ローマ教皇自ら「沈みつつある船」と嘆くほど…“キリスト教の本場”欧米で起きている「凄まじい教会離れ」の衝撃データ
〈日本の大学の10校に1校はミッション校、仏教系大学よりも多いのに…日本で「キリスト教徒」が増えない“納得の理由”〉から続く
驚くべきことに欧米のキリスト教会は今凄まじい「教会離れ」に直面し、前ローマ教皇自ら「沈みつつある船」と表現するほどの危機にある。一体何が起こっているのか。
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宗教学者の宮崎賢太郎氏の著書『潜伏キリシタン 知られざる信仰世界』(角川新書)の一部を抜粋し、教会離れの実情について紹介する。
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今に残る舶来物への憧れ
日本のキリスト教信徒数が増えない要因として、外的要因と内的要因の二面が考えられる。
まず外的要因であるが、現代人は急速な科学の進歩に伴い、客観的、実証的、合理的なものの見方が強まり、目にみえない超自然的で非合理的な宗教的世界観をすなおに受け入れることが困難になりつつある。また一方では、個人主義の広がりによって、伝統的な寺や教会といった教団組織に縛られるのを嫌う傾向が非常に強くなってきており、そのことが宗教離れ、教団離れに拍車をかけているといえよう。
この現象はひとりキリスト教のみならず、仏教や神道もまったく同じ状況に立たされている。『寺院消滅』(鵜飼秀徳著、日経BP社、2015五年)によれば、日本列島の過疎化、高齢化によって、とくに地方では寺院の存続が困難になり、住職の後継者もおらず、廃寺となるところも少なくないそうである。寺もいらない、墓もいらないという時代、あの仏教でさえ消滅の危機に瀕しているというのである。キリスト教とて例外ではありえない。

写真はイメージ ©︎KeyRabbits/イメージマート
教団絶滅の危機
このように現代社会は宗教自体が衰退しつつあるようにみえるが、一方でそうとはみない宗教学者も少なくない。現代人の信仰心が薄くなって宗教離れが起こっているのではなく、既成の教団に魅力を感じることができず、教団離れが起こっているだけというのである。
本来、宗教の果たすべき役割は、人々が生きていくさいのさまざまな不安や悩みの解決にある。現代社会では科学の進歩が宗教にとって代わり、これまで宗教が果たしてきた役割は限りなく減少し、それが宗教の衰退に結びついているのであろうか。科学は物質的な側面では人間を豊かにするかもしれないが、私たちの心の救いにはなりえない。
ストレスの多い殺伐とした現代に生きる私たちは、これまではなかった新たな不安や悩みを抱え、決してひと昔前よりも幸せな時代に生きているとはいいきれない。むしろ今こそ人々はこれまで以上に真剣に救いを求めているのかもしれない。しかし、既成の教団は急速な社会の変化に対応し、移り変わりいく人々の求めに応えることができずにガラパゴス化し、絶滅の危機に瀕しているのである。
舶来物が最高という信仰にも似た感性
日本においてキリスト教の信徒数が増えない内的な要因として、明治の初めから、今日にいたるまで続いている舶来信仰もしくはブランド信仰、別の言葉でいえば西洋文化至上主義が指摘できるのではなかろうか。いったいキリスト教の信徒数と舶来信仰にはどのような関係があるのだろうか。
舶来物とは船に載せられて外国からやってきたものを意味するが、実際には日本人にとっては見事に欧米からのものに限られており、東南アジアやアフリカなどから入ってきたものは、私たちの意識の中では舶来物の範疇に入っていない。明治の文明開化期、戦後の復興期に欧米の進んだ文物を珍重し、ありがたいものとしてもてはやしたことは理解できる。しかし、日本が高度成長を遂げ、欧米社会と肩を並べ、世界でも有数のテクノロジー国家に成長した今でも、舶来物崇拝意識が厳然と存在し続けていることは驚きである。
