「お前の家、放火されたって」ある日、実家が“連続放火魔”のターゲットに…元『JUDY AND MARY』TAKUYA(54)が明かした衝撃の過去
〈「あ、壊れたって感覚」中2で頭蓋骨を骨折、学生寮では夜中に“タコ殴り”される日々…元ジュディマリ・TAKUYA(54)の壮絶すぎる学生時代〉から続く
解散から25年も経つ中、いまだに「再結成して欲しい」という声が絶えないバンド「JUDY AND MARY」。その音楽性の一翼を担ってきたのがギタリストのTAKUYAさん(54)だ。
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TAKUYAさんがギターに触れるきっかけとなったのは「実家が燃える」という壮絶な経験だったという。全寮制で暴力や体罰が苛烈だったという学生時代の記憶や、伝説のギタリストが生まれた舞台裏について振り返ってもらった。

学生時代に頭蓋骨を骨折、さらに実家に放火されるという壮絶な経験をしてきたTAKUYAさん
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実家に電話がかからず、翌日「お前の家、放火された」と知らされた
――中学から親元を離れて寮生活を送られていましたが、離れて暮らすご両親との仲は良かったんですか?
TAKUYAさん(以下、TAKUYA) 両親とはあまり仲が良くないです。子どもの頃はおばあちゃんに育てられていたので、おばあちゃん子でしたね。そんなに一緒に住んでいる期間もなくて、特に父に対してはいまだに愛情以前に信用もできない。「母、産んでくれてありがとう」は思いますけど。
――寮生活の影響で、忍耐強くなったとかはありますか?
TAKUYA 精神的な面は良くも悪くもかなり鍛えられました。寮はいつ夜中に襲われるか分からないほど暴力があふれていたので、怖くて寝れないんです。今でも常に緊張した状態で寝ています。でも、どんな大変なことが起きても、あのときほど困難ではないって考えられるから、物事に動じなくなった。
――中学時代には頭蓋骨を骨折しただけでなく、実家が放火される経験もされたそうですね。
TAKUYA 当時、頭蓋骨を骨折して、数カ月は安静にしていなきゃいけなかったんです。で、何かやろうと思って先輩にシンセサイザーを借りていたんですけど、自分用のキーボードが欲しいなと。
でも10万くらいするので、小遣いでは買えなくて。親に買ってもらおうと公衆電話からかけたら、ずっと話し中なんですよ。一晩ずっと話し中なので、誰が電話してるんだろう、おかしいなって思ったんですけど……翌日、先生に呼ばれて「お前の家、放火されたらしい」って言われたんです。
実家が燃えたのは2回目
――ご家族にケガなどはなかったんですか。
TAKUYA 無事でした。みんなが出払った昼間の出来事だったらしく。家は半焼でしたが、僕の部屋だけ完全に消滅しました。私物は寮に持ち込むと全部捨てられちゃうんでほとんど実家にあったから、中学以前のものって何も持ってないです。
連続放火事件で、結局犯人は逮捕されていないんですよ。父はもっと昔に寝たばこでボヤ騒ぎを起こしたことがあったらしく「家が2回も火事になったのは俺くらい」っていう謎の自慢を今もしていますけど(笑)、僕は14歳のときに頭蓋骨を骨折して、さらに放火で過去の写真など全て失う「人生リセット」のダブルコンボでした。
――そんな状況で「キーボードを買って」とは頼めないですよね……。
TAKUYA それでどうしようかと悩んでいたら、先輩がお古のギターを1万5000円で譲ってくれたんです。5000円を3回の分割払いで。
――それがギターとの出会いになるのですね。
TAKUYA ウソみたいに聞こえるかもしれないですけど、ギターを持ったその日に「絶対にプロになる」って確信しましたね。当時、14歳でエレキギターに触れている日本人ってそんないなかったと思うんです。「もしかしたら自分が一番早いかもしれない。この瞬間からすべての時間をギターに費やしたら勝てるかも」って。
そう考えたら、長崎の学校での生活は無駄なので辞めようと思いました。夜の自習時間なんて監視しているだけで、あとは勝手に勉強しろみたいな感じでしたし。誰かが教えてくれるわけでもなく、毎日勉強してるふりを何時間もやってるのは本当にナンセンスです。親からは「何を言ってるんだ」って言われましたけど、「俺はギターでこの不幸なカルマを断ち切って、自分の人生を切り開いていく」とすでに決心していました。
学校周囲の有刺鉄線をかいくぐり……
――学校はスムーズに辞められたんですか?
