【W杯回顧録】第14回大会(1990年)|神の手はまたしても見逃され…レッド16枚、イエロー164枚。数字が物語る“停滞”のイタリア開催
逆に分裂前のユーゴスラビアは、イビチャ・オシム監督にメンバー選考を巡り多大なプレッシャーが押し寄せていた。それなら、と腹を括ったオシムは、西ドイツ戦を「敢えてメディアが望むスターたちを並べてみせた」そうである。重要な短期決戦で真偽は測りかねるが、とにかくオシムは2戦目から軌道修正を施し、グループDで2位通過を果たすのだった。
ロケットスタートでGLを悠々と1位通過をした西ドイツを待っていたのは、またも宿命のライバル、オランダだった。フーリガン問題が最高潮の時代で、悪名高きイングランドがサルジニア島への隔離のためにシードされ、オランダも同じグループに組み込まれた。
西ドイツのベッケンバウアー監督は、6人のDFを起用して用心深く試合に入った。事件が起きたのは22分だった。欧州王者ミランのオランダトリオのひとり、フランク・ライカールトが、ルディ・フェラーに唾をかけ、なぜかアルゼンチンのファン・ルスタウ主審は両者を退場にした。
傷が深かったのはオランダのほうだった。10人同士の試合でスペースが広がり、西ドイツはユルゲン・クリンスマンが縦横無尽に走り回って脅威を与え先制点ももたらした。また長身のブッフバルトは、攻撃的資質の高さを遺憾なく発揮し、それからはマラドーナを模して「ディエゴ」と呼ばれるようになる。シュツットガルト育ちの2人の特筆すべき活躍で、西ドイツが2−1と2年前のスコアを裏返した。
一方、南米のライバルと対戦したアルゼンチンは、完全に劣勢だった。南米王者のブラジルは、世界王者のアルゼンチンを自陣に釘付けにして、終始シュートの雨を浴びせ続けた。しかし、ゴールの枠が3本も阻止してスコアが動かず、試合は終盤を迎える。
神業が飛び出したのは終了9分前だった。敵陣へとボールを運び出したマラドーナが、1人かわしてドゥンガのタックルにも堪えると、相手3人を引き寄せ、リカルド・ローシャのチャージに態勢を崩しかけながら、右足でクラウディオ・カニーヒャに必殺のスルーパスを送った。
アルゼンチン1−0ブラジル
「奇跡だった」と、マラドーナは言った。
ブラジルだけではない。オシム率いるユーゴスラビアも、31分に退場者を出しながらも、酷暑のフィレンツェで120分間を戦い抜き、アルゼンチンをKO寸前に追い込んだ。だが今度は神に代わって救世主が現われ窮地を救う。ソ連戦で骨折した正GKのネリー・プンピードに代わってゴールマウスに立ったセルヒオ・ゴイコチェアである。ドラガン・ストイコビッチも、マラドーナも失敗したPK戦で、新守護神は2人のキックをセーブし、準決勝への切符を手繰り寄せた。
開催国イタリアは、当然有力な優勝候補だった。アゼリオ・ヴィチーニ監督率いるアズーリは、得点源のジャンルカ・ヴィアッリが心身ともに万全なコンディションではなく得点力不足に悩まされたが、それでも準々決勝まで無失点を継続していた。幸運を呼び込んだのは初戦交代出場で決勝点を挙げたサルバトーレ・スキラッチで、2戦目以外全ての試合でゴールを挙げることになる。
さらにヴィチーニ監督はすでにGL突破を決めていたチェコスロバキア戦で、期待の新星ロベルト・バッジョを起用。バッジョは鮮やかなドリブルとフェイクでゴールを奪う。苦しい道のりではあったが、イタリアはローマでの計5試合を勝ち抜きベスト4に進んだ。だが、唯一準決勝だけはナポリへの移動を強いられ、スタジアムにはこんな横断幕も掲げられた。
