“コミケの女帝”七瀬葵氏の作品集

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 現在、ネット上では、生成AIの是非に関する議論が盛んになっている。そんななかで、もっとも積極的に発言をしているクリエイターの一人が、日本最大の同人誌即売会「コミックマーケット(以下、コミケ)」で圧倒的な人気を誇った、イラストレーター・漫画家の七瀬葵氏である。七瀬氏は、その発言がしばしば議論を巻き起こすため、たびたび渦中の人になってしまっている。

 七瀬葵氏にインタビューに行く旨を友人のイラストレーターや漫画家に話したら、「あの人はヤバい」「やめておいたほうがいい」「なぜ山内さんは、そういう危険な人にばかりインタビューに行くのか」などと言われたくらいである。「いやいや、私はさんざん“本当に危険な人”にインタビューしているんだぜ」と言いたくなったが、やめた。

“コミケの女帝”七瀬葵氏の作品集

 それはさておき、あまりに周囲から不安視する声ばかり聞かれるので、気合いを入れて臨んだが、七瀬氏と対面して拍子抜けした。はっきり言えば、七瀬氏は、ネット上で流布されているイメージと異なる人物であった。それに、七瀬氏がSNSに書き込むコメントを冷静に読むと、イラストレーターの在り方について示唆に富んだ内容が少なくないのである。

 昨年、SNSを中心に「生成AIを使っている同人サークルをコミケから排除すべき」という議論が巻き起こった。こうした主張に対して、七瀬氏はコミケに長年参加してきた立場から「否」を唱える。「あらゆる表現を分け隔てなく受け入れてこそコミケ」と語る七瀬氏に、生成AIと二次創作、同人文化について語ってもらった。【文・取材=山内貴範】(全2回のうち第2回)

【写真で見る】手書き、デジタル、そしてAI使用まで…「コミケの女帝」七瀬葵氏が手掛けてきた膨大な作品群

偶然流れてきた生成AIの絵柄にハマる

――七瀬先生が、生成AIに関心を持ったのはいつですか。

七瀬:2000年代半ばに仕事を抱えすぎたうえ、様々なトラブルにも見舞われて、ネットでボコボコに叩かれたことがありました。肉体的にも精神的にも疲弊して、双極性障害を発症。その後、しばらくはパソコンに向かっても、以前のような絵が描けなくなってしまったのです。描いても線が固くて、理想とはまったく違うものになってしまいました。

 一度、絵から離れようと思い、日雇いの倉庫や食品加工のバイトをしたことがあります。2010年代からは色紙を描いてヤフオクで売ったりするようになりましたが、10年以上、生きているのか死んでいるのかわからない状態が続いていたのです。そんなとき、生成AIのイラストがTwitter(現:X)に流れてきて、驚きました。2022年の10月頃のことです。

――偶然見た、生成AIのイラストに衝撃を受けたわけですね。

七瀬:はい。すぐさま、イラストをUPしていた方にリプをしたんです。低年齢な感じの女の子の絵だったので、「もうちょっと大きな女の子が見たい」と言ったら、「それ以上はご自身で追求したらいい」と言われました。そしてたどり着いたのが「Nobel AI」。サイトに登録してお試しで出力したら、とても楽しかったのです。

 それを機に、生成AIのイラストをUPしているアカウントをフォローするようになりました。やがて生成AIの進化が加速し、「元素法典」が出た時に一気にクオリティが上がりました。サブスクに入って絵をTwitterにUPしているうちに、自分は純粋に生成AIのイラストが好きで、楽しんでいることに気づいたのです。

――なるほど。七瀬先生にとって、生成AIのイラストはドンピシャで好みの絵柄だったというわけですね。

七瀬:そうなんですよ。それまでは自分が絵を描いて発信する側でしたが、初めて“受け手”としての楽しみを見出してしまった。それに、人間が描いた絵なら作者のイメージを連想してしまい、余計な感情が入ったかもしれませんが、AIはかわいいならかわいい、かっこいいならかっこいいと純粋に楽しめるのが良かったのです。

 好きな作家さんの絵はそれまでもたくさんあったのですが、生成AIのイラストは私にとって、“心からかわいい”と思えるものだったのです。目の保養になったし、生きる糧にもなりました。だから、今もあくまでも私は、生成AIで好きな絵を出力して楽しんでいる感じ。趣味のような感覚で楽しんでいるだけなんですよ。

