ヘブンを演じるトミー・バストウ

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一片の通知でクビになった東京帝大

 NHK連続テレビ小説『ばけばけ』は、第24週「カイダン、カク、シマス。」(3月16日〜20日放送)で、第23週までの熊本生活から一気に10年が経ち、東京の大久保での生活に移った。雨清水八雲となったヘブン(トミー・バストウ)とトキ(高石あかり)は、勘太(ウェンドランド浅田ジョージ)と勲(柊タニエル)という2人の息子に恵まれ、トキの父母(義父母)の司之介(岡部たかし)とフミ(池脇千鶴)も、相変わらず一緒に暮らしている。

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 ところが、帝国大学で英語を教えるようになって6年半が経ったヘブンは、突如、解雇通知を受けとる。そして、悩んだ末に名著『怪談』の執筆にたどり着く、というストーリーのようだ。

ヘブンを演じるトミー・バストウ

 ヘブンのモデルのラフカディオ・ハーンも、明治36年(1903)1月15日付で、東京帝国大学(明治30年に帝国大学から改称された)の文科大学長、井上哲次郎が差出人の、3月末での解雇を通告する文書を受けとっている。これにハーンはかなり憤慨し、思い悩んだようで、トキのモデルである小泉セツが、ハーンの死後に口述した『思ひ出の記』には、次のように記されている。

「ヘルン(註・ハーンのこと)は大学を辞められたのを非常に不快に思っていました。非常に冷遇されたと思っていました。普通の人に何でもない事でも、ヘルンは深く思い込む人ですから、感じたのでございます。大学には長くいたいという考えはもちろんございませんでした。あれだけの時間出ていては書く時間がないので困ると、いつも申していましたから、大学を辞められたという事でなく、辞められる時の仕打ちがひどいというのでございました。ただ一片の通知だけで解約をしたのがひどいと申すのでございました」

だが、「長くいたい考えは」なかったというが、解雇によって失った収入は莫大だった。そこで、ハーンという作家は日本でどれだけ稼ぎ、家族にどれだけのものを遺したのか、確認してみたい。

東京帝大の月給は900万円

 東京帝大を解雇された理由は2つ指摘されている。1つは、ハーンはすでに日本に帰化していたものの、お雇い外国人待遇の高給が支払われ、それが大学への負担になっていたことだ。もう1つは、大学は英語の講義を期待していたのに対し、ハーンの講義内容が英文学に偏っていたことだとされる。

 ちなみに、ハーンの後任は英国帰りの夏目漱石だったが、大学がハーンの講義にケチをつけたところで、学生からの信望はきわめて厚く、ハーンの解雇に対して留任を求める強い抗議行動が起きている。

 それでも解雇の方針に変化がなかったのは、やはり給与の問題が大きかったのではないだろうか。というのも、漱石の月給は東京帝大のほか第一高等学校での講義も含めて125円だったのに対し、ハーンの月給は3.6倍の450円だったのである。細かくいうと、明治29年(1896)に帝国大学に採用されたときは400円で、同34年(1901)に450円に昇給している。

 当時の金額をいまの価値に換算するのは簡単ではないが、明治中期の100円を150万円〜200万円ほどだとする説があるので、ここでは100円=200万円で計算する。そうするとハーンの月給は最初800万円、途中で900万円に昇給したことになる。夏目漱石の250万円もかなりの高給だが、ハーンは破格だったというほかない。

熊本の3年間で8,000万円を貯金

 松江時代にさかのぼって、ハーンの収入を見てみよう。明治23年(1890)8月31日に松江に到着したハーンは、島根県尋常中学校と師範学校で英語の授業をはじめるが、このときの月給は100円(200万円)だった。その後にくらべると少額のように思えるが、当時の松江では県知事に次ぐ高給だった。

 熊本の第五高等中学校(現熊本大学)に転出したのは、明治24年(1891)11月のこと。月給は一気に200円(400万円)に倍増した。熊本ではセツの義父母に義祖父、3人の女中、それに寄宿者まで何人かいる大所帯だったが、これだけ月給があると、暮らしにかなりの余裕があったということだろう。ハーンが友人に送った手紙によれば、3年におよんだ熊本での生活が終わろうという時点で、貯金は4,000ドル(当時の為替で4,000円程度か)あったという。すでに8,000万円も貯めていたのである。

 その後、明治27年(1894)10月に神戸に移り住む。神戸では帰化をして、小泉八雲になったうえでセツとの入籍を果たすが、帰化を決断した最大の理由は、遺産が家族に渡るようにするためだった。帰化しないままだと、遺産は3人の異母きょうだいに渡ってしまい、日本の家族にはなにも残せなかったのだ。

このころは貯金だけでもすでに記した金額があり、印税収入もかなりの額に達した。ハーンが西田千太郎(『ばけばけ』で吉沢亮が演じた錦織友一のモデル)に宛てた手紙には、その額は年間「1,300円」、日本研究の大先輩であるB.H.チェンバレンに宛てた手紙には「2,000円」と記されている。前者なら2,600万円、後者なら4,000万円で、こうした金額を考えると、帰化できるか否かは、じつに深刻な問題だったと思われる。

54歳で急逝後も莫大な印税が

 東京帝大をクビになった翌年、明治37年(1904)3月からは、早稲田大学で週に2回、講義をすることになった。その収入はどの程度だったのだろうか。だが、9月26日、ハーンは狭心症のために、54歳で急逝してしまう。

 その時点で、セツはハーンとのあいだに三男一女をもうけており、ハーンの巨額の財産や印税収入は、幸いにもこの家族のために遺された。それだけではなかった。ハーンの著作のうち『骨董』と『日本――一つの解明』の著作権が、ハーンが没して1年経ってから売却されたが、こうして遺族に渡った金額は2,250ドル(当時の為替で4,000円程度か)、おそらく8,000万円ほどになった。

 加えて、『ばけばけ』でシャーロット・ケイト・フォックスが演じたヘブンの友人、イライザ・ベルズランドのモデル、エリザベス・ビスランドは、ハーンの伝記や書簡集である『ラフカディオ・ハーンの生涯と書簡』をまとめ上げて出版し、その印税をすべてセツとその家族に贈呈した。エリザベスはセツに宛てた手紙に、「『生涯と書簡』が好評で、あなたとお子さんたちに十分な利益になったことをとても嬉しく思います」(横山竜一郎訳)と書いているから、これもまたかなりの額になったと思われる。

 セツの『思ひ出の記』には、こう記されている。「(長女で末っ子の)壽々子の生まれました時には、自分は年を取ったからこの子の先を見てやる事がむずかしい。『なんぼ私の胸痛い』と申しまして、喜ぶより気の毒だといって悲しむ方が多ございました」。たしかにハーンは、「先を見てやる事」はできなかったが、金銭的に支えることは十分にできたと思われる。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部