※この記事は2022年03月31日にBLOGOSで公開されたものです

「罰」「無理ゲー」と表現されるほど、ハードな日本の子育て環境。今そこで、改善のためのダイナミックな変化が起きている。それを牽引するのは30~40代、まさに子育て世代の人々だ。過酷な状況に異議を申し立て、地道に確実に、社会と制度を動かしている。

「DBS」という言葉を知っているだろうか。保育や教育の現場など、子どもと大人が関わる場所で、有償無償に関わらず働く際に性犯罪歴等についての証明を求めるイギリスの制度だ。

同様の制度は各国で運用されており、日本でも2020年12月に閣議決定された「第5次男女共同参画基本計画」により、『日本版DBS』の導入に向けて検討が進められることになった。

長年保育・教育業界で求められてきたこの制度の導入が、大きく前進した節目は2019年~2020年。ベビーシッターの大手仲介サイト「キッズライン」に登録していた男性2人が、シッター業務中に複数回、子どもへ性的加害を行った事件が発覚したのだ。しかもこのサイトは、東京都のベビーシッター利用支援事業にも認定されていた。これをきっかけに、児童関係職への性犯罪者の就業を防ぐ仕組みが日本に“ない”ことが周知され、制度化を求める声が一層高まった。

その中でも、強力なタッグを組んで世論を喚起し政界の動きに寄与した、二人の人物がいる。前衆議院議員・木村やよい氏と、認定NPO法人フローレンス代表室長の前田晃平氏である。

前田氏にとって2020年はちょうど、娘さんが保育園に入るタイミングだった。

「一人の親として、この状況は『冗談ではない』と怒りを覚えましたね。そして私自身、以前にこの問題に関心を持つ機会がなく、この時まで"DBS"という単語すら知らなかったんです」

もう一人の木村氏が制度化に向けて動き出したのは、前田氏より数年早い、2016年頃だった。

「2014年に衆議院議員として初当選したのち、待機児童問題の集会に招かれて、児童領域で性犯罪者の就業を防ぐ制度がないことを知りました。しかもそれまで、国会でこの制度について発言した議員もいなかった。子どもを守るために、今、自分が取り組まねばと決意したんです」

父親としての怒りと、政治家としての決意。その二つがどのように繋がって反応し、国政を動かす力となっていったのか。子どもを守る新しい防犯制度が作られる、現在進行形の変革を追う。

「過去の犯罪履歴がない」ことを証明するイギリスのDBS

「児童関係職への、性犯罪者の就業を防ぐ」。文字に書くのはたやすいが、実際に制度化するには、個人情報の保護や職業選択の自由、犯罪加害者の更生支援など、考慮すべき要点がいくつもある。また運用を複雑にしては、制度そのものが形骸化するリスクもある。それらの論点に一定の折り合いをつける先進事例として、制度化を目指す人々が参照しているのが、イギリスのDBSだ。

DBSはイギリス司法省管轄の犯歴証明管理及び発行システムで、正式名称はDisclosure and Barring Serviceという。日本語では「前歴開示および前歴者就業制限機構」と訳され、2012年12月に設立された(出典:イギリス政府公式プレスリリース)。

イギリスでは個人の犯罪履歴をデータベース化しており、子どもや高齢者、障害者など要支援者(大人含む)と関わる仕事に就く人は、「過去に犯罪履歴がない」との証明書を入手・提出する必要がある。その証明書を作成をし、申請受付と交付を担うのがDBSだ。DBS証明書の確認なく、所定の職業で雇用・勤労するのは違法であり、その際は雇用主も働き手も処罰を受ける。

イギリスでは給与を得て従事する有償労働のほか、無償で子どもに関わるボランティアを募集・志願する際にも、DBS発行の無犯罪証明の提出が必要だ。

DBSはイギリスの中でもイングランドとウェールズで施行されており、対象人口約6千万人のうち約6万4千人が、子どもや高齢者、障害者などの業務で就業不適切者となっている(2017年3月31日時点)。

