「世紀末覇王」からコロナ禍の競馬まで――27歳の競馬ウォッチャーが超ざっくり振り返る22年間の競馬人生 - 村林建志郎
※この記事は2022年03月31日にBLOGOSで公開されたものです
突然ですが、本稿が最終回です。
2021年5月以来、都度競馬にまつわるお話を書いてきたわけですが、2022年3月をもってBLOGOSのサービスが更新終了することとなり、必然的に私の競馬ウォッチャーシリーズも最終回を迎えることになりました(※サイトの正式なクローズは5月いっぱい)。
日本ダービーや宝塚記念、凱旋門賞、今は亡きダービー馬・ワグネリアンなど、自分の心の中に静かに横たわる競馬への愛情を文字にして表明してきたわけですが、こんな新参者の書き手が気づけば約1年弱の間に9本の記事を書かせていただいておりました。「ありがたい」とは「有り難い」、すなわち有るのが難しいと書くわけですが、まさしく有り難い経験をさせていただいたと思っています。
さて、そんな競馬ウォッチャーシリーズの最終回ですが、最後のテーマは「村林建志郎と競馬」です。自分でもひいちゃうくらいざっくりとしたテーマですが、私の競馬との出逢い、競馬が私にもたらしてくれた大切な出逢い、そして今もなお続くコロナ禍で考えたことについて書いてみようと思います。
5歳の私に焼きついた「世紀末覇王」の記憶
最も古い記憶は、5歳頃。
迫り来る21世紀を前に札幌市で平凡な日々を送っていた当時の私にとって、競馬はさほど非日常的なものではなかった。父が毎週のようにテレビで観ていたからだ。
競馬を観るときの父といえば、競馬新聞を片手に画面に釘付け。思うような結果が出なければ「〇〇~!」と騎手の名前を叫んだり、時として競馬新聞を床に叩きつけたりと、絵に描いたような競馬好きの男だった。
私はというと、父の競馬新聞を覗き込んではかっこいい馬名やユニークな馬名の馬を探すだけの無邪気な少年に過ぎなかった。むしろ当時の私は器械体操や水泳を習っていたため、競馬にはさほど関心がない。
ただ、そんな私に「おっ」と思わせる馬が現れたのである。テイエムオペラオーという馬だ。
無敗でGⅠ5勝をあげた2000年、「世紀末覇王」と呼ばれたこの馬は、競馬新聞に名を連ねる度に過去の戦績がひたすら「1」で埋まっていた馬だった。
「え、最強じゃね?強すぎじゃね?」と強烈なインパクトを覚えたことを今でも記憶している。
当然だが、当時は今のようにレースのローテーションを把握しているわけではないため、競馬新聞でテイエムオペラオーの名前を発見するときは毎回私にとってはある種のサプライズだった。「あ!テイエムオペラオーだ!」という少年なりのワクワクを抱かせてくれた最高の馬だ。
とはいえ、それをきっかけに競馬の沼に真っ逆さまに落ちていったのかというと、そうではない。それもそのはず、当時私はまだ5歳か6歳そこそこ。もし自分の子どもが幼稚園に通いながら競馬について「昨日の馬場は高速馬場で~」とか「小回りの中山より東京寄りだよね~」などと語っていたら誰もがビビるだろう。
テイエムオペラオー以降で次に私にインパクトを残したのは、ディープインパクトだ。シンボリルドルフ以来の無敗の三冠馬となったとき、私は小学5年生。競馬をそこまで知らなくてもディープインパクトという名前だけは知っている人がかなりいただろうと推測できるレベルで、この馬の強さは日本中を席巻していた。今では当たり前となった「ディープ」という呼び方も、このときに始まったものだ。
私が小学6年生のとき、ディープは凱旋門賞に挑戦した。世界にもその名を轟かせていたディープだったが、惜しくも3着入線(※後に失格扱いとなっている)。競馬にそこまで詳しくない私なりに、「ディープでも負けるんだ」といささかショックな気持ちに陥った記憶がある。
それからというもの、毎週のように予想をしたり好きな馬を追いかけたりするわけではなかったが、それでもブエナビスタやオルフェーヴル、ゴールドシップ、キズナ、ドゥラメンテなど、いわゆる「名馬」と呼ばれる馬の誕生が、都度私を競馬の世界へ振り向かせていた。
大学時代の出逢い「サトノダイヤモンドって知っとる?」
一つのターニングポイントは2016年。私が大学2~3年生のときだ。
入学時に出逢った仲の良い友達がある日の帰り道、明大前駅へ向かう道中のたしかスタバのあたりで不意に「サトノダイヤモンドって知っとる?」と聞いてきたのだ。
馬名に「サトノ」と冠がつく馬が数多くいることはもちろん知っていたのだが、その馬についてはまだ知らなかった。友達によると、どうやらとてつもなく強いらしい。
福岡から上京してきた彼とは、よく大学の食堂で日が暮れるまでくだらないことを話してばかりいた。音楽、格闘技、お笑いなど、共通の趣味嗜好があまりに多いことから仲良くさせてもらっていたのだ。
元々「アメトーーク!」で競馬が取り上げられていたこともあり、全く競馬について話したことがなかったというわけではないものの、具体的な馬名、しかも次のクラシック戦線を担いうる馬が彼の口から飛び出したのはそのときが初めてだった。一度ハマったら徹底的にハマり倒す彼の性格を認識していた私は、「これはマジだ」と思ったものだ。
2016年のクラシック。結果的にサトノダイヤモンドは世代の主役となった。皐月賞3着、日本ダービー2着、菊花賞1着、さらにその年の有馬記念ではキタサンブラックやゴールドアクターを退け、3歳にしてGⅠ2勝。ちょうどその1年ほど前に明大前駅で「サトノダイヤモンドって知っとる?」と聞いてきた彼の相馬眼が、侮れないものであることを私は痛感したのである。