 それに、当時はみんなが同じスタートラインに立っていたのも良かった。誰かが決めたテーマに合わせて、みんなで絵を出力したり、絵の出し方を教え合ったり。ああ、これは私がやりたかったことなんだな……と思うと本当に楽しかったし、救われた気持ちになりましたね。

七瀬葵が叩かれ始めた要因

――そういった純粋な気持ちが生成AIに親しんだ動機だったわけですね。ただ、七瀬先生が生成AIを使い始めたところ、SNSやネット掲示板で「七瀬葵がAI堕ちした」などと騒動になり、ボコボコに叩かれましたよね。原因は何だったのでしょう。

七瀬:2022年の10月、同人誌即売会で初めて生成AIのイラストをまとめた本を出しました。その頃から既に物議を醸していたようですが、次に出した本がイベント会場で余ったので、「とらのあな」(注:同人誌を扱う専門店)におろしたのです。すると、ネット通販の画面に表紙や中身が登録されていないタイミングで、購入した方がいたんですね。

 結果、購入者から私のもとにクレームが寄せられました。「手描きの絵じゃないんかい!」と言われ、「AI堕ち」だとか、「死ね」とか、SNSや5ちゃんねるでボコボコにされました。このときの叩かれ方は本当に酷くて、精神的に凄く追い込まれました。今も“反AI”と呼ばれている人たちに恨みや怒りがあるのは、そのためです。

――しかし、私個人としては、連日Xでアンチとレスバトルを展開している七瀬先生を見て、そこまで反論しなくてもいいのに……と思ってしまうのですが。

七瀬:そうおっしゃるのもわかりますが、有名な漫画家やイラストレーターが少しでも生成AIを容認しただけでボコボコに叩かれ、最終的に謝罪まで追い込まれた例も多いですよね。みなさん、新しい技術を試してみただけなのに、その仕打ちはあまりに理不尽でしょう。私も、最初はタコ殴りされるのを黙って受け続けていたら、だんだん鬱が酷くなって……、このまま死のうかなとなったことがあったんです。

 何もやり返さなければ死んでしまう、と思ってレスを返すようになり、今に至っているのです。生成AIのイラストを発表する人はたくさんいますが、私の場合は、昔の絵柄を知っている人がいるせいで、作家性や人格否定も含めた様々な石つぶてが飛んでくる。私は“AI堕ち”したわけではなく、アナログイラストも描いています。生成AIは“楽しんでいるだけ”なのに、なかなかわかっていただけないのは残念ですね。

コミケからAIを排除するのはダメ

――昨年、一部の人たちの間で、コミケから生成AIを排除すべきという意見も出ていました。コミケで超大手サークルだった七瀬先生から見て、どう思いますか。

七瀬:コミケの理念は、どんな表現であっても受け入れ、自由に発表できるお祭りの場をみんなで作ろうというものだと思います。「これはいけない」「これはいい」と選別するとそれがだんだんエスカレートして、しまいには二次創作はダメだとか、エロと健全で分けよう、という話になりかねません。

 手で描いたものじゃないからダメだ、嫌だ、と言いたくなる気持ちはわかります。しかし、生成AIはテクノロジーに過ぎません。それだけをコミケで禁止しだすと、嫌いなものは何でも排除しようと言い出す人が出てくるかもしれない。それが行き過ぎると、5年、10年後にコミケが分裂してしまう可能性もないとはいえません。

 最近、一部にコミケを“絵師の祭典”と勘違いしている人もいるようですが、小説を書いている人も、旅行記を出している人も、アクセサリーを作っている人も参加しています。ごった煮で何でもありなのがコミケの大らかさであり、魅力です。先人たちはそれを理解して表現の場を守ってきたのに、好き嫌いを理由に理念を変えようとするのは困ります。

ベテランほど生成AIに寛容?

