韓国政府のGSOMIA破棄決定を伝える韓国のニュース番組(2019年8月22日、写真:YONHAP NEWS/アフロ)


(数多 久遠:小説家・軍事評論家)

 韓国が「日韓秘密軍事情報保護協定(GSOMIA:ジーソミア)」の破棄を決定しました。日本政府にとって想定外の出来事でした。筆者も「どれだけ文政権が愚かでもGSOMIAの破棄はないだろう」と思っていましたので、極めて衝撃的なニュースでした。

 GSOMIAは、防衛関係情報を相互にやり取りするための枠組みで、内容的には、相互に情報をやり取りし、それを第三者には渡さない、とするものです。民間企業間におけるNDA(秘密保持契約)のようなものだと思っていただければほぼ正解です。

 実際に共有する情報は、GSOMIAでは具体的に規定されていませんが、北朝鮮の弾道ミサイルからの防衛が主目的です。

 これは、GSOMIA成立の経緯を見ても分かります。

 日韓GSOMIAは、2010年頃から検討が始まりましたが、実際に締結の見込みになったのは、北朝鮮が沖縄を飛び越え、衛星軌道に物体を投入するミサイル発射実験を2度にわたって行った2012年です。北朝鮮が弾道ミサイル実験を相次いで行ったため慌てて締結しようとしたのです。

 ところが、この締結は、予定時刻の1時間前に韓国側の意向によってキャンセルとなります。李明博政権が、北朝鮮に扇動された国内世論に配慮したためです。

 そして実際に締結されたのは2016年です。この年、北朝鮮は2度にわたる核実験と2012年以降中断していた大陸間弾道ミサイルを開発するための実験を再び行っています。

 つまり、日韓GSOMIAは、北朝鮮の大陸間弾道ミサイル開発に対応するために締結されたものなのです。

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2016年以前の枠組みに逆戻り

 この締結の背後にあったのは、アメリカの強い意向です。アメリカの意向に沿って締結の運びになった協定ですから、日本政府は、よもや破棄には至らないだろうと考えていたと思われます。

 では、なぜアメリカは日韓GSOMIAを必要としたのでしょうか?

 それは、弾道ミサイル防衛を行うためには、迎撃ミサイルがイージスSM-3、THAAD、PAC-3、GBIのいずれであれ、また今後出現してくるかもしれないエアボーンレーザーであれ、目標情報の共有を行うための「キューイング」が極めて重要だからです。

 最近は、当たり前となったためかあまり聞かれなくなった「キューイング」ですが、これは最初に目標を捕捉したレーダーの情報を他のレーダーが活用し、そのレーダーも素早く目標を捕捉するための手法です。

 現在レーダーの主流となっているフェイズドアレイレーダーは、昔の特撮などでよく見られた金網のようなレーダーよりも、強力なレーダー波を出すことができます。しかし、そのレーダー波は多くの場合、ペンシルビームと呼ばれる細いものなのです。それを電子制御により、素早く連続的にあちこちに向けて放射することで目標を捉えます。このため、弾道ミサイルのように高速で飛翔する物体を遠距離において捕捉追随することは、実は結構難しいことなのです。

 それを容易にするのがキューイングです。目標が存在する位置が分かっていれば、その位置にレーダー波を放射すれば、目標を捉えることができるのです。

 日米間のGSOMIAは、日韓GSOMIAより9年も早い2007年に締結されています。これにより、早期警戒衛星の情報を含め、日米間ではキューイングが可能な法的枠組みが構築されました。

 一方、米韓のGSOMIA締結年は、確認できませんでしたが、日韓GSOMIAが締結された2016年よりも早かったことは確実です。遅くとも2012年中には締結されていたでしょう。

 つまり、2016年に日韓GSOMIAが締結されるまでは、
・日米=キューイングあり
・米韓=キューイングあり
・日韓=キューイングなし
という状態でした。

 この状態ですと、韓国のレーダーが捉えた目標の情報はアメリカには伝達されていても、日本には伝達されません。また、アメリカは、韓国から得た目標情報を日本には流さないようにしなければなりませんでした(ちなみに、この伝達は1000分の1秒を争うため、人間の判断は介在せず、システムが自動的に行っています)。

 このように2016年以前は、韓国からの情報を日本に対してはブロックするシステムでした。今回、韓国が日韓GSOMIAを破棄すると、この状態に戻ることになります。

 元の状態に戻るだけですから、システムはさほど苦労せずに変更できるでしょう。しかし、北朝鮮が発射した弾道ミサイルの評価を実務担当者が日米間で行う際、アメリカは、日本に伝えてはならない情報を弁別しなければなりません。当然、日米韓の3者で会合することなどできなくなります。行ったとしても、表面的な話題しか話せません。

 以上は韓国からの情報を日本に渡せなくなるケースで説明しましたが、逆ももちろん存在します。北朝鮮は、何度か日本列島を越える弾道ミサイル発射を行っていますが、韓国のレーダーでは水平線よりも下を捉えられず、日本のレーダーだけが追尾を続けているというケースがあります。日韓GSOMIAが破棄されれば、アメリカは、この情報を韓国に対してブロックしなければならなくなります。

 また、最近、北朝鮮はイスカンデルに類似した大気圏内で機動するミサイルのテストを繰り返しています。こうしたミサイルの場合、終末期の飛翔経路把握が重要です。こうしたミサイルの情報に関しても、韓国は日本のレーダーが捉えた情報が得られないことになります。

弾道ミサイル防衛の実害は大きくない

 日韓GSOMIAが破棄されると、それを最も必要としたアメリカにとって大きなマイナスとなります。アメリカ国防総省は韓国の決定に強い失望と懸念を表明しました。

 ただし、現状の弾道ミサイル防衛での実害は、それほど大きくありません。日米GSOMIAと米韓GSOMIAが生きており、日米、米韓の間では情報のやり取りが可能です。日本が捉えた目標も、韓国が捉えた目標も、その情報がアメリカには伝達されます。

 そして日本国内には、米軍が運用するTHAAD用のレーダー、AN/TPY-2が青森県の車力と京都の経ヶ岬に配備されています。さらに、日本周辺の海上にはイージスシステムを搭載したBMD対応の米駆逐艦が多数遊弋(ゆうよく)しています。

 同様に、韓国内にも米軍のTHAAD用AN/TPY-2レーダーが存在していますし、周囲にはイージス駆逐艦も航行しています。

 日本や韓国のレーダーが捉えた目標は、キューイングにより秒をおかずしてアメリカのレーダーが捕捉します。アメリカのレーダーが捉えた目標情報であれば、日本にも韓国にも情報の提供ができるのです。

 アメリカにとってマイナスでありながらも、実際には害が少ないというこの事実が、文政権をして、破棄という判断をさせた要因なのかもしれません。政権に阿(おもね)る軍関係者も、そのように報告したでしょう。

韓国内で政変が起きる可能性も

 しかし、日本国内で強い驚きをもって報じられ、アメリカ政府も強い懸念を示している日韓GSOMIA破棄という決定は、その実害以上に、韓国の「自由主義陣営からの離脱」への意思を感じさせます。

 情勢は予断を許しませんが、この決定は大きな政治的変動の契機となるでしょう。

 そして、それは韓国の保守派にとっても同じです。今後の情勢は不透明ですが、韓国で軍保守派主導のクーデターが起きることも可能性がないとは言えません。もし発生すれば、アメリカは支持せざるを得ないでしょう。

筆者:数多 久遠