ちなみにいうと、彼がその「サトノダイヤモンド世代」で推していた馬は、同馬だけではなかった。
2018年に天皇賞(春)を制したレインボーラインは、かねてより彼が「強い」と太鼓判を押していた馬だった。サトノダイヤモンド、マカヒキ、エアスピネルなどの猛者が揃い最強世代といわれた中で、レインボーラインは菊花賞こそサトノダイヤモンドに次ぐ2着に入線したものの、日本ダービーでは8着に沈むなど、馬券に絡むことが決して多い馬ではなかった。
しかしながら、2017年の天皇賞(秋)で不良馬場を走り抜け3着に入線するなど徐々にその力を示し始め、5歳にしてGⅠ制覇。このとき私はまたしても彼の相馬眼の鋭さを思い知ることになったのである。
恥ずかしながら、大学4年生のときに私は彼とPodcastで小さく密かにくだらないラジオをお送りしていたことがあるのだが、何百回とお送りしたトークのうちかなりの割合で競馬の話をしていたのはもはや言うまでもない。たしか初回放送で「競馬の話はあまりしない」と宣言をしたのだが、結果的には「競馬以外の話をあまりしない」という状況をつくってしまった。割合的には「競馬7:格闘技2:乃木坂1」といったところだろうか。
いささか話が脱線したが、元々良かった彼との仲を競馬がより強固にしてくれたことはまぎれもない真実で、それは大学時代に友達が多くなかった私にとってあまりにかけがえのない幸福だったのである。
競馬はコロナに負けない
2020年、世界中がパンデミックの渦に吞み込まれた。今もなお、その状況は続いている。
無観客で開催された週があったり、事前抽選で当選した人のみの動員になったりと、競馬界も当然のことながら影響を受けている。歓声を出せないということがどれほど辛いことか。ライブやスポーツが好きな人ならば誰もが同じ気持ちだろう。
他方で、それぞれが感染対策を丁寧に実行することで、中央競馬は一度もその歩みを止めることなく続いている。関係者の間で感染者が出ることはあったとしてもかなり稀なケースで、それを蔓延させることなく現在コロナ禍3年目を迎えている。
また、このコロナ禍においては「ウマ娘 プリティーダービー」(以下:ウマ娘)のゲームアプリが競馬界に新しい風を吹き込んだ。私は特にTwitter界隈でそれを実感することが多かった。トレンドにかつてのスターホースの名前があがると「もしや……」と嫌な予感がよぎり、恐る恐る画面をタップすると「いやウマ娘かい!!」と心の中でツッコミをいれる場面に何度も遭遇したのだ。
それは、個人的にはどこか喜ばしいことでもあった。
ウマ娘に興じる方々を「オタク」と一括りにして良いものなのかいささか不安だが、新型コロナウイルスでも侵略できない電脳空間において、オタクの方々は高らかにウマ娘ツイートをすることで競馬界を盛り上げていたのだ。私は常々、オタクの方々は「何かに夢中になることの素晴らしさ」を教えてくれる方々だと思っているが、このコロナ禍にまさか自分の大好きな競馬を通してそれを改めて痛感するとは思いもしなかった。本当にオタクは素晴らしい。
実をいうと私はウマ娘のゲームアプリを体験したことがないのだが、ウマ娘ファンならば恐らく誰もが知っているであろう名曲「うまぴょい伝説」については、かなりヘビロテしている。なんならちょっと歌える。合いの手も任せておけ。……私が課金する日もそう遠くないのかもしれない。
そんなウマ娘効果も一因となったからなのか、実はJRAはコロナ禍においても着実に売上を伸ばしており、2021年度の売上はついに3兆円の大台を突破した。前年比で上昇するのはこれで10年連続のことである(参照:https://jra.jp/company/about/outline/growth/)。
もうおわかりいただけたかと思うが、一度も止まることなく歩み続ける競馬界、上昇する売上、ウマ娘という日本を代表するコンテンツの爆誕――競馬は、コロナなんかに負けていないのだ。
私はコロナ禍で東京競馬場に2回訪れているが、当然いずれも歓声をあげることは控えなければならなかった。拍手に全力を込めるしか思いを表明する術がなかった。
だがここ数カ月、なんとなくだが、現在のこの歓声を出せないという状況は、やがて訪れる素晴らしい未来への伏線なのではないかと思えるようになった。ピースの又吉直樹さんが小説『火花』で、「生きている限り、バッドエンドはない。僕たちはまだ途中だ。これから続きをやるのだ」と書いておられるのだが、それに限りなく近い感覚だ。
もちろんワクチンの普及や治療薬の開発など、ほんの少しずつでも世の中的に前に進んでいるという感触がその感覚を生んでいるという側面もあるのかもしれないが、根本には「競馬はコロナに負けていない」という一競馬ファンとしての負けず嫌いな気持ちがどっしりと存在している。
「競馬はコロナに負けていない」という気持ちが、いつ「競馬はコロナに勝った」という勝利宣言に変貌するかはわからないが、その負けず嫌いな気持ちを揺るぎなく持ち続けながら、毎週の競馬を楽しみたい。たくさん予想で悩みたい。ファンファーレに耳を傾けたい。心の底から感動したい。そんな胸中だ。
さて、3連単278万4560円という荒れに荒れた高松宮記念を皮切りに今年も春GⅠの季節が幕を開けた。今年はどんな名馬が現れるだろう。どんな名レースが観られるだろう。89頭目のダービー馬はどの馬になるのだろう。皆さんも刮目していただけるとなおよきかな。
それではまたいつか逢える日まで。
麗らかな日々、桜色の春風に吹かれながら、競馬ウォッチャーより愛を込めて。