筑波大学生命環境学群生物学類に通う秋篠宮家の長男・悠仁さまは、この春、2年生に進級した。では、父・秋篠宮さまの大学2年生は、どのようなものだったのだろうか? 秋篠宮さまの貴重な肉声をつづった『秋篠宮』(2022年/小学館)などの著書をもつ、ジャーナリストの江森敬治氏が寄稿した。

【画像】紀子さまはクラシカルなブルーのワンピースで…質素な家で暮らされていた若かりし頃の秋篠宮ご夫妻

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 大学2年生の秋篠宮さまは、当時「礼宮(あやのみや)さま」と呼ばれていた。1985年、20歳を迎え、成年式という大きな行事に臨んだこの年は、秋篠宮さまにとって「運命的な出会い」が幾つか待っていた年でもあった。そんな秋篠宮さまの、大きな節目となった1年を、振り返ってみたい。


「加冠の儀」の後、賢所参拝のため宮殿南車寄せにお出になった礼宮さま(当時) ©時事通信社

 秋篠宮さまは、小さい頃から生き物への関心が高かった。それにもかかわらず、学習院大学法学部政治学科へと進んでいる。「皇族は学習院で学ぶべきだ」という暗黙の了解が周囲にはあり、秋篠宮さまの大学時代であっても、好きな分野を学ぶために他大学へ入学することは難しかったのではないだろうか。

 それでも、生き物への情熱が失われたわけではなかった。1985年11月、20歳の誕生日を前に行った記者会見で、秋篠宮さまは魚類などへの高い関心を次のように素直に語っていて、興味深い。

〈記者「将来どういうことをしたいとお考えですか」

秋篠宮さま「卒業後については、自然史関係に興味があります。とくに魚類に興味がありますので、そちらの方でお役に立つことがあれば。(略)魚類に興味を持ったのは父の影響が強いと思います。鳥類については、今春、英国にまいりまして鳥類保護区を見て非常に印象に残っています」

記者「魚類では特にどんなものを」

秋篠宮さま「どれかに限って、というわけではありませんが、ナマズ目に興味があります」〉

 おそらく、中学や高校の頃のことだと思うが、「学生時代に両親から『勉強しなさい』とよく言われましたけど……(笑)。勉強が大嫌いでしたから」と、かつて謙遜気味に、振り返ったことがある。しかし、関心や興味がある分野は別だった。その証拠に、学習院大学卒業後、イギリスのオックスフォード大学大学院動物学科で学んでいた際には、朝から晩まで机に向かい、貪欲に勉学に励んでいたという。

キャンパスで紀子さまと出会う

 生き物へ並々ならぬ情熱を寄せる秋篠宮さまに、キャンパスでの運命的な出会いが待っていた。大学2年の春、文学部に入学したばかりの紀子さま(当時は川嶋紀子さん)と、大学構内の書店で初めて出会ったのである。これはまさに偶然の産物であり、その後の人生を左右した、とも言うべき大きな出来事だった。紀子さまは、秋篠宮さまが主宰する大学のサークル「自然文化研究会」に入会。二人は仲間とともに国内各地を訪れ、愛を育んでいった。

 そして1986年6月、学習院大学近くの交差点で秋篠宮さま紀子さまにプロポーズした。秋篠宮さまは大学3年生、紀子さまは大学2年生。出会ってから一年余りのことだった。

 ところが1989年1月7日、昭和天皇が亡くなる。まだ喪中である同年9月に皇室会議が開かれ、二人の結婚が決まったものの、宮内庁内部や一部国民の間からは異論や批判も見られた。さらに、秋篠宮さまが英国留学中であったことや、兄(現天皇陛下)より先に結婚することなどから、「そんなに結婚を急がなくてもいいのではないか」との声も聞かれたのである。

