「寂しさもあるけど、得たもの多い」熊本地震10年 南阿蘇村立野地区で「最後の交流会」 4割超が村を離れるも、今なお続く“故郷への思い”と住民の絆
10年前の熊本地震で大きな被害が出た熊本県南阿蘇村の立野地区では、4割を超える住民が村を離れました。
【写真を見る】「寂しさもあるけど、得たもの多い」熊本地震10年 南阿蘇村立野地区で「最後の交流会」 4割超が村を離れるも、今なお続く“故郷への思い”と住民の絆
熊本地震から10年を節目に4月9日、住民たちの最後の交流会が開かれました。
旧立野小学校のグラウンドに立野地区の住民が集まりました。
交流会の呼びかけ人、丸野健雄さん(82)です。
丸野健雄さん「今日はね、立野に住んでる人、他所に行った人、被災者が集まって懇親会」
熊本地震の後、住民の絆を絶たないようにと開かれてきた交流会。
バスに乗り込み会場へと向かいました。
あの日の南阿蘇村は…
あの日、震度6強の揺れに襲われた南阿蘇村。
立野地区は、阿蘇大橋が崩落したことで村の中心部と断絶され、損壊したダムの貯水タンクから大量の水が流出し、麓の家屋を押し流すなどして4人が亡くなりました。
土砂崩れなどの危険が続いたため、丸野さんたち立野の住民は、隣町で長い避難生活を余儀なくされました。
生活再建のため村を離れる住民が相次ぐ中、丸野さんは住民のつながりが保てるようにと、避難所が閉鎖される前日に盆踊り大会を開きました。
いつか、みんなで故郷へ。
丸野健雄さん(当時のインタビュー)「また仮設住宅を出てやりたいね。これもう一度。やれるような気がしてきたよ」
しかし、生活再建の道は険しく、丸野さんも最終的には立野での再建を断念しました。それから、故郷との関わりをつなぐ交流会は大切なものになりました。
故郷への思いはひとつ
交流会が開かれたのは、丸野さんたちが避難していた時、入浴支援などにあたった菊池市のホテルです。
会ではこれまで被災した住民の支援を続けてきた住職たちに感謝状が贈られました。
これまでの交流を振り返る写真をみながら親交を温めました。
立野から移転した住民「やっぱりふるさとだから懐かしいですよね。地震のあとにお寺座とかで交流を続けてもらったことがありがたい」
立野地区では、残った住民たちも地域を維持する難しさを実感しています。
立野地区で暮らす住民「踏切の上10軒ぐらいしかない。元は30軒あったけど。残っている人たちが、自分たちが頑張らなきゃって」
高齢化を理由に交流会は今年が最後となりそうですが、それぞれの立つ場所は違っても、故郷への思いはひとつです。
丸野健雄さん「故郷を追われてじゃない、自分で出てしまったんだけど、その寂しさもあるけれど、得たもののほうが多い。最後まで助けてもらって今があります」
