意欲の低さに気づけないのだろうか?

そこには日本企業特有の組織風土が隠れている。日本人は職場で本音をなかなか口にしないし、態度にも出さないから、いや、懸命に隠そうとするからである。そこに、タブーが存在するからだといったほうがよいかもしれない。

かなり前のものだが、リクルートの関連会社、リクナビNEXTが2007年に行った調査の結果が象徴的だ。

この調査では退職経験者に対し、周囲・転職先に語った退職理由(建前)と、ほんとうの退職理由(本音)を分けて聞いている。すると建前のほうは「キャリアアップしたかった」がダントツ(38%)で、以下「仕事内容が面白くなかった」(17%)、「労働時間・環境が不満だった」(11%)、「会社の経営方針・経営状況が変化した」(11%)と続く。

いっぽう、本音の理由は「上司・経営者の仕事の仕方が気に入らなかった」(23%)が最多で、以下「労働時間・環境が不満だった」(14%)、「同僚・先輩・後輩とうまくいかなかった」(13%)、「給与が低かった」(12%)の順となっている。

ここから読み取れるのは、上司や同僚などとの人間関係や労働条件に対する不満が主な退職理由になっているにもかかわらず、表面的にはキャリアアップや仕事内容など前向きな理由をあげる傾向があるということだ。

■「意欲がある」前提の制度が長年独り歩きしてきた

これは何を意味しているのか?

辞めるときにあえて事を荒立てる必要はないし、前向きな理由をあげたほうが転職に有利に働くのではないかと考えたのかもしれない。しかし同時にそれは、キャリアアップや仕事内容といったポジティブな理由しか、会社に伝わっていないことを示している。

したがって、それを真正直に受け止めた経営者や管理職、人事部員は社員の意欲に応えるため、挑戦を促し、挑戦できるような職場づくりをしなければならない、と考えても不思議ではない。そこから社員のリテンション(人材確保)やモラールアップ(士気向上)に向け、ほんとうのニーズとは乖離(かいり)した制度づくりやマネジメントが独り歩きしていく。

人事の専門家など第三者による議論もまた、潜在的には意欲があることを前提にした「心理的安全性の確保」といったところに導かれがちだ。会社、より具体的にいうと上司や人事部に「やる気」のあるところをアピールする姿は、会社はもとより、たいていの組織のなか、さらにいえば日本社会全体にみられる現象といえる。私はそれを「見せかけの勤勉」と呼んでいる(※1)。

会社のなかでは、必要がなくても周りが残っていたら残業したり、有給休暇をほとんど取得しなかったり、存在感を示すため会議で意味なく発言したり、といった行動がその例である。

※1:太田肇『「見せかけの勤勉」の正体』PHP研究所、二〇一〇年

■「やる気」と客観的な成果は必ずしも一致しない

ミーティングで長時間にわたってワイワイガヤガヤと議論する「ワイガヤ」も、背後には同様の気持ちが働いている可能性がある。ちなみに社会心理学者の釘原直樹は多くの研究結果から、ブレーンストーミングのような対面での話し合いより、単に個人を集めた名目的な集団のほうが仕事のパフォーマンスが高くなることを明らかにしている(※2)。

実際、職場では口角泡を飛ばし、侃々諤々の議論をしていても、一歩職場の外に出たら仕事の話や自己啓発の情報などにはほとんど興味を示さない人が多い。

見かけ上の「やる気」や自己陶酔と本物の「やる気」、客観的な成果とは必ずしも一致しないのだ。それを考えたら、メンバーどうしの議論や相互作用を重視する日本式の知識創造も、その効果を過大評価しないほうがよいかもしれない。

※2:釘原直樹『人はなぜ集団になると怠けるのか』中央公論新社、二〇一三年

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■日本人の仕事への「熱意」は主要国の最低基準

このように社員が「やる気」をアピールするのは、人事評価を強く意識しているからにほかならない。

そもそも日本では企業側が人事に大きな裁量権を握っており、昇給や昇進・昇格はもちろん、人事異動、転勤も原則として人事評価にかかっている。ときには辞令一枚で本人はもちろん、家族の生活まで一変する。

しかも日本では個々人の仕事の分担や責任範囲が明確でないので、アウトプットすなわち仕事の成果や果たした役割で客観的に評価することが難しい。そのため働いた時間のようなインプットで評価せざるを得ない。

けれどもホワイトカラーの仕事は労働時間だけで貢献度を推し量ることができないので、同じインプットでも「やる気」をはじめ抽象的な態度や意欲で評価することになりやすい。だからこそ社員は「やる気」があるところをアピールしようとするのである。

それが必ずしもほんとうの意欲を表していないのは、各種の調査結果からも見て取れる。象徴的なのが「ワークエンゲージメント」の極端な低さだ。

ギャラップ社が2017年に行った調査によると、日本では「熱意がある」(engaged)社員がわずか6%に過ぎず、139カ国のなかで132位となっている。同様の調査は他の機関でも行われているが、いずれの結果を見ても日本人のワークエンゲージメントは主要国のなかで最低水準にある。

ただ問題の深刻さは、エンゲージメントの低さそのものより、それが表面化しないところにあるのではなかろうか。

■「やる気」重視の風土が個人の「やる気」のなさを隠している

いうまでもないことだが、「やる気」のない人はどこの国にもいる。中国の若者の間ではいま、激しい競争社会に背を向け、努力しようとしない「躺平(たんぴん)主義」と呼ばれる生き方が広がってきているという。そして、それが態度や働きぶりにも表れている。

太田肇『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』(PHP新書)

実際に中国の企業を訪ねてみると、床に横たわるなど「やる気」のなさを隠そうともしない若者の姿を目にすることがある。少なくとも日本人と違って、周囲の目をそれほど意識している様子は感じられない。

IBMが2019年に行った調査や、人事コンサルタント会社のケネクサが2012、13年に実施した調査によると、中国人のワークエンゲージメントは日本人よりかなり高い水準である。にもかかわらず日本人のほうが中国人よりも「やる気」があるように見えるのは、やはり日本では成果よりも態度や意欲を評価する傾向が強いからだろう。

いずれにしても、「やる気」を重視する組織や社会の風土が、逆に意外なほど「やる気」が乏しい現実を見抜けなくしているのは皮肉である。

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太田 肇(おおた・はじめ)
同志社大学政策学部教授
1954年、兵庫県生まれ。神戸大学大学院経営学研究科修了。京都大学博士(経済学)。必要以上に同調を迫る日本の組織に反対し、「個人を尊重する組織」を専門に研究している。ライフワークは、「組織が苦手な人でも受け入れられ、自由に能力や個性を発揮できるような組織や社会をつくる」こと。著書に『「承認欲求」の呪縛』(新潮新書)をはじめ、『「ネコ型」人間の時代』(平凡社新書)『「超」働き方改革――四次元の「分ける」戦略』(ちくま新書)、『同調圧力の正体』(PHP新書)などがあり、海外でもさまざまな書籍が翻訳されている。近著に『何もしないほうが得な日本 社会に広がる「消極的利己主義」の構造』(PHP新書)がある。
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(同志社大学政策学部教授 太田 肇)