『愛という名のもとに』名脇役”チョロ”は自殺する運命だった…!演出家が明かす「あの名シーン」の隠された意図
心に響くセリフを紡ぐ坂元裕二の脚本と、自由奔放で一途な女性を自然体で演じた鈴木保奈美の魅力が交錯する'91年の『東京ラブストーリー』は、記録的な高視聴率を叩き出した。その演出を務めた永山耕三氏が次に手掛けたのは、社会に出た若者が理想と現実の狭間で葛藤し、傷つきながらも成長していく社会派群像劇だった。
【前編記事】『傑作ドラマ『愛という名のもとに』主題歌にハマショーが選ばれたワケ…目指したのは“世の中をシーンとさせる”ドラマだった』よりつづく。
ヒットの理由は「時代に合ったヒロイン」
「ヒットの理由なんて単純で、あの時代には、抜―群にかわいい鈴木保奈美がいたという話です」と、永山氏は冗談めかす。前向きな性格で困難に立ち向かう強さを持ちつつ、可愛らしさも兼ね備えている―あの時代に求められたヒロイン像に、鈴木保奈美はぴったりとあてはまった。
他にも、公務員をしながら小説家の夢を捨てきれない純(石橋保)、片思いしていた純の子供を宿してしまうデパートガールの則子(洞口依子)、森本レオ演じる医師との不倫に走るモデルの尚美(中島宏海)……。同窓の仲間たちが、社会という壁にぶつかる様子を容赦なく描いている。
そして、このドラマを語る上で欠かすことができないのが、「チョロ」こと倉田篤の存在である。演じたのは中野英雄。いまをときめく大河俳優・仲野太賀の父としてもお馴染みの、個性派俳優だ。永山氏が思い出を語る。
「彼はギバちゃん(柳葉敏郎)の付き人をしていて面識がありました。中野英雄や勝俣州和といった役者たちは、主演を食わない脇の立場でよい芝居をするから、演出家としてはありがたい存在でしたね」
チョロの自殺と「ハラスメント社会」
野島の脚本では、最初からチョロは自殺する運命と決まっていた。
大学卒業後、証券会社に入社するも、結果が出せないチョロ。上司から同僚の面前で詰問され、罵られ辱められながらも必死に働いていた。
「当時はパワハラやモラハラなんて言葉はまだなくて、会社で罵倒されるなんてのは当たり前の時代でした。でも本当は、当然みんな「ハラスメント」が横行する社会に嫌気がさしていた。だからこそ、チョロに視聴者は共感してくれたんだと思います。野島には、そんなふうに時代の空気を読む力もあった」(永山氏)
チョロは、フィリピンから来日してバーで働く出稼ぎ女性・JJ(ルビー・モレノ)に出会い、入れあげた結果、顧客のカネに手をつけてしまう。さらにJJに騙されていたことに気づき、追い詰められていく……。
チョロの死が描かれる第10話の撮影は、相模湖畔に建つ艇庫(ボートを保管する倉庫)で行われた。
「実は俺も貴子が好きだったんだ」―そんな伝言を残し行方をくらましたチョロ。彼を探して駆けつけた健吾や貴子らボート部の仲間たちが、艇庫のシャッターを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは、首を吊った姿だった。
あえてリハーサルはしなかった
このシーンには隠された意図があった。
「第1話でボート部員が卒業するとき、解散の儀式として全員で艇庫のシャッターを降ろし、友情を確かめ合うシーンがあります。青春の幕を閉じる意味を込めて、爽やかな場面にしました。しかし第10話では同じ艇庫のシャッターを開けて、チョロの遺体を見つける。「逆」の動きで絶望を表現したんです」(永山氏)
友人の亡骸を呆然と見つめ、立ち尽くした健吾たちを映したまま、ドラマは終わる。
「第10話のエンディング、CMに入るまで1分少しのシーンは、音を流さない演出をしました。規則では放送事故にあたるんですが、局には『無音なのは特別な演出だ』と届けて許可を得ました」(永山氏)
また撮影時には、役者たちにこんな「仕掛け」をしたという。
「本番まで、唐沢さんや鈴木さんらボート部メンバーには、中野さんが首を吊っている現場は見せなかったんです。あのシーン、リハーサルをしていないんですよ。
もちろん役者たちは台本は読んでいるから、自殺のシーンの撮影だとあらかじめわかっています。でも、友人が首を吊っている姿を初めて見る衝撃を、登場人物と同じように体験してほしかった。シャッターを開けた後の表情は、本当に驚いた素の顔なんです。
中野さんには、スタントもなしに本当に首吊りの芝居をしてもらいました。中野さん、いまでもあの撮影を根に持っているんじゃないかな(笑)。一度外すともう一回つけるのは面倒だからと、一日中ハーネスをつけっぱなしで、休憩中も薄暗い倉庫内で、脚立に座ったままでした」(永山氏)
まさにお茶の間が固唾を呑んだこの「チョロの自殺」で、物語はクライマックスを迎える。父の不正を告発した健吾が涙を流し、時男が海外へ旅立ち、仲間たちはそれぞれの道を歩んでいく―。こうして『愛という名のもとに』は終幕する。
過去の社会派ドラマと比較して
社会派ドラマとしては異例のヒットを記録しただけに、過去の社会派ドラマとの比較が語られることもあった。とくに指摘されたのが同じフジテレビの『若者たち』('66年)の影響。親を亡くした兄弟が、学歴社会や貧困などの社会問題に苦悩しながらも強く生きるドラマだ。
「僕としては、『若者たち』はあまり意識してなかったですね。ただ一点だけ、貴子の母親役が『若者たち』の長女役だった佐藤オリエさんなのは、母になった佐藤さんを描きたかったからなんです」
そう明かした後、永山氏は続けた。
「むしろ、その次の作品のほうが『若者たち』を明確に下敷きにしたものになりました」
同じ大多・永山コンビは、『愛という名のもとに』の翌年に再び、月9の枠を任される。『若者たち』のような家族ドラマをベースに、『男はつらいよ』のような下町風のエッセンスを入れて「家族の絆と再生」を描こう―。そう話し合って生まれたのが、『ひとつ屋根の下』だった。
企画の立ち上げ段階から肚は決まっていた。
「江口洋介で寅さんをやろう」
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永山耕三(ながやま・こうぞう)/'56年、東京都生まれ。大学卒業後フジテレビに入社。NY勤務を経て、『東京ラブストーリー』『ロングバケーション』『ラブジェネレーション』など数々のドラマを手掛ける。映画『東京フレンズ The Movie』『バックダンサーズ!』(ともに'06年)では監督を務めた
「週刊現代」2026年4月13日号より