TAKUYA 全く両親の同意を得られませんでした。命にかかわるかもしれない頭蓋骨骨折までした過酷な環境なのに、両親はその事実を理解できない。もちろん僕の決意も、覚悟も夢も。なので発想を変えて退学になることにしました。退学処分になりそうなことを頑張ってやりましたね。
まず退学になるまでに、2回の停学を経験しなくてはなりませんでした。退学はそのまま退所できるので楽ですが、停学は厳しい処罰を受けるので、地獄へ行く決断です。
学校の周りには有刺鉄線があるんですけど、先輩と一緒に工具で抜けられるように穴を開けておいて。そこから頻繁に外の世界に出入りはしてたのですが、それがバレると他の人の自由も奪われるので1度目は外出時間に堂々と外へ出て、一晩帰らなかったです。
――脱獄みたいですね。
TAKUYA 本当に脱獄みたいなもんですね。停学になると頭を丸坊主にされて、正座を6時間程度。そこに鞭打ち。体も精神的にもきつかったけど、ギターでやっていくと決めちゃっているから仕方ない。2回目の停学は、たばこだったかな。忘れましたけど。きつい体罰と丸坊主を2回経験して、3度目にはめでたく退学できました。
退学になるときは校長と面談をして終わりなんですが「退学してどうするの」って嫌味をいわれて……。「プロのミュージシャンになります」って答えたら、「この学校生活にも適応できないお前如きが、なれるわけない」って言われました。
迎えに来て同席していた両親も、その態度にはめちゃくちゃ怒ってこんな学校はやめて正解だと。でもこっちからしたら今更ですよ。もう少し早く気がついてくれていたら、残酷な体罰に耐えなくても良かったのに。
高校そっちのけでバイトの日々→「ジュディマリ」加入のきっかけは……
――退学した後は、京都に戻って。
TAKUYA 通っていた学校は進学校だったから、高校受験は余裕でしたね。一応親のために高校に進学したんですけど、途中からほとんど登校しませんでした。プロになるために早く東京に出たかった。親の同意がないと家を借りたりもできないし、一人暮らしでアルバイトが可能になる18歳での上京へ向けてお金を貯めようって考えました。
――具体的にはどんなバイトをされていましたか。
TAKUYA まずは新聞配達で、学校が終わったら夕刊を配っていました。高2の頃にバブルが直撃して、実家の喫茶店が店舗数を増やして深夜営業もするようになったので、実家の喫茶店でアルバイトをしました。
料理も上手で手際も良かったから、即戦力でしたよ。最初からそれが狙いだったけど、僕が有能なアルバイトすぎて親が「学校に行け」って言わなくなった(笑)。気づけばフルタイムで働いて、高校に籍はまだ残ってたけど、全く行かなくなりました。
――音楽活動も並行していたんですよね。
TAKUYA 15歳の時に「激しい動きでポップな音楽をやって、トークもボケもできるギタリストはいない」と思って、そのポジションを目指していろいろな練習をスタートしました。その頃からオリジナル曲も作って、大阪のライブハウスで演奏したり。コンテストでも優勝しました。
――その後、上京してからも音楽活動は順調でしたか。
TAKUYA 18歳になって上京したけれど、何も上手くいかなくて。メンバーも見つからず、東京の生活を軌道に乗せるのに必死な時期でした。アルバイトを頑張りながら、色々なバンドの打ち上げに顔を出したり、先輩の手伝いをしたりとにかく人脈づくりをして……「10代でデビューする」って決めていたのに、気付けば1年あっというまで、19歳になっていた。
そのときに自分のバンドがなかったので「無理かも」って諦めかけていたら「SKAFUNK(スカンク)」というバンドからギターを探しているって声をかけてもらって、19歳でメジャーデビューしました。
――念願通り、10代でのデビューだったんですね。
TAKUYA でも、バンドは1年で解散しちゃって、色々志半ばでした。でも毎回ライブで一生懸命パフォーマンスもやっていたし、TAKUYAというギタリストがいるってことは一部音楽業界の人にプレゼンできたのかな。
ある日、ソニーの新人開発部の人から「オーディションに来ないか」って声を掛けられて、それがジュディマリ加入のきっかけでした。みんな長髪でハードロック系の人がオーディションに来ていて、短髪で原付に乗って来ていたのは僕だけだったと思います(笑)。
撮影:山元茂樹/文藝春秋
〈「いま解散したら伝説になれるって、全員で」ジュディマリ解散から25年…元メンバーTAKUYA(54)が再結成は「今後もない」と断言するワケ〉へ続く
(池守 りぜね)
