“ミライモンスター”から五輪出場へ 24歳女子ジャンパーを刺激した高梨沙羅の言葉
ノルディック・スキージャンプの渡邉陽
北京五輪出場を果たせず、2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪、30年五輪を目指す冬季競技のアスリートは数多くいる。ノルディック・スキージャンプ女子の24歳、渡邉陽(みなみ)もその一人だ。
札幌市に生まれ、幼少期から1学年上の高梨沙羅らと競ってきた。高校時代は2年連続で全国制覇を果たし、国際大会にも出場。しかし、中3で手術を受けた右膝の不調などがあり、20代に入ってからは思うようなジャンプができていない。それでもあきらめず、4月からはプロジャンパーに転身する。自らスポンサーを集め、飛び続ける思いと覚悟を「THE ANSWER」に語った。(取材・文=柳田 通斉)
渡邉は、北京五輪には解説者として関わった。高梨ら日本代表メンバーをよく知る立場で、フジテレビ系「めざまし8」や地元北海道ローカルのテレビ番組に出演した。だが、あの大舞台で飛ぶことをあきらめてはいない。
「まずは4年後のミラノを目指しますが、地元札幌での開催が有力視される8年後を最も大きな目標にしています。今は遠く及びませんが、小さい頃から一緒に飛んできた沙羅さんに、『これから出てくる選手』として言ってもらったことをずっと励みにしているので、沙羅さんとオリンピックの表彰台に立ちたいです」
渡邉は小3でジャンプを始めた。20〜25メートルを飛べるスモールヒルの台から滑ったが、すぐに夢中になったという。
「両親に聞くと、私、札幌ジャンプスポーツ少年団に入って、2日目には飛んでいたそうです。恐怖心はその頃からなかったみたいです(笑)」
全国高校総体2連覇、国際大会出場も…右膝手術
北海道では同学年での女子競技者は渡邉だけだったが、1学年上の高梨、小林陵侑らと飛び続け、中2で全国中学生スキー大会に出場。45〜50メートルのミディアムヒルで競技力を高めていたが、中3の全国中学生スキー大会で転倒。右膝前十字靭帯断裂の大けがを負うも、1か月の入院と6か月のリハビリを経て高1の秋に復帰。高2から海外遠征を経験し、高3のシーズンではシニア大会初優勝を飾り、全国高校総体2連覇も果たした。
W杯札幌大会、蔵王大会にも出場。世界ジュニア選手権ルーマニア大会では個人20位となり、東海大北海道1年で出場した同選手権米国大会では、男女混合団体で銅メダルを獲得した。だが、その前から再び右膝が痛み始めた。
「高校時代は調子が良くて、3年の時にはフジテレビの『ミライ☆モンスター』で特集してもらいました。沙羅さんにも『これからどんどん出て来る選手』とコメントしていただき、本当にありがたかったです。ただ、大学に入った頃から右膝が痛み始めました。中3で受けた手術が良くなかったみたいで、検査を受けたところ、『このままでは5年後には歩けなくなる』と言われ、再手術を受けました。リハビリには約1年、かかりました」
その後、競技に復帰。しかし、大学卒業後に受け入れてくれる実業団は、五輪出場レベルの選手のみで、渡邉は一般企業で働きながら競技を続ける意志を固めた。そして、18年にプロ野球・日本ハムによる次世代スポーツ人材育成型クラウドファンディング「FIGHTERS CROWDFUNDING〜Be Ambitious」の第1号選手だったことで、球団イベントで知り合った東部ダイハツ(本社・北海道川上郡標茶町)の社長に連絡。父親と熱意を伝えて、卒業1か月前の20年2月に採用内定を手にした。
「入社してからは、車の販売営業をしながら競技を続けました。ヒールを履いたまま、車を磨くこともあります。ただ、真剣に五輪を目指すには年間を通して練習量を増やさないといけないことを実感し、今年の3月で退社して競技に専念することになりました。そのためには資金が必要なので自分で資料やYouTube動画を作り、スポンサー集めに動いています。少なくとも年間で1000万円の活動費が必要なのですが、まだまだこれからです」
左手首骨折、記憶がなくなる脳震盪も経験、それでも競技が「好きです」
だが、五輪への道は険しい。今年7月のサマージャンプから始まる新シーズンで国内ランキングのポイントを稼ぎ、W杯派遣メンバー6枠に入っていかなければ、代表(4人)に選ばれる可能性はない。今季も思うような成績を上げられていない渡邉にとっては茨の道だが、高校時代につかんだ感覚を取り戻せれば、上位メンバーと戦える自信はあるという。
「沙羅さんは小さい頃から別格でしたが、私も世界ジュニア選手権でメダルを取った頃には少し近づいた感じはありました。まずは右膝を万全にして、体も作り直します。海外には30代で活躍する女性ジャンパーも少なくありませんし、私自身の勝負はこれからだと思っています」
ブレることのない意志の強さを感じ、最後に「純粋にジャンプ競技が好きなんですね」と感想を伝えると、渡邉は「好きです」と即答して続けた。
「小3で始めた時から1度も止めたいと思ったことはありません。膝だけでなく左手首を骨折したり、記憶がなくなるほどの脳震盪も経験しましたが、それでも恐怖心はありません。トップレベルでの競技は8年後の五輪で終わりと思っていますが、一般では50代、60代でも飛んでいる人はいます。私もできるだけ長く、飛ぶという素晴らしい感覚を味わっていたいです」
文字通り、ジャンプの魅力にハマり続けている24歳。長く苦しい時期の経験さえもプラスに転換し、4年後、8年後に大輪の花を咲かすつもりだ。
◆渡邉陽(わたなべ・みなみ)
1997(平成9)年9月5日、札幌市生まれ。札幌西野第二小3年から競技を始める。札幌西野中から札幌日大高、東海大北海道に進学。左利き。最長不倒は126メートル。身長164センチ。家族は両親。
(THE ANSWER編集部・柳田 通斉 / Michinari Yanagida)