性犯罪歴の確認ができない日本の仕組みに恐怖

イギリスのDBSに近い制度は、スウェーデン、ドイツ、フィンランド、フランスのヨーロッパ諸国をはじめ、ニュージーランドでも運用されている。この制度が「ない」ことによる弊害を各国の社会が認識し、制度が必要と判断されたためだ。

日本でもDBS制度が「ない」ことの弊害は、現実に存在する。たとえば現状では、国家資格のないベビーシッターとしては、2019年・2020年のキッズライン事件のような小児わいせつの逮捕歴を持つ人物がいつでも勤務できてしまう。

またわいせつ行為は教員や保育士の欠格事由であり、逮捕によって資格を剥奪されるが、数年経てば資格を再申請できる(教育業界については2021年の法改正で各都道府県の教育委員会による再申請拒否が可能になった)。そして資格剥奪の記録が残る同業界内では再雇用を防げても、シッターや学童保育など職種を変えてしまえば、雇用者側にはその犯罪歴を確認する術はない。

実際、首都圏のある小学校では、生徒への性加害で懲戒免職になった教諭が、子どもと関わる別の施設で教員として働いたことがあった。

2020年の事件発覚をきっかけに制度の不在を知った前田氏は、この状況を恐ろしいと感じたという。前田氏自身、保育事業を手がける認定NPO法人フローレンスに勤務し、雇用者側の立場にもあったからだ。

「性犯罪者を雇ってしまう恐れがある現状は、保育事業者としても本当に問題でした。それを当会代表である上司の駒崎弘樹に訴えたところ、これまでも制度化の必要を訴えてきたが叶わずにいると教わり、木村やよい先生を紹介されたんです」

繰り返される「更生の妨げになるから」という拒絶

木村氏が日本でのDBS不在に問題意識を抱いたのは、衆議院議員として国政を担っていた2016年。前述の駒崎氏や、日本の保育政策の改善に努める「みらい子育て全国ネットワーク」の天野妙氏からの訴えからだった。

「まず最初は、議員の仲間たちがこの問題を認識しているか、尋ねることから始めました。質問を投げる形で、現状や問題点を知ってもらう意味もありましたね」

木村氏はそう振り返る。関心を持ちそうな議員個人だけでなく、児童ポルノ禁止法改正案に盛り込めないか勉強会を重ねるなど、グループ単位でも“種まき”を行ってきた。2018年12月の厚労委員会で質疑権を得た際には、割り当てられたごく短時間を、日本版DBSの問題提起に活用。日本の国会で初めて「日本版DBS」が語られたのは、この木村氏の質疑だったそうだ。続く2019年2月、キッズライン事件が発覚する約1年前には、予算委員会第5分科会でもこの問題に言及している。

「そうして話していくうちに、なぜこの制度が導入されないのかの論点が見えてきました。まずは個人情報の保護。そして犯罪者更生にあたっての職業選択の自由です。更生の妨げになるならできない、仕方ない、と、何度も言われました」

「子どもを守る」を前にしても動かぬ永田町の常識

しかしその「仕方ない」は、木村氏には納得がいかなかった。小児性犯罪は再犯率が高く、加害対象である子どもとの接触が再犯のきっかけとなりやすいことが、データからも明らかになっているからだ。

「小児性犯罪者は、子どもと触れ合うこと自体が、再犯のトリガーになってしまう。子どものいない職場環境での更生が、再犯防止に直結するんです。職業選択の自由に関しては、憲法に『公共の福祉に反しない限り』と但し書きがあります。子どもの心身の安全を脅かすことは、公共の福祉に反していないのでしょうか?」

