細田守監督もそんな中村の歌に惹かれて、「歌」を題材にした作品の主役に抜擢したのだろうし、『NHK紅白歌合戦』の出場も、やはりこの歌の力で引き寄せたものだと感じた。

■上原ひろみとの共演の一部始終。「誰かのピアノで歌う」というシンガーとして初めての瞬間

ライブの後半には、事前に告知されていなかった驚きの展開が待っていた。

「ピアニストになりたいと思っていたのに、いつの間にかこうして歌ってる」と語りながら、“POiNT”を歌いはじめ、「未来はわからない!」「いい未来をイメージ!」と歌詞の断片から言葉を投げつつ、「こここここここ」とパーカッシブに歌い、鍵盤を連打。すると突然ステージ袖から誰かが飛び出してきて、中村と向き合いながらのセッションがスタートした。

場内にスクリーンはなかったので、ステージ近くの観客以外は一瞬「誰?」となったはずだが、テクニカルなプレイで一気にその場の空気を持っていたその人がピアニストの上原ひろみであることがわかると、場内は大きな拍手に包まれた。

その後、「1月後半にオファーをしました」と、この共演が急きょ決まったことが明かされる。

前述のように中村はもともとセッションに喜びを感じて音楽活動を本格化させた人だ。バンド編成での活動、声優としての映画出演や『NHK紅白歌合戦』への出演といった経験を経て、いま再び即興でのセッションを、しかも上原ひろみを相手にというのは、このうえない喜びであったに違いない。

そんな喜びがどストレートに伝わってきたのが、“さよならクレール”。ピアノを上原に任せて自由に歌ったかと思えば、途中から再びセッションに突入して、鍵盤を高速で連打したり、ピアノ弦を直接指で弾いたり、様々な技を繰り出す上原と延々スリリングな即興が繰り広げられる。

2人の演奏が最高潮に達すると、そこからすでに何度もステージで合わせてきたかのように、そこからもう一度スッと歌へと戻り、最後の一音までぴったり合った演奏はまさに名演。この曲の歌詞になぞらえるなら、<息が…! 息が…!>詰まるような、そんな至極の時間だった。

さらに、“忘れっぽい天使”ではピアノを完全に上原に任せ、中村はハンドマイクでパフォーマンスをしながら、叙情的なメロディーを歌い上げた。

中村が自身の名義でピアノを完全に他者に委ねて歌うことはこれが初めてだったそうだが、2人の歌と演奏がしっかりと呼応し合い、歌い手としての中村がまた新たな扉を開いたようであった。

■その歌は、中村佳穂の存在を超えて、観客一人ひとりのものになる

上原が一度ステージを後にすると、床に直に置かれた中村の愛機Moog Oneで音響的な方向性もちらりと垣間見せてから、もう一度グランドピアノに戻る。このとき歌った「歌は何も知らずに伸びてゆく」というフレーズが、強く印象に残った。

本編ラストの“アイミル”はオーディエンスと向き合いながら、会場中のクラップとともに歌い上げ、その光景は場内の一人ひとりとセッションを繰り広げるかのようでもあった。

中村は昨年のCINRAのインタビューで「歌は誰のものでもない」と語り、それは「誰のものにもなりうる」ということの裏返しでもあるわけだが、それがたしかに感じられるシーンだった。

アンコールではこの日配信が開始された新曲“Hank”を披露。“Hank”とは「糸の束」を意味し(もともとは「阪急百貨店」から取られたタイトルだったそう)、音源では西田修大と君島大空が文字どおり糸を絡めるような精緻なギターを提供しているが、流麗なピアノによる弾き語りも素晴らしかった。

最後は再び上原を招き入れ、「あなたの帰り道に歌がありますように」と告げて、“口うつしロマンス”をセッション。意味を超えて、意志を超えて、ただそこにあり、どこまでも伸びてゆく中村の歌に、これから出会うであろうリスナーも「一耳ぼれ」せずにはいられないはずだ。

3月23日には約3年半ぶりとなるフルアルバム『NIA』のリリースが決定。大きな注目が集まるなか、もう一度自らの歌と向き合い、上原ひろみとのセッションを通じて音楽の楽しさを噛みしめ直して、中村佳穂の新章がはじまる。

(テキスト/金子厚武、撮影/川島悠輝、編集/山元翔一)