――SNSでは、生成AIに肯定的な考えを示すベテラン漫画家を“老害”と呼ぶ人もいます。若い人たちほど反発しているように思いますが、なぜだと考えますか。

七瀬:今の若い人たちのほとんどは、デジタルネイティブです。最初からデジタルで絵を描き始め、デジタルの環境で一生懸命絵を練習して、やっと上手に描けるようになったのでしょう。そのタイミングで生成AIが出現したわけです。自分が努力してきたものが潰されると思うと、嫌で仕方ないのではないでしょうか。

 私は初めて同人誌即売会に出たときから、アナログで絵を描いてきました。ところが、1990年代後半にデジタル化の流れがきて、それまで培ったアナログの技術から転換し、デジタルをゼロから学び直さなければいけませんでした。このように、テクノロジーが変革するときは、足元からひっくり返るのが当たり前なのです。

 若い人たちはまだ、変革を味わったことがないかもしれません。私はそうした変化を何度も経験しているので、生成AIに対しても「ああ、またか」と思っています。とはいえ、大きな変革だとは思いますから、抵抗があって当たり前でしょう。何年間も培ってきた技術が突然意味がないものにされたら、無力感が生まれるのは当然かもしれません。

――産業革命で機械化が進んだときは多くの職人が仕事を失いましたが、それと同じ感覚を味わっているのかもしれませんね。

七瀬:環境の変化に適応できないクリエイターは、自然と淘汰されていくことでしょう。新しいものに対応するよう努力しないと席がなくなるという経験も私は味わってきましたし、実際に周りがそうなるのを見てきました。だからこそ、クリエイターはいろいろなものに興味をもち、首を突っ込むべき。新しい技術を見て、「これはまずい」などと言っているようでは、凡人クラスだと思いますね。

二次創作が禁止される恐れも

――私が取材したある大御所の漫画家は、「生成AIよりも18禁の二次創作物のほうが著作者人格権を侵害している」と言っていました。著作権に関する考え方も、クリエイターによってかなり異なりますね。

七瀬:同人作家でありながら、生成AIの著作権侵害を非難し、過度に無断利用を問題視しだすと、二次創作までもが規制の対象になりそうで、私は嫌なのです。そもそも同人誌で、大手IPのキャラを公式の許諾を得ずに勝手に描いているのを棚に上げて、「生成AIは他人の絵柄を盗んでいる」「生成AIだけ規制しろ」と言うのはおかしいと思いませんか。

――ナコルルの同人誌で一世を風靡した七瀬先生が言うと、重みがありますね。

七瀬:企業を巻き込んだ騒動になると、同人誌即売会の規制にまで発展しかねません。だから、生成AIに反対する人たちは、余計な騒動を起こさないでほしいと思います。「生成AIに盗まれるので、絵柄も著作権で保護すべきだ」という意見もありますが、そんなことを言い出したら、新しいものは何も作れなくなってしまいますよ。

 私が90年代に試行錯誤して作り出した絵柄は、たくさんの人が模倣しました。私は絵柄を大事にしていたのでつらかったし、悲しかった。でも、著作権では絵柄は保護されないとわかっていたので、何も言いませんでした。今になって、生成AIに反対する人たちが「絵柄を守るべきだ」と主張するなら、私の絵柄を真似した人たちにも同じことを言ってほしいです。

――今後、イラストの世界で生成AIの存在感は高まっていくのでしょうか。

七瀬:10年後くらいには生成AIイラストというカテゴリーが、クリエイティブの中心になると思います。誰でも生成AIでイラストを出せると思われていますが、プロンプトの書き方で個性が生まれるため、既に作風で差別化を図っている人もいます。今後はそうした生成AIクリエイターのブランド化が進んでいくはずです。

 そうしたなかで、デジタル中心で絵を描いている人は、この先どうするんだろうなと思います。私は、既に絵師自体は飽和状態だと思う。名前を把握できないくらい、たくさんの絵師がいますからね。だからこそ、「なにもかも生成AIのせいにしているんじゃないよ」と言いたい。他責思考、被害妄想では、気が付いたら自分だけ取り残されていたということになってしまいますよ。具体的な行動を起こさないなら、これから絵師が生き残るのは厳しいのではないでしょうか。

 第1回【“コミケの女帝”と呼ばれたイラストレーター「七瀬葵」が語り明かす…90年代コミックマーケット「伝説」と「騒動」の真相】では、イラストレーターの七瀬葵氏に、1990年代コミックマーケットで七瀬氏が残した数々の伝説について、その真相とともに、当時の心境を語っていただきました。

ライター・山内貴範

デイリー新潮編集部