どんなに優れた物が安価に日本で作られていても、車ならベンツかBMWのドイツ車、時計ならオメガかロレックスのスイス製、香水ならシャネルかディオールのフランス製、バッグもエルメスかヴィトンのフランス製、ブランデーはコニャック、ワインならボルドーと相場は決まっている。欧米から直輸入された舶来物が最高という、一種の信仰にも似た感性が今でも厳として残っている。
ブランドとしてのキリスト教という逆説
それなら宗教もヨーロッパ伝来のブランド宗教たるキリスト教が最高と考えるはずである。たしかに慣れ親しんできた神仏信仰をおろそかにすることはできないが、その他の宗教の中では、キリスト教が一番安心できる、上等な宗教と考えられているのはまちがいないところであろう。
ただ、そのことが逆にネックとなって、キリスト教が日本社会に浸透することを妨げている要因となっているのではなかろうか。どういうことかといえば、キリスト教も欧米風のキリスト教だからこそありがた味があるのであって、日本の諸宗教と融合したりすれば、それは偽物のキリスト教となって価値がなくなると感じるのである。
この感覚はキリシタンの復活以来、パリ外国宣教会の司祭たちによって、徹底した指導・薫陶を受けて育てられた日本人司祭の骨身に染みこみ、容易に洗い落とすことのできない足かせとなっているように思われる。
キリスト教の土着化をこばみ続ける日本
さらにそのような日本人司祭から指導された日本人信徒もまた、舶来物のキリスト教讃美者となることは自然のなりゆきである。このメカニズムはカトリックのみならず、プロテスタントも同様であり、むしろ、インテリ層の多いプロテスタントのほうにその傾向が強いかもしれない。
信徒数が増えるということは必然的に民衆化、大衆化をともなうことになる。民衆化するには土着化が不可欠である。土着化するということは、その土地に古くから伝承されてきた宗教的伝統や慣習といったものを積極的に取り込み、融合していくということにほかならない。
欧米風のキリスト教を理想のモデルとし、土着化をこばみ続ける限り、すでに土着化している旧信者と、ごく少数の超まじめなインテリ層である新信者を除けば、日本人を改宗に導くのは、限りなく困難な作業といわざるをえない。2014年一年間の実質的な日本全国におけるカトリックの宣教活動の成果は、本章の「キリシタン時代と現代の信徒数」に掲げた成人洗礼3093名という数である。
信徒の減少で没落の岐路に立たされているキリスト教
ここで認識しておかねばならないのは、これまで理想と仰いできた欧米のキリスト教そのものが、急激な信徒の減少によって、世界的なレベルにおいて没落の岐路に立たされているということである。たとえれば、欧米では人気がなくなり売れなくなってしまった旧モデル車を、日本人がいくら欧米からの直輸入物が好きだからといって、いつまでもそのまま輸入販売し続けるようなものである。日本人の好みに合わせて徹底してモデルチェンジしない限り、日本での高シェア獲得はありえない。このモデルチェンジが土着化(日本化)ということである。
これまでキリスト教は、世界で最高の宗教なのであるから、他の宗教のほうから歩み寄ってくるのがあたりまえで、キリスト教のほうからそうする必要はないとあぐらをかいてきたところがなかっただろうか。外国人宣教師たちも口にこそ出さないが、仏教や神道を一段低いものとみて、まず日本の知識人やエリート層を先に改宗させれば、民衆層も自然にキリスト教に近づいてくるものと楽観視していたのではないか。
第二バチカン公会議(1962年〜1965年)はそのような反省の上に開かれ、諸宗教との対話を進め、大胆な体質変革を遂げたといわれている。しかし、まだまだ末端の民衆層にまで、その精神が浸透しているとはいいがたい。日本のキリスト教会には、いまだに欧米風のキリスト教が唯一の範とすべきものであるとの考えが根強く残っており、キリスト教側から日本の伝統的諸宗教に歩み寄り、共生の道を模索しようとする努力を怠ってきた。
キリスト教の重心はすでに欧米の外へ2010年の世界総人口69億人の中で、キリスト教信者は21億8000万人と32%を占める。キリスト教は世界的な宗教とされるものの、欧米など伝統的なキリスト教世界は衰退に向かい、一方、発展途上国における信徒数は急増している。世界で現在キリスト教が教勢を伸ばしているエリアは、アフリカ諸国、ラテンアメリカ、東南アジアである。
