昭和の『日本レコード大賞』を振り返る 中森明菜、ピンクレディー…Z世代も知っている!名曲の数々

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 ドラァグクイーンのサマンサ・アナンサとネオ昭和アーティストの阪田マリンが木曜日にパーソナリティーを務める番組『Clip』(ラジオ関西、月−木午後1時〜)で、昭和の『輝く!日本レコード大賞』の大賞受賞曲とその時代を取り上げました。

 ここ数年は、Mrs. GREEN APPLEが連続で大賞を受賞していますが、過去にはさまざまな名曲が受賞しています。

 同番組は、昭和の時代は大晦日の生放送だったため、出演者は放送終了後に急いで『NHK紅白歌合戦』の会場へ移動していました。なかには、時間がなく移動している車中で衣装を着替えていたアーティストもいたといわれています。

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 1959(昭和34)年、第1回『輝く!日本レコード大賞』の大賞受賞曲は、水原弘『黒い花びら』でした。同曲は水原さんのデビューシングルで、作詞作曲は永六輔と中村八大コンビによる作品でした。翌年には、この曲を元にした同名映画も公開されました。ちなみに同曲は、当時洋楽中心だった東芝レコードの邦楽第1号だったとか。

 この年の身近な出来事としては、その後の週刊誌ブームをけん引することとなる『週刊少年マガジン』と『週刊少年サンデー』の創刊が挙げられます。

 第2回は、松尾和子・和田弘とマヒナスターズ『誰よりも君を愛す』、第3回はフランク永井『君恋し』など、いまも愛される名曲の数々が受賞してきました。

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 1971(昭和46)年の第13回に大賞を受賞したのは、尾崎紀世彦『また逢う日まで』。じつはこの曲、もともとCMソングの候補曲として筒美京平が書き下ろした楽曲のひとつで、やなせたかしが作詞をして完成したものの採用されることはなかったのだそう。

 その後、阿久悠の作詞による『ひとりの哀しみ』というタイトルでリリース。さらに、阿久さんが尾崎さんのために歌詞をリメイクしたことで『また逢う日まで』が生まれたそうです。同曲は、日本レコード大賞のほかに日本歌謡大賞も受賞しました。

 この年の出来事として有名なのは、日清食品のカップヌードルの発売や、マクドナルドの日本第1号店が銀座に開店したこと。さらに、NHK総合テレビが全番組のカラー放送を実施した年でもあります。

 翌年、1972(昭和47)年の大賞作品は、ちあきなおみ『喝采』。“亡くなった恋人を思いながらステージで歌っている”という歌詞は、当時、衝撃的だったようです。歌詞の内容がちあきさんの実体験と偶然似ていたことから、「歌いたくない」と言ったというエピソードも残っています。

 同年は、日中の国交正常化が実現したほか、札幌オリンピックが開催されました。

 1977(昭和52)年の第19回では、沢田研二『勝手にしやがれ』、第20回にはピンクレディー『UFO』が受賞。

 ちなみに、マリンの大好きな中森明菜は、1985(昭和60)年に開催された第27回で『ミ・アモーレ』、さらに1986(昭和61)年の第28回では『DESIRE』と、連続での受賞を記録しました。

 昭和最後の『輝く!日本レコード大賞』受賞曲は、光GENJI『パラダイス銀河』で、平成最初はウインク『淋しい熱帯魚』でした。

サマンサ・アナンサと阪田マリン

※ラジオ関西「Clip木曜日」2026年3月12日放送回より