2011年に勃発した、F1のチーム名「ロータス」を巡る混乱は、若い世代にはあまりピンとこないものだったかもしれません。歴史に名を刻むかつての「チーム・ロータス」を、タミヤ本社ギャラリーに展示された2台のマシンから振り返ります。

F1の歴史に刻まれる「チーム・ロータス」

 プラモデルメーカーであるタミヤの本社ビル(静岡市)には、内外の名車、2輪車などを集めたギャラリーがあります。そこには、プラモデルキット化にあたり解体するために購入したというポルシェ911や、F1(フォーミュラ1)世界選手権史上唯一の実戦に投入された6輪車ティレルP34をはじめ、さまざまな伝説に彩られた本物の実車が展示されています。


タミヤ本社ギャラリーに展示された「ロータス91」。「12」はマンセルの車番。奥に「ロータス102B」も見える(2019年5月9日、乗りものニュース編集部撮影)。

 そうしたなかに、チーム・ロータスのF1マシンが2台、見えます。黒地に金のストライプとスポンサーロゴが映える「ロータス91」と、白&緑のツートンカラーである「ロータス102B」です。いずれも実戦で使用されたものであり、102Bのノーズ/リアウィングには、当時スポンサーだったタミヤのロゴがあしらわれています。この2台がどのような経緯でここにあるのか、その詳細を知る人は、タミヤ社内にもすでにいないそうです。

 そもそも「チーム・ロータス」とは、発明家であり実業家でもあり、自らもレーシングドライバー経験のあるコーリン・チャップマンが設立した、イギリスのレーシングチームです。1958(昭和33)年から1994(平成6)年までF1に参戦していた、いわゆる「名門」「老舗」と形容されるにふさわしいチームでもあります。

人呼んで「ブラックビューティー」

 チャップマンおよびロータスは、F1に数々の革新的な発明をもたらしました。詳細は省きますが、「クサビ型ボディ」「グランドエフェクトカー」といった技術的な面もさることながら、2019年現在では当たり前となった、マシンのボディにスポンサーカラーをまとうことも、このチーム・ロータスから始まったことです。


「ブラックビューティー」こと「ロータス79」。チーム内では「ジョン・プレイヤー・スペシャル・マークIV」と呼称した(画像:Sergey Kohl/123RF)。

 なかでも、黒地に金や白の文字、ストライプが走るボディカラーは、1972(昭和47)年から、あいだに2年の中断を挟み、1986(昭和61)年までメインスポンサーを務めたインペリアル・タバコ社のブランド「JPS(ジョン・プレイヤー・スペシャル)」のもので、チーム・ロータスの代名詞的なカラーリングのひとつです。特に1978(昭和53)年シーズンに投入された「ロータス79」は、洗練されたボディデザインとも相まって、「ブラックビューティー」とも称されました。

 先に触れた、タミヤのギャラリーに展示されているJPSカラーの「ロータス91」は、1982(昭和57)年シーズンに投入されたものです。同シーズンのチーム・ロータスには、のちのワールドチャンピオン(ドライバー年間タイトル)であるナイジェル・マンセルも在籍していました。第13戦「オーストラリアグランプリ」にて、エリオ・デ・アンジェリスのドライブにより優勝を飾りますが、これは同年12月に急逝したコーリン・チャップマンの、最後の勝利になりました。

資金難とジャパンマネーの流入

 コーリン・チャップマンの死から5年後の1987(昭和62)年、初の日本人フルタイムF1ドライバーである中嶋 悟がチーム・ロータスよりデビューしたこの年から、同チームのマシンはアメリカのタバコメーカー、RJレイノルズ社のブランドである「キャメル」の黄色いスポンサーカラーをまとうようになります。日本では中嶋の動向と共にメディアへ広く露出したため、ロータスのマシンといえばこの黄色いカラーを思い浮かべるという日本人は多いかも知れません。

 ただし、この頃からチームの資金難が取り沙汰されるようになりました。そしてタミヤのギャラリーにあるもう1台のロータス、102Bが投入された1991(平成3)年には、前年を最後に離れた「キャメル」の代わりに、タミヤ、コマツ(小松製作所)など日本企業のスポンサーロゴが目立つようになります。バブル景気の終盤の時期にあたり、F1にも多額のジャパンマネーが流れ込んでいました。翌1992(平成4)年には、当時ドライバーを務めていたミカ・ハッキネンとジョニー・ハーバートが、シオノギ製薬(大阪市)のテレビCMに出演しています。


タミヤ本社の「ロータス102B」は、いすゞのF1用エンジンをテストした車体でもある。

1975年シーズンを戦った「ロータス72E」のノーズ。「5」はR.ピーターソンの車番。

1992年シーズンに投入された「ロータス107」のノーズ。「11」はハッキネンの車番。

 それでも資金難が改善されることはありませんでした。それはそのまま、チームの戦闘力にも直結します。ハッキネンやハーバートが何度か入賞はするも表彰台からは遠ざかり、そして深刻な資金難を理由に1994(平成6)年、チーム・ロータスはF1を去ることになります。年間ノーポイント、つまりレースで上位6位(1959〈昭和34〉年以前は上位5位。いずれも当時のルールによる)に1度も入賞できなかったのは、37年間の参戦で最後の94年シーズンのみでした。


ヴィタリー・ペトロフがドライブする「ロータス・ルノーGP」のマシン。同チームは2012年より「ロータスF1チーム」を名乗る(画像:David Acosta Allely/123RF)。

 その後2010年代に入り、F1に「ロータス」のチーム名が復活します。復活どころか、2チームが同時に「ロータス」を名乗り参戦するという、前代未聞の事態に陥ります。もちろん混乱をきたし訴訟沙汰にもなってしまいましたが、見方を変えれば、F1における「ロータス」という名前が大きすぎる証左といえるかもしれません。

 この騒動は2011(平成23)年シーズン中に収束、「ルノーF1」を前身とする「ロータス・ルノーGP」が翌2012年シーズンから少し名称を変え「ロータスF1チーム」として活動を継続しましたが、しかし2015年シーズンを最後に、「ロータス」の名はF1から再び消滅してしまいました。

【写真】けっこうデカい! 実車版ミニ四駆「1/1 エアロアバンテ」


タミヤ本社ギャラリーに展示されている、同社のミニ四駆マシンを32倍に拡大し実車スケールとした、その名も「1/1 エアロアバンテ」。全長 4650mm、全幅 2800mm、全高 1440mm、動力にはレシプロエンジンを搭載(2019年5月9日、乗りものニュース編集部撮影)。