 なぜ、このタイミングで結婚を決めたのか。その理由について秋篠宮さまは、紀子さまとともに臨んだ皇室会議後の記者会見で、こう語っていた。

 「問い合わせが多くなって」

〈 「現在、留学中、喪中ということでもありますが、ここ一、二年の間に川嶋家の方にいろいろ問い合わせ等が多くなって、私としても責任のあることですので、早い時期に公にしたいと判断いたしました。そうなりますためには、本日もございました皇室会議を経なければいけないわけですが、それにつきましては宮内庁としても特に異議はありませんでしたし、両陛下から反対もありませんでした」〉

報道を明確に否定

 さらに結婚後落ち着いたころ、秋篠宮さまは筆者に次のように語ってくれた。

〈「結婚の時、一部のマスコミで家内と結婚させてくれなければ私が皇籍を離脱すると両親に迫ったという報道がありましたが、あれは完全に作った記事です。私は知り合った直後に家内を両親に紹介し、両親は付き合っていることは知っていましたし、結婚するんだろうなということもおそらく分かっていたと思います。また、結婚する相手が彼女だったらいいな、というふうに思っていたと思います」(拙著『秋篠宮さま』より)〉

 今から思い返しても結婚前のマスコミ報道はすさまじく、決して正確な記事ばかりとは限らなかった。秋篠宮さまは、その不正確な報道の一つを明確に否定したのだ。

 事実、秋篠宮さまは出会ってすぐに、当時家族で暮らしていた東宮御所へ紀子さまを招き、両親(現上皇ご夫妻)に紹介している。その後も紀子さまは東宮御所を度々訪問し、上皇ご夫妻とテニスを楽しんだり、お茶の席を共にしたりすることも珍しくなかった。上皇ご夫妻は親しみを込めて「キコちゃん」と呼んで、とてもかわいがったという。

 また、紀子さまの父である川嶋辰彦学習院大学名誉教授(故人)が、以前から秋篠宮さまや上皇ご夫妻と面識があったことも、その後の交際に好影響を与えたようだ。
それゆえ、秋篠宮さまは「(両親は)結婚する相手が彼女だったらいいな、というふうに思っていたと思います」とも振り返っているのだ。

もう一つの“大きな出会い”

 さて、時計の針を再び「大学2年生」の当時に戻そう。実はこの年、秋篠宮さまはもう一つ、その後の人生を決定づける大きな出会いを果たしている。初めてタイを訪問したのだ。

 1985年8月、秋篠宮さまは、友人や先生たちとともに、初めてタイを調査旅行した。その時、一行の案内役を務めた、タイ研究の第一人者で大阪外国語大学名誉教授の赤木攻さんから、こんな話を聞いたことがある(「週刊文春」2025年12月11日号)。

 一行がバーンパインという離宮を訪れた時のことだ。橋のそばで大きなパンが売られていて、水の中には大きな魚がいた。秋篠宮さまがその大きなパンを丸ごと餌として投げ込むと、魚がパッと食べてしまったという。

「後に殿下はプラー・ブック(世界最大級の淡水魚。和名をメコンオオナマズ)の研究をしていますが、今から考えると、そこで大きな魚に魅入られたんと違うかな」

「こんなに大きな魚がいるのか」と感心し、それから、秋篠宮さまはタイに興味を持つようになった。

 加えて、この調査旅行を機にタイ王室との親交が深まったことも大きかったようだ。

「タイのシリントーン王女が、『本来は自分が案内しないといけないのだが、忙しいので』と、懇意の優秀な女性をタイ側の案内役として派遣してくれた。殿下は『タイ王室は自分のためにここまでやってくれるのか』と、感激したのではなかったかな」

 生涯の伴侶とライフワークとなる生き物の研究。成年皇族として歩み始めた年に、そんな二つの“運命の出会い”が待っていた。秋篠宮さまの大学2年生は、まさに人生を左右する大きな節目の年だったのである。

参考文献:
『新天皇家の自画像:記者会見全記録』(薗部英一 編、文春文庫)
秋篠宮さま』(江森敬治 著、毎日新聞社)
「週刊文春」2025年12月11日号

(江森 敬治)