加えて日本の行政に独特の、根深い宿痾(しゅくあ)も立ちはだかった。

「制度化への検討を促すために、いろいろと省庁を当たりましたが、どこへ行っても『それはあちらの省へ行ってください』とたらい回しにされてしまうんです」

省庁間の縄張り意識が強く連携が成立しづらい、『縦割り行政』と言われる問題だ。日本版DBSであれば、保育士資格は厚労省、幼稚園や学校の教諭資格は文科省、犯罪歴管理や犯罪者更生は法務省、個人情報の保護は総務省が担っている。それらの省庁を横断的に繋げることは、当時の永田町の常識ではほぼ不可能だった。「子どもを守る」という重大な目的を前にしても、なお。

互いにないものを補う、同志の出会い

国政の場で奮闘する木村氏が前田氏と出会ったのは、2020年初夏、キッズライン事件の続報が世間を賑わせていた頃だ。木村氏は当時を振り返り、語る。

「『また木村が同じことを言っている』と言われながらも、一人で地道な打ち込みをしている時でした。とても心強い同志を得た!と嬉しかったですね」

前田氏は木村氏との邂逅を「大転換だった」と表現した。

「『なぜこれをやらないのか?』との強い思いはありましたが、当時の僕はまだまだ知らないことばかりで。木村先生から多くのことを教えていただき、どんどん論点整理が進んでいきました」

前田氏と木村氏には、お互いに補い合える長所があった。民間企業からNPO入りした前田氏が持つのは、「おかしいことは、おかしい」という素朴でブレない一般人目線と、どんな人にも分かりやすく伝えるプレゼン力。木村氏は政界で培った人脈と、「この人とこの人を繋げたら、いい化学反応が起こる」という嗅覚に自信があった。

「世論の後押しがあればいける」 共鳴する多分野の専門家たち

2020年11月には木村氏の紹介で、前田氏が自民党内の女性活躍推進特別委員会で講演を行った。

翌年、木村氏は自身が呼びかけ人に名を連ねるこども庁設立のための勉強会や自民党行革推進本部に新たに設置された縦割り行政の打破に関するプロジェクトチームなどに前田氏を招いた。同時進行で前田氏は、木村氏から得た知見を盛り込み、ブログ発信を敢行した。

そこで訴えたのはDBSの有効性と、縦割り行政打破の必要性。国会での委員会や政治家との意見交換など、重大イベントもこまめにフォローした。

前田氏は言う。

「今ここでコミットすれば、変えることができるのでは?という思いを、多くの人の中に醸成したかったんです。制度を求める声はもともとありましたし、あとは世論の後押しがあればいける、とも感じていました」

その前田氏の感覚は、木村氏も共有していた。

「前田さんの講演をきっかけに、多くの議員たちが問題意識を共有し、それぞれの委員会で質問してくれました。根本から変えなくてはならないんだと、分かりやすく伝わったんです」

タッグを組んだ二人に、さまざまな分野の専門家も共鳴した。教育学の大学教授、メディア人、弁護士、官僚が、日本版DBSを議論するメーリングリストに加わった。子どもの安全を守りたい、その志を同じくする人が集い、自然発生的に「最強のシンクタンク」(木村氏)が形成された。

日本版DBSの導入に意欲を見せた菅内閣

そして2020年末、日本版DBSは正式に、国政のアジェンダに加わった。閣議決定された「第5次男女共同参画基本計画」に、導入に向けた検討が明記されたのだ。2021年2月にテレビ放送の入った衆院予算委員会では、木村氏の質問が「早期に具体化し進めていく」とする菅総理(当時)の前向きな答弁を引き出した。

参考リンク:子供たちを性暴力から守るための制度創設に向けて(中間提言)

背景には、2020年9月から約1年間国政を担った、菅前内閣の政策ポリシーもあった。

「悪き前例と縦割り行政の打破」を掲げる規制・行政改革と、子ども政策に省庁横断的に取り組むための「こども庁(現時点での名称はこども家庭庁)新設」が、目玉として並んだこと。縦割り行政に阻害されていた子どものための防犯制度・日本版DBSの推進に、政権の方針が合致したのだ。

