「盗まれた誇り」 [著]A・R・ホックシールド

 感情社会学のパイオニアとして知られる著者は、近年アメリカの政治的分断に懸念を抱き、分断の在処(ありか)を探究するようになった。その二作目となる本書は、東部アパラチア山脈の裾ケンタッキー州パイク郡が舞台だ。
 この地域は、下院選挙区の中で二番目に貧しく、白人の割合が最も高い。炭鉱の閉鎖に続き、グローバル化の打撃を受け、経済の衰退と薬物危機の拡大を経験してきた。それに伴い、政治的にも共和党支持が多数派となり、トランプ氏への投票が最も高い地域の一つとなった。トランプ政権副大統領J・D・バンス氏の自伝『ヒルビリー・エレジー』で有名になったように、この地域の白人は「ヒルビリー」と呼ばれ蔑(さげす)まれる傾向もある。
 バンス氏の自伝がヒルビリーに焦点を当てたのに対し、本書は、この地域で「上から下、左から右」まで多くの立場の人びとに話を聞き、かれらの経験や感情を内側から理解しようとする。
 著者が特に着目するのは男性の感情、具体的には誇りと恥だ。共和党支持の州では、アメリカンドリームを達成する機会が減少する一方、その機会を得ることに対する個人の責任や勤勉という文化信条が根強い。この地域の保守派にとっても、成功は誇らしく、失敗は恥ずかしいものだ。
 このような機会と信条のギャップからなる「プライド・パラドックス」の下、人びとはままならない経済環境とその帰結に誇りの喪失と謂(いわ)れのない恥を感じている。そこでは、薬物や酒に頼り恥を内に向けるか、外に吐き出すか、あるいは独自の解決策を見出(みいだ)すほかない。最終的には、誇りが「盗まれた」と感じてしまうかもしれない。実際、かれらの苦難につけ込み、白人ナショナリストが来て、排外的なデモという「解決策」を提示さえした。
 本書が描き出すこの感情の袋小路は、トランプ政権下で、また世界各地で、ますます出口を失っているようにみえる。
    ◇
A.R.Hochschild 米カリフォルニア大バークリー校名誉教授(社会学)。著書に『壁の向こうの住人たち』など。
    ◇
布施由紀子訳