1900年の段階では、世界のキリスト教徒の半数49.9%がヨーロッパに住んでいた。次いで北米が14・1%であった。100年後の2000年になると、ヨーロッパのキリスト教徒は21%、5人に1人と激減している。欧米に住んでいるキリスト教徒は3分の1に過ぎず、残りの3分の2は欧米以外の地域に住んでいる。
ことにキリスト教が急速に拡大しているのがアフリカ諸国である。もともとキリスト教の起源は西アジアにあったが、現在同地方での信徒は住民のわずか4%に過ぎない。アフリカ住民による固有のキリスト教運動の結果、サハラ砂漠以南では、1910年の10人に1人から、今日では10人の内6人がキリスト教徒である。
教派別に見ると、約半数はカトリック。広い意味でのプロテスタントは37%、正教会12%、その他モルモン教会やエホバの証人など1%となっている。ナイジェリアのキリスト教徒は8000万人で、宗教改革が始まったドイツよりプロテスタントが多い状況である(クリスチャン トゥデイ「キリスト教は今やアフリカの宗教に」2011年12月27日より)。
カトリック教会は「沈みつつある船」
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世は2003年、ヨーロッパのカトリック教会の状況を「沈黙の背教(silent apostasy)」と表現した(ヨハネ・パウロ二世の使徒的勧告ECCLESIA INEUROPE)。2005年、ベネディクト十六世は信仰教義聖省長官であったとき、カトリック教会を「沈みつつある船」にたとえた(『ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行』女子パウロ会、2006年)。さらにまた、2009年全世界の司教たちへの手紙の中で、「地上の広大な地域で、信仰がもはや燃え尽きてしまう炎のように消え去ってしまう虞(おそれ)がある現代」と表現している。
欧米一辺倒であった日本のキリスト教も、そろそろ「沈みつつある船」から下船し、メイド・イン・ジャパンのキリスト教船に乗り換える時かもしれない。現代社会ではすでに意味をなくしてしまった舶来主義から一刻もはやく脱却しなければ、夢とロマンを乗せて北大西洋に沈んだ豪華客船タイタニック号の二の舞いにならぬとも限らない。
数字が示す欧米キリスト教の衰退
欧米におけるキリスト教の現状を示すデータをいくつか挙げておく。
(1)フランスでは、1958年35%のフランス人が日曜日のミサに参加していたが、2004年にはわずか5%に低下している。
(2)スペインでは、2010年の統計によれば、カトリック信徒の3分の2が教会の儀式にほとんど参加したことがないと答えている。
(3)ドイツでは、2006年に8万4389人、2007年に9万3667人、2008年に12万1155人と、この3年間で合計29万9211人のカトリック信者が教会を離れたと発表している。カトリック教会への新しい入信者数は、2007年は4881名、2008年は4388名であった。また、2007年と2008年の一年間に、185の教会が閉鎖されている。
(4)オーストリアでは、2004年には4万5000人が、2005年には4万4609人が、2006年は3万6645人が法的にカトリック教会から脱会した。2007年には2006年と比較すると、信徒数が18%減少し、2010年には8万7000人のカトリック信徒が教会を離れ、2009年と比べ64%減少している。
(5)アメリカ合衆国では、2008年だけで40万人がカトリック教会を離れ、1995年から2008年までに、教会の数が1000以上減少し、司祭の数も4万9000人から4万人に減少している。また将来司祭になろうとするカトリック神学生の数も、1970年の2万8819名から、2002年には4719名に激減している。
このままでは、日本もそうであるが、近い将来必要な司祭数の確保に支障をきたすことが危惧される。
(宮崎 賢太郎/Webオリジナル(外部転載))
