「切なくなるから歌の番組は見なかった」 美川憲一が明かす、パーキンソン病との闘い 復帰後「初めてステージで泣いたわ」
厚生労働省による2020年の調査では、総患者数約29万人。パーキンソン病は高齢になるほど発病率が上がるため、今後急増するとみられる。昨年、その病に侵されていることを公表した歌手の美川憲一。今も続く闘病生活とこれからの活動について語った。
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「すごいショックだったわよ。私は楽天家で、クヨクヨせずに悩みを切り捨てるタイプ。だけど、今回はダメだった。“もう歌えなくなるんじゃないか”って真っ先に思ったわ」
そう振り返るのは、昨年11月、パーキンソン病を患っていると公表した、歌手の美川憲一(80)である。
パーキンソン病は、脳の神経細胞が減少することで、運動機能が徐々に低下する神経変性疾患。手足の震えや筋肉のこわばりのほか、動作の遅延、バランス障害といった症状が現れ、進行すると寝たきり状態になってしまう難病の一つだ。

「年齢的にいつお迎えが来てもおかしくないと覚悟していた反面、やっぱり“歌があるから大丈夫”ってどこかで思っていたの。病気が見つかる前年の2024年に芸能生活60周年を迎えていたから、“あれを最後に歌えなくなるのかな”って。病気はしたことなかったし、皆さんに“元気が一番”って言う立場で、“死”なんて意識したことがなかったのに……」
「切なくなるから歌の番組は見なかった」
美川は、2〜3年前からステージ上で、なんとなく足が重く、引きずる感覚があったという。パーキンソン病が判明したのは、ある意味偶然だった。
「昨年8月、ロスの別荘の台所で意識を失って倒れてしまったのよ。意識がなかったのは2〜3分ほどだったけど、すぐ現地の病院に行ったら“心臓が原因じゃないか”となって。帰国して、さっちゃん(小林幸子)が紹介してくれたクリニックで再度、よく診てもらうことにしたのよ」
その結果、心臓の機能が低下し脈が遅くなる「洞不全症候群」という不整脈の一種であることが判明。9月にペースメーカーの植え込み手術をした。
「手術は無事に終わったけど、この際だから徹底的に調べてもらうことにしたの。そしたら『パーキンソン病』だと診断されたんです。最初のうちはへこんだわ。病室では、テレビを見るか、先生の診察を受けるくらいしかないじゃない。病院食は味が薄くて……。楽しみといえば、マネージャーに買ってきてもらったウナギを食べること。『ほっともっと』ののり弁も食べたわよ。食べ物の持ち込みに制限がないのが幸いだったわ」
入院中は昼に起きて食事を取る生活を送った。普通なら太ってしまいそうだが、体重は8キロ減少したという。
「歌の番組は一切見なかった。切なくなるから。ちょうど好きなお相撲の中継をやっていたから、気晴らしに見ていたら、自分の病も投げ飛ばしてくれるような気がして元気が出たわ。入院中は毎日、廊下で足踏みや歩く練習のリハビリをしたけど、やっぱり最初は体がついてこなかった。“元に戻れるだろうか”と不安に駆られる度に、“前に進むしかない”“負けない”と自分に言い聞かせたの。むしろ意志を強く持たないと駄目だと思い、あえてすぐの年内復帰を目指しました。“とにかく歌いたい”って一心でね」
初めてステージで涙
その願いがかない、1カ月半の入院生活を終えた12月に、愛知・豊田でディナーショー、長崎でもコンサートをしカムバックを果たす。
「お客さんが“お帰りなさい”と言ってくれたときは、初めてステージで泣いたわ。それから、義父がパーキンソン病で引きこもっているというファンの方がお手紙をくれたの。放っておけなくて、電話したのよ、“美川です”って。向こうは驚いていたけど、“アンタ、お義父さんを連れてコンサートに来なさい!”って言ったのよ。4月4日に福島県の郡山で開いたコロッケとのジョイントコンサートに、その方が車いすで来てくれてね。私が一生懸命歌う姿を見て涙を流してらしたわ。コンサート後、“自分に負けたらダメよ”って握手したわ」
すっかり元気そうに見えるものの、今なお週に2回、リハビリに通っている。
「下半身が弱っているので、重りを持ってスクワットをしています。最初は3キロの重りでキツかったけど、今は10キロよ。復帰したいっていう思いが原動力ね。おかげさまで、太ももがカチカチになったわ」
歌詞が今の私そのもの
難病を抱えているとはいえ、今は家にこもる日はほとんどない。遅めの朝食を取り終えたら、ショッピングに出かける日々だ。
「パーキンソン病になると欲がなくなるって言うけど、洋服とかバッグとか、物欲は尽きないわ。昔から好きなルイ・ヴィトンに今もハマっていて、いつも表参道のヴィトンに吉野(伝説のゲイバー「吉野」のママ、95歳)と行っては、ついつい買っちゃって。先日予約した夏バージョンのバッグが5月下旬には届く予定で、それが今の楽しみ。見たい映画がたくさんあるけど、映画館は暗いから転んだら大変じゃない。『国宝』がネットフリックスで配信されるのを待っているのよ」
そんな美川は、サインを書く際にいつも色紙に添える“しぶとく生きる”という言葉を大事にしているという。これは相手が家庭を持っている男性だと知らずに美川を身ごもった実母が、口癖のように言っていた言葉だ。
「実母からは、“あんたは世に出なかったはずの子なんだから、頑張って、しぶとく生きるのよ”って育てられたの。その言葉がずっと私の人生に影響しているし、入院中もその言葉を思い出して自分を奮い立たせていたわ。パーキンソン病は完治しない病気だけど、いつか薬ができるかもしれない。他の病気を抱えている人にも、夢を持って、諦めないでと言いたい。気持ち次第で免疫力も変わるんだからってね」
復帰後、各地でジョイントコンサートを開催してきた美川は、今後の目標に単独コンサートを掲げる。
「9月に計画しているのよ。それまでに一人でしっかり動けるように闘っていきたい。時々、病気のせいで歌詞が出てこないけど、それも今の私。2013年に出した『生きる』という歌があるんだけど、以前は暗い歌だと思ってあまり歌わなかったの。でも、歌詞の内容が、今の私そのものなのよ。くよくよ考えたってしょうがないじゃない。死ぬ時は死ぬんだから。これからも、しぶとく生きていくわよ!」
「週刊新潮」2026年5月7・14日号 掲載