現岸田内閣はこの2点の方針を継承し、2022年1月の所信表明演説で、日本版DBS制度化推進を表明。2月には新設予定の「こども家庭庁」主要政策の一つとして、性犯罪の加害者が保育や教育の仕事に就けないようにする「無犯罪証明書」制度の導入検討を明らかにした。子どものための新設庁の準備を担う野田聖子こども政策担当相も、この制度の導入に意欲を示している。

「あと一歩」で骨抜きにしないために

必要を訴えられながら山のように動かなかった案件が、3年で、制度化一歩手前まで進歩している。その一方で、推進の軸を担った木村氏は、昨年秋の衆院選の際に議席を失った。しかし、政治家としての信念を込めた日本版DBSからは、一時たりとも目を離していない。

「今は関連の省庁で準備チームが作られ、草案が練られている段階です。草案は非公開なのですが、議員仲間で連携して常に状況を把握しています。しかし今、草案に影響を与えようとさまざまな思惑もうごめいている。性犯罪は『魂の殺人』とも言われますが、その重大さを認識できない人が、残念ながらまだ、いるんです」

制度化一歩手前、というと喜ばしい状況に思えるが、実は最も油断できない時でもある。今こそコレクティブ・インパクト(集団の力)が必要だと、前田氏は難しい表情で言い添えた。

「神は細部に宿ると言いますが、この細部をしっかり固められるか、目を光らせていないといけません。無償で従事するボランティアも対象にできるか?逮捕はされても起訴されていない人物の記録はどうするのか?犯罪データはいつまで残せるのか?…‥これらの点をきっちり押さえて設計できないと、制度自体が骨抜きになってしまう。そうしないために、国民の興味関心を持続させられるように努めています」

ブログで、著書で、全国での講演会で。前田氏は今日も、世論喚起に全力を注いでいる。

社会を動かすのは誰なのか

日本版DBSは省庁を超えた調整が必要で、関わる政治家には膨大な政治エネルギーが求められる。幾多の政策論点を抱える国会議員のうち、子どものための防犯政策に全力でコミットできる政治家は、残念ながらそう多くはない。木村氏のような人材が衆院選で再選できず、雌伏の時を過ごしているのは、まさにその日本の問題を象徴している。

では、「そう多くはない政治家」を、国政の舞台に送る力を持つのは誰だろう。それはこの記事を読んでいるあなたをはじめとした、有権者だ。

おりしも今年の夏には、参議院選挙が控えている。前回2016年の参院選は、24年ぶりに投票率が50%を割る深刻な事態だった。

日本をどんな社会にしたいか。その意思表示をする国政選挙の投票の権利は、18歳以上のすべての日本人に与えられている。より安心安全な社会を作る、そのためにエネルギーを注げる政治家を選び支えられるか。それは私たち有権者、一人一人の肩にかかっているのだ。

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木村弥生(きむら・やよい)

1965(昭和40)年、東京都出身。慶應義塾大学看護医療学部卒業。 前衆議院議員。看護師・保健師。元総務大臣政務官。 主な取り組み:未婚のひとり親への寡婦控除、医療的ケア児支援法、こども宅食、女性・女の子へのエンパワメントなど。

前田晃平(まえだ・こうへい)

昭和58年、東京出身。慶応義塾大学総合政策学部中退。 認定NPO法人フローレンス代表室長。政府「こども政策の推進に係る有識者会議」委員。 著書『パパの家庭進出がニッポンを変えるのだ! ママの社会進出と家族の幸せのために』(光文社)。 前職はリクルートHDの新規事業開発室でプロダクトマネージャー。 noteでは社会問題や家族の日常を発信。妻と娘と三人暮らし。毎日子育てに奮闘中! note / Twitter

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著者プロフィール: 高崎順子(たかさき・じゅんこ)

1974年東京生まれ、2000年よりフランス在住。フランス社会・文化に関する寄稿多数。著書に『フランスはどう少子化を克服したか』(新潮社)、『パリのごちそう』(主婦と生活社)など。